第7話 生意気なんだよ!
「こいつ! 生意気なんだよ!」
パシン。という音がやけに大きく響いた。
それは、一団の一人が木の棒でハリーをひっぱたいた音。
腰も入っておらず、大した威力も無い。そんな一撃。
けれど、それはこれから起こる地獄の、開始の合図でしかなかった。
「やっちまえ!」
拳ほどの大きさの石を持った者や木の棒を持った者。何も持っていない者は近くにあった何かを掴み、ハリーに群がって殴りはじめた。
「顔だ! その顔をぐちゃぐちゃにしてやる!」
「俺にも殴らせろ!」
「こいつ声も出せねえぞ!」
「おい! もっといい武器持ってる奴いないのか!」
執拗に顔を石で削るように殴る者。棒を持った者は、いつしか突く方が力が入ると気づいたのか、逆手に持った棒を叩くより突くようにして振り下ろす者。適当な武器が見つからず、とにかく隙を見て蹴る者。
荒い息遣いと、ごすごすと固い物が衣服を挟んでぶつかる音がいつまでも続く。
普通ならもう既に死んでいるかもしれないのだが、ハリーは魔力が高い。
それが幸いな事なのかどうなのか、この惨状からは何も言う事ができないが、彼ほどの魔力があれば、例えば刃物すらも肌で受ける事が出来るくらいである。
けれど、それでも限界はある。
「目だ! 目を突け!」
「馬鹿! お前の石を貸せ! こいつの声が気に入らねえんだ! 喉を砕いてやる!」
悪魔のような事を言って殴り続ける集団の間から、やがて赤いものが飛び散るようになった。
いや、飛び散るだけではない。床にじわりじわりと、まるでフローリングに零したワインのように赤い液体が広がっていく。
ユーリは、頭が真っ白になってしまっていた。
先程までは逃げる事を考えていたが、今は何も考える事ができない。
それは、抗う事すら頭の中からなくなってしまっていて、最早ただただ見ている事しかできないでいた。
それくらいに恐怖が全身を伝播し、脳だけでなく、体中の神経全てを痺れさせるような感覚だった。
そして、怖いのはエマも同じだっただろう。
ただ、彼女はそれでも声を発した。
「やめてよ! なんでそんな事するの!? なんでそんな事できるの!? このままじゃお兄様が死んじゃう! ねえ! やめてよ! やめてよ!!」
震える甲高い声は、ユーリをはっとさせるのに十分な力があった。
ただ、その声は暴行を続ける一団の注目も浴びてしまう。
「ああ? このガキもやっていいんですよねロドリゲスさん」
ロドリゲスは笑っていた。
「ダメだ。けれど、少し痛い目を見せるくらいならいいぞ」
ロドリゲスの指示を聞いた悪魔のような人間達は、ぎろりとエマに視線を向けた。
声も無く怯えるエマを守ろうと、ユーリは彼女の前に出る。なんとか守らなくてはならない。そんな思いがユーリを動かすのだ。
そして、それはハリーも同じだったようだ。
「……や……めろ……いも……ぅとには……手を……出すな……」
血だまりを這うようにしながら、それでもエマの方に向かおうとするハリー。
そこに、重い物を引きずるような音と共に、一団の中では体つきのいい男がやってきた。
「ばーか、動くんじゃねえよ」
男は、手にしていたものを振り上げる。
それは、建築現場で鉄の杭を打つときに使うような、両手で扱う大きなハンマーだった。
長い木の柄の先に、重そうな四角い鉄の塊が付いている。
ハリーの足めがけ。
それを。振り下ろした。
「ぐあああああああああああああ!!」
思わず耳を塞ぎたくなる、獣のような悲鳴。
にもかかわらず、一団は笑っていた。
「おいおい! もう一本あるだろうが!」
「わかってるよ、いくぞ。せーのっ!」
「ぎああああああああああああああああああ!!」
悶絶したハリーの顔は、酷いものだった。
風が吹けばさらさらと揺れていた髪。それが今や脂汗で額にくっついて、 ある種汚らしいようにさえ見える。
