第4話 三人で町に出てみないか?
「ユーリ、三人で町に出てみないか?」
ある日、そんな事を言い出したのはハリーだった。
町というのは、当然ハーシェル家領内の町、シエルの町の事である。
というのも、実は三人一緒に町に出かけた事は今まで一度もなかったのだ。
寧ろ、ハリー以外は屋敷を出た事すらなかったくらいだ。それなのに突然そんな事を言い出したのは、きっとハリー自身がダッダ村に代官として出立する前に、思い出が欲しかったのかもしれない。
しかし、気になる点もある。
「兄さん、エマも連れて行くの? 危険じゃない?」
「あー……そうか、そうだよね」
見るからに残念そうに顔を曇らせるハリーに、ユーリは思わず笑ってしまう。
いつも穏やかで冷静、そして優れた頭脳でなんでも完璧にこなす兄の少年のような一面を見て、微笑ましく思ったのだ。
実際ユーリは彼の事を、大学生だった前世の理人よりも大人で、出来た人間だと思っていた。
そんな完璧超人だと思っていた兄の意外な一面は、ユーリを実に1分以上も笑わせる結果となった。
「……そんなに笑う事かな」
「ごめん、兄さん」
不服そうな、それでいて困ったような顔のハリーに、目に涙さえ浮かべて謝罪するユーリ。なんでもないこの会話が幸せだった。もうすぐこんな会話も中々できなくなってしまう。
だからこそユーリは、兄にいい思い出を作ってあげたいと心から願ってもいた。
「でも兄さん、3人だけって事はないんだよね?」
「ああ、それは勿論。僕の世話役のロドリゲスには話を通しているんだ。彼が同行してくれる。父上と母上にも許可はとった」
そこまでちゃんと根回ししてから、ユーリに話したというところが実に兄らしいと感じる。
そして、そうやって周りが承認したというのに、ユーリのエマが危険かもしれないという発言一つで立ち止まろうとする姿勢は、素直に尊敬できると思った。
ユーリなら、「大丈夫だよ」と根拠のない事を言って自分本位に事を進めていただろう。
(やっぱり、それが器の違いって事なのかな)
理人であった頃のユーリであれば、男が男に惚れるだとか、誰かに一生付いていくとか、忠誠を誓うだとか、そういう気持ちは理解できなかった。
けれど、今は違った。
ハリーの為なら何でもできる気がするし、一生を捧げたっていい。この人が笑う未来は、きっと自分も笑っていられる未来なのだと思えた。
「大人も居るなら安心だね。兄さんも居るし、じゃあエマも誘って町で豪遊しよう!」
腕を掲げて言うユーリに、ハリーは眩しそうに微笑んで、「ああ、そうしよう」と言ったのだった。
○○○
「見てお兄様! 建物が沢山あります! 人も一杯!」
キラキラとした顔で馬車の外を見ながら言うエマ。ハリーはそれを美しい宝石でも眺めるように眺めて、「ああ、そうだね」とだけ呟く。
そんな微笑ましい様子に、ユーリは悪戯心が刺激された。
「でも、みんないい人とは限らないぞぉ? エマの事をいじめてくるかもしれないよぉ?」
「え!?」
にやりとしながら言ったユーリの嗜虐心に満ちた言葉に、大げさに振り向いたエマは狼狽し、弱々しくユーリを見つめる。
「どうすれば、仲良くなれますか?」
あまりにも純粋で怯えたその目に、ユーリは耐えられなかった。
「……ああ! もう! 嫌いな訳ないじゃん! みんなエマの事が大好きだよ!」
「本当ですか!?」
両手でわしわしとエマの頭を撫でまわすユーリと、ただただ困惑するエマ。その様子を絵でも見るように鑑賞していたハリーだが、思わず出てしまった笑い声を隠すように口を開いた。
「ほら、もうすぐ仕立て屋さんに着くよ」
その言葉にエマはキラキラと目を輝かせる。
「お兄様の服をお願いするのですね!? 楽しみです!」
「……まあ、それは今日じゃなくてもいいとは思うんだけどね」
恥ずかしいのか、頬などを掻きながら言うハリーだが、その顔は嬉しそうだった。そして、その顔を見れてユーリも嬉しかったのである。
というのも、これはユーリの提案だったのだ。兄、ハリーは15歳になる少し前に、侯爵家の夜会に参加する予定なので、その時に着ていく服を三人で発注しようという計画なのだ。
それをダッダ村に代官として赴く兄へのプレゼントとしたい。その考えに、エマも両手を叩いて賛成してくれた。
ハリーなどは、後ろを向いて隠していたが、目に涙を浮かべていたのをユーリは知っている。
単なる家族愛に大げさだと、笑う者もあるかもしれない。
けれどユーリ達にとって、それはきっと、貴族になってしまうと失うかもしれない尊いものだからなのかもしれなかった。
