103.雛壇の人形師
一緒になって首を傾げた親方に、私は尋ねてみる。
『ガムラン語で、ヒナダンを意味するものってありますか?』
『うーん……近い言葉だと〝hinada〟がいるが……獣だしなぁ』
どんな獣だろうと思いつつ、ヒナダンを形成する語彙とは到底結びつかなさそう。それならナラインはどうしてヒナダンと名付けたのだろう。やっぱり転生者説が濃厚では?
『ナラインさんの日記などは残っていませんか?』
『製作図とかは残っているが……そんな話は聞いたこともない』
『そうですか……』
日記が残っていたら一番だったけれど、そううまくはいかないみたい。残念だわ。
それにしてもどうしましょうか。ナラインまでたどりついたのに、転生者の確証が今ひとつ。もう少し確固とした確証がほしい。お雛様で雛壇なら日本人よね。日本語とか残してないのかしら。
『あの、もう一つお聞きしても良いですか?』
『なんだ?』
『この字を知っていますか?』
メモ帳の中から、日本語で書いているページを親方に見せてみる。親方は眉間に皺を寄せた。
『けったいな字だな。見たこともない』
『そうですか……』
楽譜に記載されたアルファベットがラウレンツ言語として知られているように、日本語も残されていないかしらと思ったけれど。それも無いならお手上げです。
これ以上は難しいかもと思った、その時。
『文字といえば、そういやあれも文字と聞いたな』
親方がぼそりと呟く。私は顔をあげて親方を見た。
『何か心当たりが?』
『いや、今の文字とは違うんだけどもな。ナラインの残したまじないの文様があるんだ。ヒナダンに刻むように受け継がれてきたんだが。見てみるか?』
『ぜひ!』
ナラインの残した文様! これが前世で見慣れたものとかだったら、さらなる裏付けが取れる!
私は親方にお願いして、その文様を見せてもらうことに。
『ナラインが王室に献上したヒナダンに刻んでいた文様だ。魔除けの呪文だと伝わっているが、数代前にその呪文の読み方が途絶えてな。文様だけが今、伝わっている。ナラインに倣って、俺達も新しくヒナダンを制作する時にはこの文様を刻むようにしているんだ。ちょうど彫ったやつがあるから見せてやろう』
親方はカウンターの奥へと一度引っ込むと、奥から一枚の長い板を持ってきた。漆のようなものを塗られているのか、板はつやつやとした黒。
『魔除けだからな。裏に刻んでいる。これがまた難しくてな。木に彫るには曲線が多すぎるんだ』
つやつやとした黒い板をひっくり返すと、木目が見えた。その木目に細く刻まれた文字がある。
その文字を見て、私は固まった。
(——くずし字だ)
日本語。平仮名。くずし字。
しかも変体仮名交じり。
読める文字と読めない文字が入り乱れている。
『すみませんが、この文様を紙に書いてもらうことはできますか?』
『なぜだ?』
『読みます』
きっぱりと言い切ると、親方はぎょっとしたように私を見て。
『この文様が読めるのか?』
『私の知っている文字と類似します。しかし、はっきりと断定はできません。なので、紙でいただけるとありがたいです』
『いくらでもやる』
親方が立ち上がろうとする。私はそれを制止して、自分の持っている手帳とペンを差し出した。親方はそれにさらさらと文様を描く。迷いのない筆運び。さらりとかけるほどに、親方はこの文様を刻んできたのでしょうね。
返された手帳を見て、隣のページに解読できる文字を綴っていく。
いろ、に、、、
ちりぬ、、
二行目を綴った時に、はたと気がつく。
(これ、もしかして)
黙々とくずし字を平仮名に直した。
分かるところだけでも直していくと、全体像が見えてくる。これは分かりやすい。
「いろは歌だわ」
変体仮名まじりで書かれたいろは歌。
分からなかった文字も、いろは歌に沿って埋めてみる。読めていないのに、楷書で書いたら「これはこの文字だ」という妙な確信が生まれてしまう。読めていないのに。大事なことなので二回言います。読めていません。
ここぞとばかりに私はガムラン語での発音も綴った。ページをちぎって、親方に差し出す。
『読める文字がいくつかありました。前後の文字から予想して解読したものです』
