これは現実じゃない
ユタラプトルの脅威は、群れる事です。そうモウガンが言っていた記憶が頭の中に再生される。
もっとまじめに聞いておけばよかった、などと今更ながらに思う。
周りを見渡すと、誰も彼もが絶望をしていた。いや、ベロニカだけは生きようと目に力が宿っている様だった。
それよりも外側。ユーリ達をぐるりと囲んだユタラプトルの目は、喜悦に歪んでいるように見える。ユーリは、同じ種族でなくても、言葉が通じなくても、相手の悪意はわかるんだなと、どこか遠い自分が囁いているのを聞いていた。
ユーリは震えていた。その震えの源は、最初は恐怖だった。
これから死ぬ。それもただ死ぬだけじゃない。さっきのユタラプトルの嗜虐心に満ちた目を思い出す。きっと、簡単には殺さないのだろう。
これから経験するのは、地獄のような痛みと、絶望の連続なのかもしれない。
怖くて当たり前だった。これを怖くないと感じるなら、それは最早生物ではない。
けれど、そんなうすら寒い震えから、だんだんとユーリの中で燃え滾る何かが別の、もっと温度の高い震えに変えていく。
恐怖は悲しみになり、悲しみは悔しさになり、悔しさはだんだんと。
怒りに変わる。それは、前世にはなかった感情だ。
しかし、ユーリの中にある理人が対立する。
突然震えが収まったユーリは、まるで危険のない物。例えばモニターでも見ているような顔になる。
(これは現実じゃない。俺の身に起こっている事じゃない。キャラクターが経験している事なんだ。この苦痛は自分のものじゃない。これから味わう苦痛も恐怖も、自分のものじゃない。きっと薬草を手に入れれば回復する。リアル系のゲームだから、調合が必要かな。前にやったゲームだと、ヨモギやオトギリソウが傷薬になった筈だ)
どんどん醒めていく頭。いつしか痛みもどこか遠いものにすら感じ始めた。
だが、腹の奥で燃え滾る何かは、それに反抗した。
ぐつぐつと燃え盛るマグマのような物が、冷えていく体を熱して、どんどん上昇していく。
それは胃、喉を超えて、とうとう頭にまで昇ってきた。
(違う! これは現実だ! 俺の人生だ! こんなところで終わらせてたまるか!)
カッと一瞬真っ赤になった視界。震えは収まっていた。変わりに、呼気すらも熱いくらいに体温が上がっていた。
一歩、一歩、ユーリは進む。
「ユーリ……?」
誰かが名前を読んだ気がする。それはベロニカだったような気がするし、ハズスだったかもしれない。
けれど、ユーリにはもうそれが誰だろうと関係なかった。
他人に、自分の人生を委ねる訳にはいかないからだ。
「かかってこいよ……」
小さく呟いたその言葉は、誰も聞き取れなかったかもしれない。
だが、ユーリはすうっと大きく息を吸い込むと、ユタラプトルの一匹を睨みつけた。
「かかってこいよ!! 1匹残らず、ぶっ殺してやる!!」
ユーリの腹の底からの叫びは、周囲に衝撃すら起こす程だった。
事実、木がざわざわと揺らめいたのである。
そして、それ以外にも効果が表れた。
目だ。ユタラプトル目が、喜悦の歪みから、別の歪みにゆっくりと変わる。
何に変わったのかは、ユーリにもわかった。
恐怖だった。
ユタラプトルは、怯えていた。
1匹のユタラプトルの恐怖が伝播したのか、それとも最初からそうだったのか、目の前のユタラプトル以外も、怯えた目を揺らし、じりじりとユーリ達に背を向けないまま後退していく。
1匹が背中を見せて逃げ出してからは、早かった。
あんなにも脅威だったユタラプトル達が、我先にと背中を見せて走り去っていく。
数秒後には、もうユタラプトルは1匹も残っていなかった。
「なんなんだよ、こりゃ……」
ハズスが呆然と呟いた傍らで。ベロニカも怪訝な顔をする。
「助かった……のか……?」
皆が呆然と飲み込めない現実咀嚼しようとしている中、ユーリは、意識を失って倒れた。
「お、おい! 大丈夫か!」
そんなハズスの声が、遠くで聞こえた気がした。
○○○
ユーリは、いつの間にか暗闇の中に居た。
視界は全て真っ黒だった。目を閉じても開けても変わらない。
だから今、目を開けているのか閉じているのかすらわからない。
ぼんやりとした意識の中、ある事に気付いた。
体が動かない。痺れているとは少し違う。まるで力を入れようとしても、その方法を忘れてしまったような感覚がして、うまくいかない。
という事は、もしかすると視界が真っ暗なのではなくて、瞼を開く事が出来ていないだけではないだろうかと思ったユーリは、一度ギュッと目を閉じて、そしてゆっくりと目を開いてみる事にした。
ギュッと瞼を閉じる動作は、手足を動かそうとした時のような力の入らない感覚はしない。確信とまでは言い難いが、きっと瞼を閉じる事は出来ているのではないかと思う。
そして、目を開いた。
すると。
そこに、居た。目が合った。
鼻と鼻がくっつきそうなくらい近くに。
サルの顔があった。
(なっ!?)
声に出して叫びたかった。けれど不思議な事に声が出ない。
口も瞼と同じで、動かせている感覚はするのだが、肝心の喉がうまく動かなかった。声帯が開きっぱなしというような、今まで感じた事の無い不自由な感覚である。
体中が不自由なのに、そこだけは活発に動く心臓がバクバクといってユーリの心を掻き乱すが、まずは落ち着く必要がある。
ユーリは、今自分がどういう状況なのか記憶を確認しながら、じっとサルの顔を観察した。
記憶は定かではないが、少なくともこのサルと出会ったという記憶はない。こちらがじろじろと観察する事をサル側はどう思っているのかわからないが、同じようにサルもこちらをジロジロと観察している。
そして、サルが口を開いた。
『苦シイ、痛イ』
言われてみれば、苦しい気がした。痛い気がした。
左腕が焼けるように熱くなり、ジンジンとした痛みもする。
胸の辺りも痛みがひどく、圧迫感を感じて苦しい。
(いや、それは俺の状況であって、サルは関係ないよな)
何故かはわからない。サルが言っているのは、自分の状況の事のように感じたのだ。
『本当ハ、何モシタクナイ。痛イノモ、苦シイノモ嫌ダ』
その通りだ。閉じこもってゲームでもしていた方がいい。けれど、この世界にはゲームなんてものはないし、閉じ籠り続ける事を許してくれない。
『人間ハ嫌イダ。汚イシ、怖イ。ミンナガハリー兄サンミタイニ立派ナ人間ナラ良イノニ』
それもその通りだ。尊敬するハリーはあんなにも立派な人間だと思うのに、同じ人間だなんて認めたくない程に嫌な人間が存在する事も事実。出来るならそんな人とは関わりたくない。
『デモ、本当ニハリーハ立派ナノカナ。エマハ良イ子ナノカナ。母サンハ、優シイノカナ』
冷や汗が流れている感覚がする。
それ以上は言うな、言わないでくれとユーリは願った。
『立派ナ部分モアルダロウ。デモ結局、同ジ人間』
(その先は言うな! わかってる!)
『ダカラ』
(やめろ!! 頼む!! 言葉にしないでくれ!!)
サルが、ニタアっと笑う。
『オ前ハ本当ハ、ハリーノ事モ、大嫌イナンダ』
○○○




