第23話 死にたいのか!
ベロニカに付いて走っていると、甲高い鳴き声がチラホラと聞こえるようになった。
併せて、何かを蹴りつけるような音、木が揺れる音、そんなものも聞こえてくる。
そして、ついにとうとうその姿を発見した。
そう太くない木の、人間がジャンプしても届かないくらいには高い枝に、一人の青年がしがみついている。
恐らくあれがジンだろう。まずは生きているその姿に一同は安堵した。
次いで目に入るのは、周囲を囲むように存在する、獰猛な生き物だ。
爬虫類特有のザラザラとした肌に、凶悪な爪を備えた足。二本足で立っており、シルエットだけを見るとダチョウなどに近い。ただ、それよりも前傾姿勢の骨格になっているが、尻尾でバランスをとっている。
まさに図鑑で見たユタラプトルと一致する見た目だった。
今、その獰猛な生き物が涎を垂らし、ある者はグルグルと巡回し、ある者は木の幹を蹴りつけ、またある者は枝の根元に跨って震えているジンに向かって鳴き声を浴びせていた。
ジンは怖くて泣いている様だ。
それを見たユーリは我を忘れ、剣を引き抜いて駆け出そうとする。
「馬鹿! 死にたいのか!」
ハズスに首根っこを掴まれ、草むらに押しやられるユーリ。
何故止めるんだと抗議の目を向けると、ハズスも烈火の如き怒りを目に浮かべていた。
「後先考えずに動くんじゃねえ! 馬鹿かお前は!」
声を潜めながらも怒鳴るハズス。納得いかない顔のユーリを置いて、全員が草の影に集合した。
「……まずは退路の確認に人間を割きたいが、こいつは厳しいか」
ハズスがセリアを見ながら言う。
セリアは恐怖のあまりに震えており、とても動けそうには見えなかった。
瞳孔が完全に開いてしまっていて、カチカチと歯の鳴る音がこちらにまで聞こえてくる。
ユタラプトルは、数え方が匹なのか頭なのかはわからないが、ともあれ目に映るのは6匹程度だった。
こちらもジンを頭数に入れれば人数は6人だから、頭数だけで言えば同じなのだが、守りながら戦わなくてはならないこちらが圧倒的に不利な上に、動けない者が居るとなると、どうなるかわからない。
彼我の戦力差を見定めようにも、敵はおろか味方の強さも分かっていないユーリには、何も測る事などできはしなかった。
クリスは一瞬だけユーリを見て、ハズスに向かって潜めた声を発する。
「退路の確認は、ベロニカに任せよう」
「ああ、それしかねえか、にしても──」
ベキベキ、という大きな音が、ハズスの言葉を遮った。
見やると、ジンが跨っている枝の根元に、亀裂が入っている。
「まずいな」
呟いたのは誰だったのか。ともあれ、時間がない事は誰の目にも明らかだった。
ユーリも、ジンの様子から目が離せなくなってしまっていた。
ジンは、銀髪の青年だった。きっと顔も、本来は幼いが可愛い顔と言えそうな顔なのだろう。それが今、顔を皺皺にして、涙で至る所を濡らし、醜い顔をしている。
先程まで黙っていた彼も、自分の先が短いであろうことを知ってか、狂ったように叫び出した。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 違う、違う! こんなの! 違う! だってまだ……まだ何も……嫌だ! 死にたくない! 死にたくない! 死ぬのは嫌だ!」
頭を振り、時折髪を掻き乱す彼には、もうきっとまともな思考は出来ないのだろう。
幹にしがみついた方が生存の確立は上がりそうなものだが、彼はもうそろそろ折れそうな枝にしがみつき、じっとしていた方がいいのに、頭を振ったり枝に額をこすりつけたり、じっとしていられない様子だった。
ユーリの目には、その姿とハリーが重なって見える。
あの時も、ハリーはこうして現実を否定して泣き叫びたかったのだろうか。
いや、当然そうだ。自分だってそうなるだろう。
目の前に死と苦しみがあって、何をやっても、どうやっても逃れる事ができない。
そんな状況になったなら、誰だって恥も外聞もなく嫌だ嫌だと泣き叫びたくなるだろう。
けれど、ハリーはそうしなかった。きっとユーリやエマの為に、少しでも希望を持たせるために我慢していたのだろう。
「嫌だアアアアアアアアアアア!!」
ジンの声が聞こえる。
奪われてたまるものか。これ以上、泣いて終わるなんてごめんだ。
