第3話 あなたに出来るのは勉強くらいなのですから、しっかりしてください
それから10年の月日が経った。
生まれて数年の頃のユーリは、まだ自認が理人であったのだが、10年という年月はいつしかそれを薄め、今ではすっかりユーリ・ハーシェルとして生きていた。
しかし、早くもユーリの人生は暗雲が立ち込めている。
その理由は。
「ユーリ様。あなたに出来るのは勉強くらいなのですから、しっかりしてください」
そう声を掛けてきたのは、ユーリの世話役として毎日傍にいる男、モウガン・クラークだ。
白髪を後ろに撫でつけてオールバックにしており、口ひげも綺麗に整えた、まさに執事のような恰好をしているが、鋭すぎる目と、どこか大物のような風格が違和感を放っている。
ユーリ達が居るのは、小さな勉強部屋である。
本棚にいくつも本が並んでおり、勉強のための机が据えられている。
机には歴史の本が広げられていて、ユーリはそれに目を通している形だ。
そのすぐ後ろにモウガンが立ち、本の内容を解説している。
モウガンは、ユーリの事を出来損ないだと見限っている様子だった。
いや、彼だけではない。ユーリの家族以外は、ユーリの事を出来の悪い次男だと思っている。
その理由は、ひ弱さだ。
彼の生まれた国、トラレイス帝国の貴族は、強さや優れた頭脳を重んじる。実力主義だと言い換えてもいい。
これは能力よりも血を尊ぶ王国とは違い、出自よりも武をもって支配する事を是とする帝国主義的な考えからくるものだろう。
そういった価値観の中で、ユーリの兄であるハリー・ハーシェルはまさに文武両道、ハーシェル家の未来は安泰だと周りの貴族も称賛するほどの人物であった。
一方ユーリは、頭は悪くないとされながらも、良い訳でもないという評価だった。
そして、すこぶる体が弱いのである。
といって、病気がちというわけではない。寧ろ風邪すら引いた事がなかった。
そういう意味では健康であるにもかかわらず、不思議な程に体力がないのだ。
特に寒い日は最悪で、着込めば着込む程、倦怠感に襲われて何もする気になれない程である。
ただ、周りには言っていないが、風呂に入る時には体が快調になり、心すら晴れやかになるので、その時だけ全てを忘れて幸せという名の湯舟に浸り、そして寝間着に着替えた時にまた体の怠さが現実に引き戻してきた。
(チュートリアルもないし、ハードモードな状況……ハマれば良ゲーパターンかな)
そんな事を胸中で呟くユーリは、それでも前向きに人生を楽しむつもりだったし、自分なりに人生設計を立てていた。
(ハリー兄さんに有能な領主として頑張ってもらう。そして俺は、領地の代官として街づくりシミュをやるんだ!)
「……ユーリ様。聞いていますか?」
モウガンは片目を瞑ってユーリを睨むように見ていた。
それはモウガンの心中が穏やかではない時に見せる癖だと知っているユーリは、冷や汗を垂らしながら、「ごめんなさい、聞いてませんでした」と謝る。
その様子にモウガンは開いていた本をパタリと閉じて、溜息を吐く。
「えっと、ごめん。真面目に聞くから」
「いいえ、聞く気の無い人間に何を言っても無駄でしかありません。今日はこれで終わりにしましょう」
「……はい」
明らかに不機嫌なモウガン。けれど、それは当たり前の事だとユーリは反省する。
モウガンは明らかに優秀な人物に見えた。そして、母のオリビアに恩があるらしく、その恩を返す為に働きたいという気持ちが表に出ている事があるのだ。
それが、家督を継ぐわけでもない無能な次男の教育と世話を任されるなど、歯痒いのだろう。
そんなモウガンは、「失礼します」と小さく言って部屋から出ていった。
残されたユーリは、「あー!」と自責の念を声に出しながら頭の毛を両手でかき乱し、よし、と気持ちを切り替える。
(気分転換に、庭にでも行こう!)
