第9話 なりません
「なりません」
オリビアの凛とした声が響く。彼女の目はしっかりとユーリを見据え、射抜くように鋭い。
だが、ユーリも譲れなかった。
いわばこれはチュートリアルなのだ。自分の中にある力をうまく使うように仕向けられたイベントなのだ。
だから、ここでロドリゲスというボスを倒さなければ、このイベントが終わらない。
それに、狂おしいのである。
もしこれがチュートリアルだったとすれば、最低なものだと思っていた。
こんな方法しかなかったのかという思い、こんなクソゲーは自分の手でぶち壊してやりたいと思っている。
どうやってぶち壊すかの方法はわからない。けれど少なくとも、今はゲームの進行に従い、力を付けなくてはならない。
そのためには、先に進む必要があるのだ。
「嫌だ、俺は俺の考えで動くよ、母さん」
真っすぐにオリビアを見るユーリと、それを受け止めるオリビアの視線。
それは睨み合っているようでもあり、目で語り合っているようでもあった。
言葉は万能ではない。確かに言葉にしなければ伝わらない事もある。けれど、言葉を尽くしても伝わらない事もあるのだ。
例えば。
「ユーリ。私は貴方を愛しています」
言ってオリビアはユーリを抱きしめる。
憎しみで、体が燃えるように熱を持っていた筈のユーリだが、オリビアに抱きしめられてはじめて、寒くて震えていた事に気付く。
暖かく、柔らかい。それは人間の、いや、母の温かさだと思った。
「だからこそ言います。憎しみは沢山のものを産みます。何故なら混沌こそ、全てが生まれる源だから。それを秩序で律して排除する。そうやって人間は文化を保っています。あなたも今、憎しみという大きな力で、何かを生み出そうとしているのでしょう」
ユーリの胸中は、震えていた。
ゲームであれば、ここは後押ししてくれるはずだった。
物語の進行を考えれば、ロドリゲスを倒すイベントを進めなければならないからだ。
けれど、それを止めるのは、世界の理でも、魔王の脅威でもなんでもなかった。
ただの、温かさだった。肌から感じる温かさ、耳元で聞こえる母の声。その声に込められた想い。
ゲームでは感じた事の無い不思議な感覚。
ユーリは、ただ黙って母の言葉を聞いた。
「けれどユーリ。私はあなたに、その憎しみから生まれた力で、別のものを生み出して欲しいのです。勿論、領主としての理屈もあります。貴族は民を導く存在です。だからその貴族が表立って憎しみで行動すれば、民も憎しみで行動しても良いと解釈されてしまいます。それは避けなければなりません。ロドリゲスの件は、ハリーの報復ではなく、表向きは秩序を守るためでなくてはなりません。それには、第三者が処刑を行うのが相応しいでしょう」
オリビアの体温が離れる。
彼女はユーリの両肩に手を置き、見つめ合うように話を続けた。
「けれど、それよりも母として、家族として、貴方を愛する人間として。憎しみを、正しく使って欲しいのです。……偉そうな事を言う私も、過去には戦争に参加していましたから、共に戦う仲間、友人を殺され、復讐の念を抱いて剣を振るった事もあります」
ユーリの肩に、鈍い痛みが走った。
オリビアの肩を掴む手に、力が入ったのだろう。
「復讐を遂げると、せいせいします。達成感に包まれます。けれど失うのです。恨みで得た熱と共に、自分の本来持っていた体温も失う事になるのです。だから、貴方にはそうなって欲しくないのです。できればもっとその熱を、あなたの人生にとって良い方向に使って欲しい。荒事は全て私やダルケンに任せて、貴方には人生をかけて熱中できる別の何かを見つけて欲しい。それが、私の願いです」
温かい。できれば、それに従ってしまいたい。
けれどどうしても、ユーリは自分の中にある鬱屈としたものを吐き出したくてしょうがなかった。
「でもさ、じゃあ、俺はどうすればいいんだよ。無責任な事言うなよ、人生をかけて熱中できる何かってなんだよ……」
次々と口からでる何かは、もうユーリにもとめられなかった。
「どうすればいいのかつってんだよ! 偉そうにあれこれ言うくせに! 具体的に何すればいいか言えよ! タスクを教えてくれよ! クエスト達成条件を教えてくれよ! 俺は! どうすればいいんだよ!」
ユーリの目には、涙が浮かんでいた。
近くに居たエマは、小さく「お兄様……」と呟いている。それはどういう感情があったのかわからない。けれど、彼女なりに心配をしてくれているのだろうという事はわかる。
オリビアだってそうだ。心配をしてくれているし、将来の事も考えてくれている。あまり喋らない父のダルケンだって、思い詰めた目をしてユーリの事を見ている。
我儘だってわかっている。駄々をこねているんだってわかっている。でも、止められない。それが、今のユーリだった。
「……ユー……リ……」
「ハリーお兄様!?」
そこに、目覚めたハリーの苦し気な声が小さく聞こえ、エマが驚いて駆け寄っていく。
見やると、包帯まみれの顔で、それでも優しい目をユーリに向けているのがわかる。
ユーリは、そんな兄の傍に寄って顔をのぞき込んだ。
「兄さん……」
すると、ハリーは笑った。
「ごめん、ユーリ」
何を謝る事があるというのか。謝るのはこちらの方だ。
ユーリは拳を握りしめ、歯を食いしばった。
「違う、俺が弱いから、守られるばかりで、ごめん、兄さん」
その言葉を聞いたハリーは、ユーリの目を超えて、何処か遠くを見るように言った。
「僕が領主になって矢面に立ち、領地を発展させる。そして君が代官になって楽をする」
そして、ハリーの目は、遠くからユーリの目へと帰ってきた。
「ごめん、その約束、果たせそうにない」
その言葉の意味。ハリーの人生。
あまり考えないようにしていた未来。今まで思い描いていた未来を失った事を今更実感し、ユーリは、崩れ落ちて泣いた。