その気持ちがユーリの中で高ぶって、頭が真っ白になって──。
「お、おいユーリ!?」
「黙って見ていられるかあああああああああ!!」
ハズスの制止を振りほどき、ユーリは飛び出していた。
袈裟切りに振り下ろした剣は、ユタラプトルの胴体に当たり多少の肉が見える程度には切り裂く。
といって、ユーリは剣術など碌に学んでいないから、剣を叩きつけたに過ぎない。あまりダメージはないだろうが、注意を引く事はできた。
「一匹残らず俺が……ガハッ!」
ユーリが啖呵を切ろうとした刹那、横合いから別のユタラプトルの足が飛んできた。
堪らず吹き飛ばされ、木の幹で背を打って倒れるユーリ。
その頭上でメキメキという音が大きく鳴って、何かが落ちてくる。
ジンだった。彼は落ちてきた格好のまま、蹲って震えている。とても共闘できるような状態ではない。
「ああ! くそ! お前らいくぞ!」
ハズスはやけくそになってそう叫び、腰袋から取り出したバンダナを、マスクのようにして口元を覆ってから草むらから飛び出した。
そして群がっているユタラプトルに向けて、小さな袋を投げつける。
すると、小袋には何が含まれていたのか、粉のような物がまき散って数匹のユタラプトルが悶絶する。
「そいつぁ香辛料っていう代物だ。高かったんだぜ? じっくり味わいな! おら! 長物!」
「了解だ!」
次いで矢のように飛び出したクリスが悶絶するユタラプトルの一体の喉を槍で突き刺し、そのまま力ずくで頭を地面に引きずり下ろした。
「ベロニカ!」
「わかってる!」
ベロニカの声は、上からだった。
声を発した時には既に飛び上がっていたベロニカは、二本の斧を大きく振り上げ、着地と同時にユタラプトルの首に叩きつける。
どれほどの衝撃だったのか、ユタラプトルの首は遥か彼方に飛んで行った。
「立ち止まるな! 次だ次!」
自身もユタラプトルの背を跳び箱の様に飛び、横から飛んでくる蹴りを地面を滑って躱しながらハズスは指示を飛ばす。
一方ユーリはというと、幹に叩きつけられた拍子に剣を落としてしまい、今まで体験した事の無い激痛に顔を歪めつつも立ち上がっていた。
冒険者たちに比べて情けない様にも見えるが、それは仕方ない事である。前世でも喧嘩などした事のないユーリにとって、吹き飛ばされる事も、幹に叩きつけられる事も初めてなのである。
ゲームやアニメでキャラクターがよく「これはアバラが逝ったな」というような台詞を言っていた事を想い出すが、どうしてそんな事を自己診断できるのか理解ができないと思う。
動く度に激痛が走るし、臓器か骨に何かあってもおかしくはないと思うが、それがどの程度の傷なのかわからなかった。とにかく痛い事だけはわかる。
それでも立ち上がったユーリを、ユタラプトルは「ギャッギャッ」と、まるで笑うように鳴いて待ち受ける。
そして、口を大きく開いたユタラプトルは、あろう事か蹲って動かないジンに向かって噛みつこうとする。
「ば……っかやろう!」
痛む体を鞭打ってジンの前に割り込んだユーリだが、ユタラプトルの噛みつきを防ぐ手立てなど無かった。
だから、辛うじて体と頭を守るように、左腕を前に出す。
「いってえええええええええええ!!」
「ユーリ!」
ハズスが名前を叫ぶが、その声はユーリには届かない。
噛まれた左腕からは血が噴き出し、じんじんと痺れた感覚の後、信じられない痛みが襲ってくる。
歯が砕ける程に噛みしめて耐えるユーリだが、ユタラプトルはそれだけでは許さなかった。
「ぎ……めろ、クソがぁ……!」
食いしばった歯から漏れるように自分を叱咤するユーリの体を、いとも簡単に持ち上げ、そのまま地面に叩きつける。
それも一度だけではなかった。頭を8の字に振るようにして連続でユーリの体を地面に叩きつけてくるのだ。
叩きつけられる度に、打ち付けられた背中は激痛が走り、その衝撃で肺の空気が全て外に出てしまう。
それだけではない。噛まれた腕も遠心力で引きちぎられそうだった。
激痛と脳の揺れ、そして欠乏する酸素。ユーリは、意識を飛ばす一歩手前である。
けれど、それを繋ぎとめるのは、怒りだった。
許せなかったのだ。弱肉強食は自然の摂理とはいえ、ユタラプトルはこんな事をしなくとも、恐らくユーリを喰えた筈だ。
