第21話 誰か助けて!
ユーリが入って来た時よりも重い沈黙が、酒場にのしかかった。
しかし、その沈黙を破ろうと、青い髪の女は涙をぬぐう事も忘れて叫ぶように嘆願する。
「誰か! お願い! 誰か助けて!」
酷い恰好だった。誰の返り血なのかわからない、体の至る所に血の色が見え、きっと普段は綺麗なのだろう腰まで伸ばした髪はボサボサで、顔にも貼り付いている。
何度かこけたのかもしれない、顔も泥だらけで、必死にここまでやってきたのが、姿だけでもわかった。
「わた……私、私が誘ったの……狩人組合の人たちが、美味しい狩場があるって……だから、一緒に行こうって……私……だから……お願い……誰か……お願い……」
とうとう崩れ落ちて、顔を覆って泣く彼女。最早、彼女自身も何を喋っているのかわかっていないだろう。それくらいに錯乱しているように見えた。
南の森というものがどこにあって、どんな場所なのかはわからないが、ユタラプトルという名前はユーリも知っていた。
それも、前世とこの世界両方で知っている。
前世では、恐竜の居る島でサバイバルするゲームなど、恐竜が出てくるゲームで知ったのだ。そう、ユタラプトルは前世では恐竜と呼ばれた存在だ。
特にユーリがプレイしたサバイバルゲームでは、序盤から出現する癖に異様に強く、しかも足も速いため逃げられない。装備が揃う中盤以降であれば対処できるが、そうでない序盤に出会えば天を仰いで死を受け入れるしかない、そんな不条理な存在だった。
そしてこの世界では、屋敷から殆ど出た事がないため実際に見た事は無かったが、モウガンから教えて貰ったし、図鑑で姿も確認している。
この世界でユタラプトルは動物で、鳥竜という種類の生き物だ。シルエットは鳥のように二本足で歩き、羽の代わりに後ろ脚に比べるとかなり小さな前脚が付いている。ちなみにその前足の肘の部分には多少の羽根が生えており、確かに鳥の仲間だといわれればそう思うかもしれない。
しかし肌は爬虫類のように固く、ざらざらとしており、色は青色の個体が多いという。
そして顔は、まるでドラゴンのような凶悪な牙の並ぶ大きな口を携えた顔をしており、これも竜の仲間だと言われればそうなのかもと納得できそうな顔をしていた。
勿論、肉食である。
奇妙な事に、前世で知ったユタラプトルと、この世界で知ったユタラプトルの容貌はおおよそ一致している。その事実がどういう意味を持つのか、ユーリには考えてもわかりそうもなかった。
ともあれ、この世界でもユタラプトルは魔物ではないものの、かなりの脅威であるらしい。
モウガンの説明によれば、下手な魔物より脅威となる事があるという話だった。
この世界の魔物と動物の違いはシンプルだ。魔力で動く生き物は魔物。電気で動く生き物は動物という違いだ。
魔力の方が様々な干渉を起こし、例えば肌を硬質化させて刃物を防ぐ事なども可能なため、強さという意味では魔物の方が強い筈だが、それでもユタラプトルが脅威とされるのは、動物の中では俊敏で力が強く、そして群れる性質があるからだという。
この酒場の静まり返った雰囲気をみるに、冒険者にとってはかなりの脅威なのだろうなと想像できた。
そろそろユーリも何か行動を起こすべきか、そう考えていた時である。
酒場の奥の方の、隻眼の男が静かに、しかし入り口にも聞こえるほどはっきりとした声を発した。
「もう食われてる。諦めろ」
「っ!」
女は、声にならない声を、いや、勢いよく息を飲む音だったのかもしれない。ともあれそんな音をさせて震えながら男を見る。
そして、何かを悟ったのか。それとも考える事を放棄したのか。「うわあああああああ!」と恥も外聞もなく声を上げて泣き崩れた。
「お前は生き残って幸運だったと考えろ」
「私のせいだ! 私の……お願い……誰か……ねえ誰か! 助けてよ! お願いだから!」
「後は、この件を狩人組合にも知らせないといけないな」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
何を言っても、狂ったように泣き叫ぶ事しかできない彼女。
それを皮切りに、冒険者たちもざわざわと会話が始まる。
「可哀想だが、しかたない」
「まあ俺たちが行っても無駄死にだしな」
「しかし、あそこでユタラプトルが出たとなると困るぞ」
「ああ、冒険者協会を通じて領主に相談してもらうしかないが、討伐してくれるだろうか」
「リク、ルル、ジン。惜しい奴を亡くしたな」
「そうだな、あいつらの分もちゃんと生きなきゃ」
わんわん泣いている女を脇に、冒険者たちはもう前に進もうとしている。
いや、前ではない。別の道というべきだろうか。目の前の危険な壁は迂回する事が当たり前のように、話が進もうとしている。
ただ一人、泣きわめく彼女を置いて。