そうして、ユーリは庭に出たのであった。
○○○
「あー、気持ちいいなあ」
爽やかな風。植えられた花の匂いは心を安らかにし、少し肌寒い空気は肺を洗うように感じる。
ウトウトと眠気が押し寄せるユーリに、気配を殺して近づき声をかける者があった。
「随分と幸せそうだね」
「ハリー兄さん!」
爽やかな笑顔で見下ろしている存在。それはユーリの兄、ハリーだった。
彼はユーリよりも4つ年上で、14歳である。この国では15で成人となるのだが、優秀なハリーは15歳になれば領地の一つであるダッダ村の代官になる予定だ。
そして、傍らにはもう一人居た。
「エマもいたのか! 全然気づかなかったよ!」
「えへへ、ごきげんよう、お兄様」
忍び寄って驚かせるという遊び心だったのだろう。それが成功して嬉しそうな顔で笑うエマ。
彼女はユーリの2つ下の妹である。
「うおおおお! 可愛い妹め! このこの!」
ユーリはがばっと起き上がって妹の肩を掴み、頭を撫でまわした。
エマも、もう少し大人になってくると髪型を気にして嫌がるのかもしれないが、今のところはきゃっきゃと笑って嬉しそうにしている。
そんな二人を柔らかな目で見ていたハリーは、ユーリの隣に腰かける。
「あの実験、うまく行ってるよ。輪作というんだっけ? 開始してから4年経過したけど、今の所収穫量は落ちてない。これは凄い事だよ」
「そっか、兄さんが代官になったら、全ての畑でそれを開始してみてよ」
「そうだね、一考の価値はある。ただそれだと、現状では労働力が不足してしまうかな。あと、詳しい原理が曖昧だから、育てる作物のパターンもいくつか試さないといけない」
「そういうもんなの?」
「ああ、部分的に効率が良すぎても、全体で見ると困る事はあるんだ」
「へえ、さすが兄さんだ。ね、エマ」
「そうです! ハリー兄さまは凄いのです!」
腰に手をあて、自慢げに言うエマに、ユーリは相好を崩す。
ただ一人、ハリーは真剣な目をしてユーリを見ていた。
「僕は、ユーリが発案したものだって公表するべきだと思うんだけどな」
言われて、ユーリは困り顔になった。
別に誰が発案したものでも構わない。というよりも、輪作はユーリの前世、理人が高校時代に、中世時代を舞台とした街づくりゲームで学んだ知識だった。大学になってからやった農業シミュレーターゲームでも、肥料を使わない場合は土地の栄養素が偏ってしまうため、輪作をしなくてはならなかったと思う。
だから、別にユーリが発案したという訳でもない。
今から丁度4年前に、ハリーが成人したらダッダ村の代官になると聞いて、実験的にこの農法を試してみたらどうかとハリーに提案したのがきっかけだった。
というのも、この国での農業は、同じ場所でひたすら同じ作物を育て、収穫が落ちてきたらその場所を休ませて別の場所を耕すというのが通例だ。
という事はつまり、別の畑を耕す前の年や、前々年は収穫量が落ちるのである。
それを農家はしょうがない事、として受け入れて過ごしてきたというが、輪作は同じ場所に毎年異なる作物を植える事で、土地の栄養をコントロールして収穫量を落とさずに保つのである。
そしてそんなユーリの提案を、ハリーはすぐに実験的に行うように領主である母に提案し、今に至るのだった。
正直にいうと、きっとこの知識は役に立つと思ったユーリではあるが、それで自分の名声を高めたいとは思わなかったし、寧ろ将来的に家督を継ぐハリーの手柄になるのであればその方がいいとさえ思っていた。
そしてユーリは、農業シミュレーターゲームも多数プレイしてきたが、そこまで好きではなかったのである。
これがストラテジー系ゲームの領地運営ならあるいは興味を持てたかもしれない、とも思うが、ゲームならともかく、現実の戦争などはごめんこうむりたいというのが本音だった。
だから。
「あーごめん、面倒くさいから、そういうの兄さんにお願いしてもいいかな」
ユーリがそう言うと、ハリーは目を細めて柔らかい笑みになる。
「……わかったよ。でもユーリ、僕が領地を継いだら、君を代官としてこき使うから覚悟しておくんだよ?」
ユーリの肩に手を置いて言うハリーの顔はとても優しいものだった。だが、決して目は笑っていない。
その様子にユーリは少し怖いものを感じて、「あ、はい」と応えて乾いた笑いを発する。
すると、ハリーはそれが可笑しかったのか突然笑い出して、エマもろともユーリを抱きしめる。
「僕は、君たちが大好きだ。来年には僕はダッダ村に行くことになるけれど、何かあったらすぐに帰ってくるよ。僕が、君たちを絶対に守るから」
まるで王道RPGの勇者が言うようなセリフ。
ゲームなら、絶対にハリーは主人公だろう。そんな事を思うユーリ。
モニターに向かって操作しているキャラクターのセリフだったなら、ちょっとクサいなと苦笑いしたかもしれない。
けれど、ハリーの体温を感じながら、ハリーの想いの籠った言葉を聞くと、本当に心に響くから不思議だった。
「兄さん。俺も、兄さんが大好きだよ」
「私も!」
そしてしばらく、三人は言葉もなく抱き合っていた。