では何故こんな事をしているのか。
それは、甚振っているのだ。決して自分には勝てないであろう弱者を、なぶって嗜虐心を満たしているのだ。
ユーリの知識の中には、前世で肉食の生き物はそういう事をすると知っていた。身近な存在だと、猫がネズミを食べる訳でもなく甚振る事があるらしい。
けれど、前世のユーリは、いや、理人は、どこかそれを自分とは関係のない、ただの知識の一つくらいにしか思っていなかった。
けれどユーリは、この目を知っている。この歪んだ目を見た事がある。
石を手に、執拗に兄の喉を狙って笑う男。目を潰そうと棒を逆手に、突き刺す様に何度も上下に動かしてヘラヘラしていた男。力がないからなのか、長い棒に全体重を乗せる様に棒を突き刺そうとしてうまくいかず、喚く女。
奴らと、同じ目をしているのだ。
それは当然の事かもしれない。それが生き物なのかもしれない。
けれど、許す事など出来るはずがない。それが世界の常識なのだとしたら。
全部壊してしまえばいい。力でねじ伏せ、叩き壊す。何故ならユーリは、野蛮人なのだから。
「ぬぅぐぁああああああああ!」
体中の力を動員して、下半身を持ち上げたユーリは、足をユタラプトルの首に巻き付けしがみつく。
嫌がって暴れるユタラプトルだが、それでもユーリは離れない。
そして、腰に差していたハズスに借りたナイフを引き抜いた。
「食らえ化け物がぁ!」
ナイフを思い切り相手の目に突き立てると、一瞬顎の力が緩み、首を振る動作をした。
が、それでも左腕は離れなかった。
「くそ……! 放せよ!」
叫ぶが、話が通じる相手でもない。益々首を振って頭を地面に当てるようにして、ユーリの体を痛めつけてくる。
いよいよ力尽きそうになるユーリの耳に、女の鋭い声が聞こえた。
「当たって!」
その声と共に、凄まじい衝撃がユーリとユタラプトルの体にぶつかった。
ユタラプトルの顎の力が緩んでいた事もあって、弾かれるようにユーリの体が飛んでいく。
地面に叩きつけられたユーリは、素早く身を起こし、まず確認したのは左腕だった。
「まだ引っ付いてるな。つか……あんまり直視できないなこれは……」
服が長袖だった事もあって、一瞬見ただけではただの赤い塊くらいにしか見えない。が、詳しく見てしまうと気持ちが萎んでしまいそうだった。
先程までユーリに噛みついていたユタラプトルに目を向けると、衝撃で飛ばされた先が丁度クリスの前だったらしく、首を突き刺され、絶命した様だ。
残ったユタラプトルは二匹。こちらは全員無事だった。
「どうやら勝てそうか。セリア、ありがとう」
声を掛けると、手を前に突き出して構えたままだったセリアは、びっくりしたようにこちらを向いた。
あの時の衝撃は、セリアのものだったのだろう。ハリーもよく使う衝撃波の魔法だ。
曰く、力術の基礎魔法の一つらしいが、魔法の使えないユーリにはよくわからない。
そしてとうとう、最後の一匹がベロニカの手によって倒された。
ユーリはズキズキと、頭まで痛くなる左腕を庇うようにしながらも、皆に礼を言おうと思った。
「みんな、ありがとう。助かったよ」
「馬鹿! 油断すんな! 退路! 退路を見つけろ!」
「え?」
何故か焦っているハズスに、ユーリは疑問符を浮かべる。
が、その真意は、すぐに分かった。
「ああ、こいつぁ駄目だ」
ハズスは地面に座り込む。何かを独白するように、苦笑して言葉を続ける。
「上手く生きてきたつもりなんだがなあ。どうしてこうなっちまったのか。まあでも、最後は人間として死ねるなら、まだマシかな。なあ、お前らどう思うよ」
「俺は正直、まだ未練があります。けれど、これも運命でしょう」
ハズスの問いに、クリスも笑顔だった。カランと音がしたのは、クリスが武器を地面に落とした音だった。
「私は最後まで戦う。無駄でも構わない」
ベロニカは斧を構え、戦う意思を見せる。
セリアは最早目を瞑ってしまっていたし、ジンは相変わらず蹲っている。
ユーリは。
(なんなんだよ。ふざけんなよ)
胸中で悪態をついて、呆然としていた。
周りには、360度、どこを見渡しても目、目、目。悪意と嗜虐心に満ちた目がひしめいている。
見ただけでも優に50匹を超えるユタラプトルに、囲まれていた。