酒場に入った時に肩を掴んでいた男は、目を伏せていた。あんなにも偉そうな口をきいた癖に、こうなったらやり過ごそうとしている。
クリスという青年もそうだ。目を伏せて肩を震わせている。きっと本意ではないのかもしれない。けれど、動き出そうとはしない。
その隣にいる黒髪の女もだ。ユーリの時は誰に頼まれないでも横から口を挟んできたのに、今は口を堅く結び、まるで存在感を消しているようにも見える。
ユーリの腹の底から、熱いものが込み上げてくる。同時に、目を閉じるとあの光景が浮かび上がってくる。
何も出来ずに、兄が棒きれで、石で、拳で、ハンマーで。殴りつけられては赤いものが飛び散る、あの光景。
耳から兄の声が聞こえてくる。
『ごめん、その約束、果たせそうにない』
あの時のハリーの悲しそうで、それでいてどこか諦めたような顔。見る者すべてを悲しみのどん底に突き落としそうな、強がった顔。
そんなものを、二度と見たくない。
その想いが既に喉元までやってきている。ユーリはもう、止まる事などできなかった。
「ふざけんなよ!!」
ユーリの叫びは、ビリビリと空気を震わせ、卓上の食器すら震わせた。
酒場に静寂が訪れた。それは、大声で泣いていた青い髪の女すらも驚いた顔で泣き声を止める程の大音声だった。
「出来ない理由ばっかり並べやがって! 困ってる人がいるだろ! 泣いてる人がいるだろ! 助けたいって思わないのかよ!」
全員が沈黙を守ろうとする中、隻眼の男は冷静に言葉を返した。
「お貴族様はユタラプトルの怖さを知らないんだろう。あんなものはお前ら貴族がどうにするべきだ。それか、教会を通じて騎士団に──」
「そういう事言ってんじゃねえ!!」
ユーリの声に圧倒され、隻眼の男は黙り込む。
ユーリの方は止まらなかった。
「貴族だとか領民だとか! そういう事じゃなくて! 人としてどうなんだって言ってんだ! 貴族だろうが庶民だろうが、腹が減ったら飯食って、飯が美味かったら幸せになって、大切なものを失ったら悲しくなる、同じ人間だろうが! 泣き崩れてる人にてめえらは手を差し伸べないのか! 力が無かったとしても、涙を拭いてやるとか! 言葉をかけてやるとか! 出来る事はないのかよ! なんにもしない癖にただただ出来ない理由を垂れ流しやがって! 恥ずかしくないのかお前らは!」
フツフツとした怒りは、吐き出しても吐き出しても次から次へと湧いてくる。
「俺は行く! 俺に出来る事をする! いいか! 俺はもう、お前らを同じ人間だなんて思わない! 人間の下で餌でも食ってろ!」
そしてくるりと踵を返し、目を見開いて驚いている青い髪の女に声をかけた。
「行こう。悪いけど道がわからない、案内して欲しいんだ」
ユーリが差し伸べた手を女は取り、立ち上がる。
しかし、それを呼び止める者があった。
「おい待てよ」
「あ? なんだよ」
最初に喧嘩を売ってきた禿頭の男だった。ユーリも最早喧嘩腰である。
「お前、ここへは何で来た。馬車か?」
「いや、歩いてきた」
そう答えると、禿頭の男は、しょうがねえな、と呟く。
「依頼で預かってる馬がすぐ近くに4頭いる。そいつを使え。お前、馬乗れるか?」
「あ、あんまり自信ない」
「……はあ。しょうがねえな、俺が乗せてやるよ」
「いいのか?」
「はっ、何言ってんだ。俺も一応、『人間』だからな」
そう言って笑う禿頭の男。そこに革鎧の男が声を掛ける。
「おい、いいのか? 依頼の馬失ったら、どうなるかわからないぞ」
その懸念に、禿頭の男はヘラヘラと笑って答えた。
「どうにかなるだろ。じゃあ行こうぜ」
「待って欲しい!」
扉に向かったユーリ達を止めたのは、クリスだった。
「俺も行く。人手は多い方がいい。それに、ジンには借りがあるんだ」
「私も行く。耳はいいから、多分役に立てる」
黒髪の女も申し出てくれる。啖呵を切っておいてなんだが、正直一人ではどうにもならないかもしれないと不安になっていた所である。
だから、ユーリは素直にその気持ちを伝えることにした。
「ありがとう。助かる」
そう言って頭を下げる。その様子に、一瞬ざわりとした空気を感じた気がした。
頭を上げた頃には、困ったような顔をした禿頭の男が頬を掻きながら口を開く。
「……お貴族様の獲物は、やっぱ剣だよな」
「え? あ、ああ」
思わず肯定してしまったが、一応帯剣はしている。実は斧の方がいいなんて言い出せない雰囲気だ。
「こいつも持っとけ。剣はすぐ折れるし、すぐ切れなくなる。相手は動物だから大丈夫だと思うけど、念のためだ」
言って、ナイフを投げて寄越した。
あまり上等なものではないが、長く使っている代物なのだろう事は見てわかる。という事はつまり、手入れをして大切に使っているものなのだろう。
そうして、ユーリ達は馬の元に向かい、禿頭の男の後ろにユーリ。クリスと黒髪の女、青い髪の女の5人で南の森へと急いだのだった。




