17.奇跡の終わり
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一瞬後、自室に戻ったユーリは外への扉を開いた。扉のすぐ外にアンジュがいた。いつもは笑顔なのに、今日はどこか沈んだ顔をしている。
「アンジュ? いったいなにがあったんだい?」
「ユーリ……落ち着いて聞いてほしいの。あなたの、あなたの御両親が……今、亡くなったわ」
ユーリの身体の中を稲妻が駆け抜けていった。
「え……?」
「あなたの御両親が、二人とも、亡くなったのよ」
アンジュは静かに繰り返した。
「父さんと、母さんが……死んだ?」
こくりと無言でアンジュは頷いた。
「……どうして?」
「おそらく『寿命』だと思うわ。イエティの力をもってしても、ここまでが限界だったみたいね」
「…………」
「今、医師がくわしいことを調べているわ。とにかくユーリ、行きましょ。……ユーリ?」
目を見開いたまま動かないユーリに、アンジュはそっと呼びかけた。
「……ごめん。少しの間だけ、待ってくれる? 少しだけ、一人にして欲しい」
「わかったわ」
ユーリは自室に戻り扉を閉めた格好のまま、座るわけでもなく、少しも身動きできず、ただ固まっていた。今聞いた言葉をまだ信じられなかった。
(父さんと母さんが死んだ? まさか、まさか! だっていつも自信満々だった父さんが、日和見的な母さんが、そんな簡単に死ぬはずがない! 僕が期待通りの子供になるまで、生き続けるはずなんだ! ……いや。もう、期待にこたえなくていい。二人がいないのなら、僕はもう、無理しなくていいんだ)
「……ふ、ふふふ、ははははっ」
乾いた笑いがこぼれる唇の端を、一筋の涙が通った。
ユーリの両親の葬儀は秘密裏に行われた。イエティの移植者ということがまずトップシークレットなのだ。参加者はユーリとアンジュとマリア。ジーニィやクリオネ、リマキナにすら事実を知らされただけだった。
弔客の少ない葬儀は早く、その日のうちに遺体は焼かれた。
ユーリは片手で持てる小さな入れ物に入った両親の骨を、部屋に持って帰った。今の地球人には墓を作ることを許されていないので、骨はそのまま破棄されるか、親族の部屋に置かれることになる。
ユーリは部屋のイスに座り、小さくなった両親を見ていた。
(僕はこれで自由になったんだ。もうなにも僕を縛るモノなんてない。僕は自由なんだ!)
研究室からもさすがに今日は休むように言われていた。
(久しぶりに『アース』がしたいな)
RPGアースでジーニィとクリオネを検索する。二人はすでにプレイ中らしく、名前の横に『in erath』の印があった。
(いたいた。二人ともどこまで進んだのかな?)
制作者モードで裏から調べると、二人はちゃくちゃくとイベントをこなし、レベルも上がって悠々と冒険をしているのが見えた。
(もうお助けアイテムがなくても大丈夫そうだね)
軽々とザコ敵を倒し、ボスすらも二人で余裕を感じられるほどだ。ユーリはモニターから目を離す。
(……いきなり別れたことだし、イエティに会いに行こうかな?)
「『光』」
光るコンソールが現れる。
「『移動先コードナンバー、A101531』」
コードを用意しているユーリにアナウンスが入った。
「あなたは宇宙人区域に侵入する権限がありません。繰り返します、宇宙人区域に侵入する権限がありません」
コンソールの光はゆっくりと薄れて消えた。
(……また十二年後なのか?)
呆然としたユーリは、ぎこちない動きでベッドに横になった。
(時間ができたらできたですることがないって……。僕はこんなに無趣味だったかな?)
そのまま、ゆるやかに眠りの世界に落ちていった。
翌日、久しぶりに赤道地下の研究室にユーリが現れた。ジーニィとクリオネはまずお悔やみの言葉を伝えた後、さっそくできたての『無線記憶投影装置』をお披露目したのだった。
「ジーニィ、クリオネ、すごいねぇ。もうここまで完成しているなんて思ってなかったよ」
「ここまでって……これは完成品なんだけど?」
クリオネの言葉にユーリは科学者の顔になった。
「うん。モニターで見るとね、当事者と他者の間に、見えるまで少しの時間のズレがあるんだよ。それをどうにかしないとね」
「さすがユーリ……細かいなぁ」
ジーニィは感心した声を上げたが、クリオネは気に入らなかったようだ。
「ズレったって数秒でしょ? そこまでしなくてもいいじゃん」
「今は数秒でもね、この機械を発展させていって、もっと複雑になると、すごいズレになってしまう。だから今のうちにズレは無くしておいたほうがいいんだよ」
ユーリの至極真っ当な説明にもクリオネは納得できなかった。
(なんだよ! オレたちが作った機械が気に入らないから文句つけるんだ! 自分がいないうちに完成したのがくやしいんだ!)
