第10話 今日見極める
──1か月後──
コツコツと、規則正しい足音が廊下に響く。
モウガン・クラーク。ユーリの世話役である彼は、決して広いわけではないハーシェル家の廊下を歩いていた。
規則正しい音は嫌いではない。それが軍靴の音だとしても、例えば鍛冶屋のハンマーの音だとしても。
そこには規則が生まれる理由があって、それを全うしない理由はない。だから従うのである。リズムを使った方が体というのは動かしやすく、力を発揮しやすい。それに抗って、つまり無理をするなど愚かでしかない。
そしてそれは、別段運動を伴うものだけではない。軍の規則にしても、文化の決まりにしてもそうだ。
従いたくないという理由で従わないのは愚かでしかない。明確な理由がないのであれば従えばいいのだ。それが一番効率がいい。
しかし、規則にも合理性がなくてはなららない。その合理を詰めるのが好きなモウガンとしては、描かれた規則が正しく動く音は、とても心地いいものなのである。
それはある種、精巧な機械が奏でる音のような気持ちよさがあるのだ。
そして、そういう規則から意味もなく外れたがる者もいる。
モウガンから見て、ユーリが正にそれだった。
彼は従う理由がないと思った事には従わない。例えば細かい事だが家族の呼び方だってそうだ。
ユーリは家族の敬称を「さん」で統一している。百歩譲って兄であるハリーの事を兄さんと呼ぶ事は許せても、ハーシェル家当主であるオリビアの事を母さんと呼ぶのは許せる事ではなかった。
さんという敬称は対等な立場の相手に付けるものだ。だから、部下や外部の貴族など、外から見るとユーリとオリビアは対等の存在だという事になる。いや、実際には違うし、内情を知っている者であれば推し量る事もできるだろう。けれど、体面としては同格の扱いをしているという事になるのだ。それも、兄のハリーはオリビアの事を様付で呼ぶというのに。
これでは、次期当主はユーリなのではないかという憶測も呼ぶだろうし、そうでないとすればオリビアが息子を寵愛するあまりに、かなりの権限を与えているのかもしれないと判断される恐れだってある。
何より、ハリーの下に付いた部下は、ユーリに良い感情を抱かないだろう。
恐らく、従う理由がないと彼自身が思っているから従わないだけなのだろうと、モウガンは予想していた。
従う理由がない事が、従わない理由にはなり得ない。その理屈が彼にはわからないのだと、モウガンは諦めに近い境地で見守っていたのである。
むしろ、従わない理由がどこにあるのだ。従わなくていい時というのは、従ってはまずい理由がある時と、それを変える事で得るものがあって、それを推し進める必要がある場合である。
そんな大義も無く、歴史の上でなるべくしてそうなっていった事柄に、無意味な反抗をするのは無能さをひけらかしているとしか思えなかった。
世話係を命じられていて、良くないとは思うのだが、それでもモウガンは、ユーリの事が好きになれなかった。
そして同時に、困ってもいる。
ハリーが怪我をして、医師に寝たきりになると言われてしまった都合、彼は次期当主候補となるのだ。
それ自体は別にいい。1か月前のモウガンも、望むところだと息巻いたものである。
しかし、彼は部屋に閉じこもってしまった。
世話係であるモウガンは朝、昼、晩とノックをして声を掛けるが、食事は部屋まで運んで欲しいと言って出てこないのである。
勉強はどうするのか、戦闘訓練は、と聞いても、今はその時じゃない、などと意味不明な言い訳をするのである。
そんな男と顔も合わせたくないと思ったモウガンは、食事を運ぶ役目を他の使用人に依頼して部屋から立ち去る。そんな毎日だった。
使用人によると、食事を届けた後、よくわからない木工道具などを持ってこさせたり、大量の紙や木材を運ばせたりだとか、いよいよもって訳が分からない。
(今日見極める。話したくもないが、それでも、世話係としての務めだ)
自分に言い聞かせるように胸中でそう呟いたモウガンは、ふう、と溜息を吐く。
もし、ハーシェル家次期当主として相応しくないと判断した場合は、傀儡にしてしまえばいい。オリビアはそれを良しとはしないだろうが、ユーリは中途半端な頭の良さを持っている。そういう者は博打だ。馬鹿であれば周りが全てサポートできるのだが、下手な頭の良さを持っている者が前に出てくることによって、害となる可能性もあるのだ。
そんな事を考えて歩を進めると、やがてユーリの部屋の扉にたどり着く。
時刻は21時頃。もしかするとユーリは寝ているかもしれない。けれど、今日は起こしてでも話をしよう。そう決めている。
モウガンは、ドアをノックした。