輝く様だった目も、涙に歪み、充血してしまっていた。
どうしてこんな事ができるのだろうか。
本当に目の前の暴徒たちは、自分と同じ人間なのだろうか。
同じ物を食べ、美味しいとか美味しくないと感想を持ち、綺麗な物を見て感動したり、あるいは涙したり、運動して健やか気持ちになったりもする、そんな自分と同じ人間とはとても思えなかった。
ユーリの中で怒りと恐怖がない交ぜになった感情が、捌け口を求めて胃からせり上がってくる。
それを飲み込むようにこらえながら、脳裏にはハリーとの思い出が浮かんでいた。
柔らかな風の吹く庭。楽しそうに笑っているエマ。そしてそれを見て笑うハリー。
とても平和で、幸せな時間。
なんでそれを奪うのだろうか。
誰に迷惑をかけたのだ。こんな事をされるような事を、果たして自分たちはしただろうか。
そう思うと、飲み込みかけた感情が、まるでマグマの様に熱い塊となって腹から胃。胃から喉へせり上がってくる。
ユーリはそれを、最早止める事ができなかった。
「お前ら全員! ぶっ殺してやる!」
それは恫喝ではない。慟哭であり悲鳴でもあった。同時に、体の奥底から漲るものを感じた。
けれど、それを上回る倦怠感が襲ってきており、ユーリは体の異常に吐き気を感じていた。
ともあれ、ユーリの声に暴徒たちは一瞬身を竦ませたようだった。
そして身を竦ませたのが恥ずかしかったとでも言うように、慌ててユーリを指差して非難の声を上げ始める。
「こいつ! 能無しのくせに生意気だぞ!」
すると、身を乗り出したのはロドリゲスだった。
「誰かベルトを脱げ、鞭代わりにする。それと何人かでそのガキの服を脱がせろ」
体の異常にふらつくユーリの両端を、二人の男が掴んで拘束し、一人がユーリの外套を脱がせにかかる。
ユーリも素直にやられるつもりはなかった。バタバタと抵抗するが、力のないユーリでは抗う事も容易ではない。
そのうち外套は脱がされ、上着を脱がされた辺りで、異変が起こる。
「おっとと、こいつ意外と力が強いな……」
両脇で抑えていた男の一人が、ユーリの抵抗に押しやられるように、数歩後退ったのだ。
そして、ユーリが上着を脱がされた後、続いて肌着をびりびりに引き裂いていた男が。
飛んだ。
「え?」
棚が砕けるけたたましい破砕音と一緒に聞こえたその疑問符は、誰のものだったのか。
もしかすると、飛んだ男自身だったかもしれない。
飛んだと言って、上に飛んだのではない。
男は真横に飛んで、壁の棚にぶつかって破壊し、砂埃を巻き起こして静かになったのだ。
しん。とした時間が過ぎる。
何があったのだろう。きっと、全員の頭の中にはそんな疑問があったかもしれない。
しかし、次の瞬間、全員の思考に答えがやってくる。
「放せえええええええええええええええええ!」
耳をつんざく怒号はユーリのものだった。その声と同時、両端を抑えていた男にユーリが拳を放つと、まるで冗談のような轟音がして、次の瞬間凄まじいスピードで真横に飛んでいき、棚も樽も、ぶつかった物全てを破壊して転がっていく。
その様子を見て怯えた男が、ついに刃物を手にした。薪割りなどで使う斧だった。
しかし、それはユーリにとって好機でしかない。
振りかぶった男の腕をユーリが強引に掴むと、腕はゴギリと生々しい音をさせてあり得ない方向に曲がる。
男から斧を奪ったユーリが、木こりの様にスイングして男の胴体に斧を当てると、男がまるで竹とんぼのように錐揉み回転しながら飛んで行き、やがて壁にぶち当たって地面に落ちた。
あまりに異常な状況に、ロドリゲスたちは戦意すら喪失してただじっと事の成り行き見ていた。
そして、ユーリの目を見て「ひっ」という悲鳴があがった。
「ひとり、残らず、ぶっ殺す」
ユーリは体から漏れ出る怨嗟を、言葉と一緒に区切るように吐き出して、斧を振り上げ疾駆した。




