第11話 夜分に失礼いたします
ノックの音を規則正しく2回鳴らし、モウガンは口を開く。
「ユーリ様、夜分に失礼いたします。モウガンです。起きていらっしゃいますでしょうか」
「はーい、起きてますよー」
思っていたよりは明るいユーリの声が聞こえてくる。
寝ていたなら叩き起こすくらいの気持ちでいたモウガンは、やや拍子抜けしてドアノブを回し扉を開け──。
絶句した。
それはとても貴族が生活する部屋ではなかった。
自分の人生で得てきた辞書とも言える知識がパラパラと頭の中で捲れ、貴族の知識を思い出す。
貴族とは、民の模範とらならくてはならない存在の筈だ。それは生活態度一つとっても例外ではない。王程ではないにせよ、自領の民を納得させるに足る生活を送らなくてはならないものである。
しかし、目の前に広がっている部屋の様子は、酷い有様だった。
飲み食いした後の食器が乱雑に床に置かれており、部屋のそこここには、何に使うのかわからない道具が散乱している。
ベッドの上すらも物で溢れかえっており、本や彫刻刀のような物、あるいは雑多なガラクタが積まれている始末だった。
ユーリは机に向かって何かを書いている様子だったが、その机の上も酷い。コップが無数に散乱しており、木製の何かを制作しているのか、木くずが机からこぼれて足元に散らばっている。
本もちょっとした衝撃でいつ倒れるのかわからない程に積み重ねられており、読了したからそうなっているのか、それとも最初から読むつもりがないのか、下の方の本を取り出すとなると、大変な作業になるのではないかと思われた。
一体何をやっているのか。
呆れた気持ちが溜息になりそうだが、一応相手は次期当主候補である。溜息を飲み込んで、しかし苛立ちで片目を瞑る癖は出てしまう。
ふいに、この癖はやめた方がいいと、先立った妻に何度も言われた事が脳裏に蘇る。
交渉にせよなんにせよ、意図してであれば問題ないが、意図せずこちらの感情が相手に伝わるのは不利でしかないからだ、と何度も言われたのだ。
だから一時期はこの癖を出さないようにしていたのだが、最近再発してしまっている。
それもこれも、目の前のイレギュラーのせいだ。
モウガンが殺気すらも纏って一歩部屋に入ると、ユーリは顔をこちらに向けた。
その顔もまた、酷い有様だった。
目は充血しており、目の下のクマは遠目でもはっきりとわかる程に酷い。
肌を見るに血色はいい様だが、髪もぼさぼさである。
ベッドの様子を見やるに、寝ていないのかもしれない。だとすればいつから寝ていないのだろうか。流石にハリーが倒れて一か月間ずっとという事はないだろうが、それでも、この部屋に寝る場所というものが見当たらなかった。
モウガンは、ユーリを見据えたまま質問する。
「もしかして、一歩も外に出ていないのですか?」
「ああ、うん。そうだね。あ、でもトイレの時はちゃんとこの部屋を出てるから、一歩もという事はないかも」
そういう事を聞いているのではなかった。
そして、この部屋がずっと掃除できていない理由もわかった。
使用人は、部屋の主が不在の時でなければ掃除をしない。
それでもハーシェル家の使用人は勤勉であるから、何度もユーリに声をかけ、外出するように促した事だろう。
恐らく、それを全て断っているのではないだろうか。
使用人達に仕事をさせる、それはとても大事な事である。
不当に仕事を奪われた使用人達は、きっと心苦しくて居辛い思いをしている事だろう。
どうしてこの男は、普通の事ができないのか。
常識を突っぱねて周囲を困らせている事に、どうして気付かないのか。
いい加減に口汚く罵りたいという衝動に駆られるが、それでも貴族の息子と世話役という立場、というよりも、長く生きた人間とまだまだ青二才の子供という立場であるのだ。
だから、腹の底からから這い上がってくる熱いものを飲み込んで、モウガンは話を切り出す事にする。
「お話しがあります、ユーリ様。私は、貴方にもっと貴族らしくしてほしいと思っております」
「だからイライラしてるんだね?」
カチンという音が頭の中で聞こえた。
それはモウガンの顔をより固くするに足るものだった。
どうして話の腰を折ろうとするのかとか、素直にはいと言えないのかとか、そういう次元ではなく、言葉にできない憤りが体中を駆け巡る。
話しがあると言いながら、瞑目して黙ってしまったモウガンに何を思ったものか、ユーリが更に言葉を続けた。
「俺も話があったんだ」
「……ユーリ様が、ですか?」
多少声に棘が含まれてしまう事は、もう止められなかった。
それでも最低限のマナーとして、目を瞑ったままではいられないと思い目を開く。
ユーリは、こちらを向いていた。
充血した目だが、その目には強い意思と決意に似たものを感じる。
「もっと、怒って欲しい」
「……は?」
予想もしていなかった言葉に、思わず絶句してしまう。
恐らく顔も相当な表情をしてるのではないかと思うのだが、ユーリは構わずに続ける様だ。
「モウガンはいつも怒ってるけどさ、言ってくれなきゃわかんない。だから、俺に何か駄目な所があれば、言って欲しいんだ」
それは、表面上は前向きに聞こえる言葉である。
だけれど、長年生きてきたモウガンには、表面ではなくその裏を読み解く事の重要性がわかっている。
つまり、この男は考える事を辞めたのだ。
人と人が接する上で、お互いに相手の事を察し合うのがマナーであるし、相手の事を考えて行動するのが普通だ。
特に、貴族のように人の上に立つ存在であれば、尚の事その能力が問われる事になるだろう。
極論だが、飢えて痩せている人間に、「どうして痩せてるんだ? ちゃんと言ってくれなきゃわからない」という貴族など、仕事が出来ない以前に、人として終わっている。
この男は、自らは何も考えず、それでも自分にわかるようにしろと言っているに過ぎないのである。
何故ならどうしてモウガンが不機嫌になるかなど、ちょっと考えればわかる筈だからだ。
いや、相手がモウガンでなくとも不快感を感じる者が多いだろう。
それがわからないから使えない男なのだろうけれど、今度は考える事からも逃げようとしているのだろうか。
頭に血が上って視界の外側が白い。なんとか自制しなければならないと抑え込むモウガンに、ユーリはまるで子に説教をする大人のような口ぶりになる。
「言ってわからなかったら殴ったっていい。どう? 出来そうかな」
「……ざ……け……」
「ん?」
モウガンは、もう耐える事が出来なかった。
「ふざけるなよクソガキが! 馬鹿なのは構わない! しかし、馬鹿である事に胡坐をかくその態度はなんだ!」
マグマのような怒りが、モウガンの口から飛び出した。
それはまるで熱気を帯びているかのようで、実際部屋の温度が上がった気すらした。
「……なるほど、そう思ってたのか」
すると、ユーリは何を思ったのか上着を脱いだ。
「言ってわからないなら殴る。実践してみるよ、モウガン」
上着を脱ぎ、シャツを脱ぎ出したユーリ。
気でも狂ったのかと思うが、しかし。
(なんだ……? これは魔力の輝き?)
魔力は血中で生み出される。
そして体内で生み出すエネルギー、つまり魔力が大きい者の特徴として、興奮した時などに目がギラギラと輝くのである。
服を一枚脱ぐ度に、ユーリの目の輝きが驚く程に増した。
ついにとうとう肌着を脱いだころには、ハリーのそれをも超える魔力を伺わせる輝きを放つ、ユーリが立っていた。