ユーリもハリーも、親の姿を見ている。だから、貴族というのがどれだけ領民の為に行動しようにも、恨まれる事など当たり前なのはわかっていた。
それはしょうがない事だ。貴族は教育を受けるが、民は基本的に誰からも教育を受けない。それでも町なら教団などが教育を行っているが、村になると文字の読み書きや簡単な計算もできない事がほとんどだ。
ダッダ村でノーフォーク農法を試験的に行う際も、多くの農民は嫌な顔をした。領主の息子は農民の事をおもちゃだと思っていると噂が立っているくらいだ。
実際に協力してくれている農家本人は快く引き受けてくれているのだが、回りからするとお遊びで農家の収入を減らして何かを企んでいると見えるのかもしれない。
これは例えの一つだが、それほどに、貴族がいかに説明を尽くし、将来的にみんなの幸せに繋がるように考えていると言っても、理屈が理解できないし、搾取する側の言い分だとしか捉えてもらえないものなのだ。
失敗すれば貴族のせいで、成功しても貴族なのだから当然の事。
そして、貴族は民の敵だと無条件に考えている人間もいるのである。
確かに貴族が失敗することもあるし、特にユーリ達の住むトラレイス帝国は戦争で血を流し、多数の国を支配して成り立っている国である。ユーリ達の領地も、元々はカズダレア王国という国が支配していた場所であり、帝国に侵略されてカズダレア王家は解体されたという歴史を持っている。
戦争をしていた時代は搾取がひどく、戦争などという愚行を行った貴族に、民は不満を持っているのである。
その現実と向き合う辛さ、苦悩は、両親の姿を見て良くわかっていた。
だからこそハリーとユーリは、少し大げさに見えるかもしれないが、人の温かさを家族に求め、そしてそれを毎日受けられる今だけの『子供』である時間を、尊いと思っていたのである。
「着きましたよ! ハリー様!」
御者台から聞こえたロドリゲスの声に、ユーリは深みにはまりかけた思考を現実に戻して馬車の外を見る。
すると、きらびやかなドレスや、装飾がそこここに飾られた服を展示している店が目に入った。
「行きましょう! お兄様!」
言って我先にと馬車を降りる妹の後ろ姿を見ながら、ユーリとハリーは一瞬目を合わせて、思わず笑った。
恐らくハリーも何事か将来の事を考えていたのだろう。
思わず笑ってしまったのは、今を楽しむ事が大事だと、妹に教えられた気がしたからだった。
○○○
それから数時間。
服の注文は意外と時間がかかるとユーリは学んだ。
というのも、前世の様に既製服という概念がないのだ。つまり、全てがオーダーメイドなのである。
では、みんな服はどうしているのかというと、自分の家庭で手作りらしい。
といって、貴族の仕立ては服屋が行うのだが、そういう意味で服屋というのは庶民の利用する場所ではないらしい。
そしてそれも、普通は服屋が貴族の屋敷に赴いて依頼を受けるというのが通例なので、展示されている服も数点あったが、殆ど裁縫工場のような店だった。
そして時間がかかったのにはもう一つ理由があった。
意外と絵心のあったエマと店主が意気投合してしまったのである。
エマの革新的なデザインに感銘を受けたらしい店主は、エマに「では、こういうのはどうでしょう」「こうしてみるのは?」と様々なデザイン案を投げ、エマがそれを「ダメです! それでは面白味がありません!」などとまるで一流のデザイナーのようにふんぞり返って新たな案を出す。
このやり取りが思いの外時間がかかり、ユーリとハリーはというと、ただ見ている事しかできなかった。
そうして、馬車に戻るころには日は落ちかけ、曇ってきた空模様が太陽の光を遮り、既に夜が近い事を知らせていたのである。
ゴトゴトと揺れる馬車は、静かだった。
先程まで騒いでいたエマも疲れたのだろう、今はすやすやと眠っている。
その寝姿すら可愛く、膝枕をしているユーリも幸せな気分だった。
しかし、ハリーは何かに気付いて眉間に皺を寄せる。
「ロドリゲス、これだと町の反対側から出る道にならないか?」
「ははは、すみませんハリー様、道を間違えて遠回りになってしまいました」
「そうか。申し訳ないけれど、もう時間も遅いからなるべく急いでくれるかな?」
「はい、勿論です」
「ありがとう、頼む」
そう結んだハリーの顔は、もう領主の顔といっても差し支えなかった。
優しさの中に頼もしさを感じる顔。
なのに。
(なんだろう。ざわざわする)
馬車の窓にぽつりぽつりと水滴が落ちてくる。
ユーリは、まるで心を下から火で焙られているような、そんなざわつきに思わず妹の手をきゅっと掴んでいた。