『イロハニホヘト……なんだこれは。どんな意味だ?』
メモに目を通した親方が眉間に皺を寄せる。
私は神妙な表情でこの文様の意味を解説。
『〝イロハニホヘト〟で〝花は美しく咲き誇る〟という意味になります。その後に続く〝チリヌルヲ〟で〝散ってしまう〟。世の中は常に動いていて、変わらないものなど何もない、という意味です』
『ほぉ……全然魔除けっぽくないな?』
いろは歌は諸行無常を謳っているものなので、魔除けとはちょっと違う。私からしたら、どうしていろは歌が魔除けとして伝わっているのかが不思議なんですけれども。
親方から、他の意味も教えてほしいと言われたので、続く全文をガムラン語で解説した。私のガムラン語の語彙力が足りるか戦々恐々だったけれど、なんとかなってひと息。
親方も満足そうにしきりに頷いた。
『長い時間の中で伝わらずにきたものが、俺の代でまた蘇るとはな。不思議な響きの呪文だが、意味はとても良い。世界は常に流れていく……俺たちの作る人形も、時代によって変わっていくもんだ。助かったよ、お嬢ちゃん』
お嬢ちゃん、と言われてきょとり。
私、今年で二十四歳なのですが……? まぁ、五十代くらいに見える親方からしたらお嬢ちゃんに見えても仕方ないのかも。
その後も私は人形について親方に色々と尋ねた。この工房の成り立ちや、人形作りの変遷。ヒナダンの配置の意味。
話に花が咲くと時間を忘れてしまう。不意にとんとんと肩を叩かれた。
「フェリシア様。そろそろ戻らないと、帰りの船に間に合いませんよ」
「えっ、もうそんな時間っ?」
控えていたオリガさんに声をかけられてびっくりする。思ったよりも長居をしてしまったみたいで、私は慌てて立ち上がった。
『ごめんなさい、急いで帰らないと。船の時間がありますので』
『そうか。港まで行くならもう出ねぇといかんな。あぁ、でも待ってくれや。土産がわりにここから好きなのを選ぶといい』
そう言って親方は並べられた人形を指さした。私はぎょっとしてぶんぶんと首を振る。
『ごめんなさい! お話を聞きに来ただけで、お金を持ってきてないんです!』
『金はいらんよ。この呪文の読み方と意味を教えてくれた礼だ』
『そんな、受け取れませんっ』
王室に献上されるような人形たちですよ!? それに見合うような対価とは到底思えない。私はただ、いろは歌を読んだだけなのに!
私がぶんぶんと首を振っていれば、親方は眉間に皺を寄せる。それからニヤリと口の端を吊り上げると、人形を手に取って私へ無理やり持たせてくる。
『お嬢ちゃんにはこれをやろう。初代女王陛下の人形でな、ナラインの製作図を元に俺が作ったやつだ。大事にしてくれよ』
『ええっ、そんなっ、いただけませんっ!』
『もらってくれや。ナラインの言葉を蘇らしてくれたんだからよ』
親方と人形を押しつけ合う。こんな高価なものを無償でもらっていいわけがない。まだこれから玄蒼国に行くのに、荷物を増やすわけにもいかないし。人形を返そうにも、親方は受け取ろうとしてくれないし。
「フェリシア様ー。もらったんなら、もらっておきましょう。それより本当に時間が差し迫ってますよ」
すったもんだの末、オリガの言葉で私は折れた。
『……ありがとうございます。大事にしますね』
『おう。また近くに来ることがあれば寄ってくれ。建国祭の頃がおすすめだ』
次に来るのがいつになるかは分からない。近いうちに来るかもしれないし、もう二度と来ないかもしれない。それでも私は笑顔で頷いて。
『いつか、建国祭のヒナダンを見に来ますね』
『おうよ』
初代ウガール王国女王の人形を抱きながら、私は人形工房を後にした。
【雛壇の人形師】
ウガール王国にある人形工房の三代目当主ナライン。雛人形の着想から〝ヒナダン〟と呼ばれるウガール王国の建国を祝う大規模人形群の製作をした人。日本人転生者。ナラインは木の人形に顔を描いていた技術を見込まれて人形工房に弟子入した。ナラインの残した魔除けの文様として〝いろは歌〟が残されている。なぜ魔除けとして伝わったのかは不明。〝雛壇〟を編成していることから江戸時代以降、〝いろは歌〟が変体仮名交じりのものであったことから明治以前の人だと推測。