「オレ帰る」
「え?」
「クリオネ?」
クリオネは挨拶もしないで研究室を出て行った。
「僕、余計なこと言ったかな?」
「いや、適切なアドバイスだったよ。なのにクリオネのやつ……。たぶん、アイツすねてたんだよ。ユーリが最近ちっとも来ないって。だから久しぶりに会って、ちょっと気が動転したんじゃないかな?」
ジーニィの言葉にユーリはほっとした。
「ならいいけどね。僕も寂しかったんだよ。最近どんななの? なにやってるの? ずっと話を聞きたかった」
「俺でいいならいくらでも話してやるぜ。まぁまずは座って。お茶いれるからさ」
「うん」
そばのイスを引き寄せて座ったユーリに、ジーニィは慣れた手つきで日本茶をいれる。ユーリ用に特別に融通してもらっている品だ。漂う良い香りにユーリは目を細める。
「アンジュとマリアは?」
「アンジュは『アース』関係で忙しいらしい。マリアは『ブラウン・マリア』が大繁盛だとか……。むしろユーリの方がアンジュに会ってるんじゃない?」
二つのマグカップを手に戻ってきたジーニィが机に置くと、ユーリはすぐに一口味わった。
「そ……うかな? この前会ったのは、確か何度目かの動作テストだから……いや、お葬式の時に会ったんだ。よくわからない僕をなにかとフォローしてくれたよ」
「そうなんだ。やっぱ俺の方が会ってない。お葬式にも行ってないし」
申し訳なさそうなジーニィに、ユーリは慌てる。
「両親と君は元々面識もなかったから気にしないで。じゃあ、最近はクリオネと二人だけなのかい?」
「そう。二人でのびのび使ってるよ。一時期はこの部屋に六人もいたなんて信じられないぜ」
「懐かしいね……」
と、カップが音をたてて机に置かれた。
「ユーリ?」
青い顔になったユーリは、イスから滑り落ち、床にうずくまった。
「ユーリ!」
ジーニィがかけよると、ユーリは荒い息をするだけで、その目は苦しそうに閉じている。
「ユーリ! ユーリ!! くそっ。『緊急回線』!!」
『緊急回線』は指定した人のアダマスへ言葉を転送してくれる。
「指定先アンジュ! ユーリが倒れた! 急いで俺の研究室に来てくれ!」
叫ぶとジーニィはユーリを頭を抱え体を横にした。汗が吹き出ている。苦しそうによせられた眉が不安を誘う。
「ユーリ! しっかりしてくれ、ユーリ!」
ジーニィは必死でユーリの名前を呼び続けた。
駆けつけたアンジュとマリアが救急医療チームを連れてきてくれたので、すぐにユーリは病院へ運ばれた。マリアはユーリの埋め合わせのため、研究室に戻った。アンジュは医師と一緒に処置室にこもったままだ。その間にジーニィはクリオネとリマキナに連絡をとった。ジーニィとクリオネ、リマキナの三人は押し黙って廊下のイスに座り、扉をにらんで待っていた。数時間がたった。
「どうだった!?」
病室から出てきたアンジュに、ジーニィは駆け寄った。クリオネ、リマキナもアンジュを囲む。
「静かに、ジーニィ。今はよく眠っているわ」
アンジュは人差し指を当てて囁いた。ほっとした空気が流れる。
「でも……」
「でも?」
「アンジュ?」
「なにか後遺症でも?」
三人に向かってアンジュは微笑んだ。
「今日はもう目覚めないわ。ずっと待っていてもらったのに悪いんだけど、会うこともできないのよ」
なんだそんなこと、と三人は表情を緩める。
「オレたちは帰るよ」
「またね」
クリオネとリマキナが去っていくのを見送ってから、ジーニィはアンジュに言った。
「で? 本当のところどうなんだ?」
「……相変わらず鋭いわね、ジーニィ。続きは部屋で話しましょ。ここでは」
「わかった。ついでになにか食べよう。お腹空いた」
夕方を過ぎた今、お昼を食べるなんて考えも浮かばなかったジーニィも、ほっとしたせいか空腹を感じた。
ジーニィとアンジュは自分たちの部屋に戻った。きょろきょろと見まわすジーニィにアンジュは肩をすくめる。
「父さんならまたカンヅメよ。ジーニィと父さんはタイミングが悪いわ。ちょうどすれ違って部屋にくるんだもの」
「気が合うってことだな」
ジーニィは息をつく。久しぶりに自室のダイニングテーブルにつくと、ふいに昔まだ家族四人で暮らしていた時のことを思い出した。
(父さんはご飯中も仕事していて母さんによく怒られていたな……。言ってもいってもきかない親父に、母さんは笑顔で冗談まじりに言ったっけ。『これは悪い例よ。ご飯はみんなで食べなきゃダメ』って。アンジュは引っ込み思案で、食べたいモノも自分で取れなかった。俺はそれをとってやってたんだ……)
「……ニィ、ジーニィ!」
「あ……もうできたのか? 早いな」
「すっかり慣れたもの。さ、食べましょ」
「うん」
短いお祈りを唱えると、久しぶりの二人そろっての夕食だ。
「アンジュの味は母さんと同じで美味しいよ」
「うふふ。嬉しいわ」
ジーニィは口をもぐもぐさせながら、会話しながらの食事を楽しむ。
「最近研究は何やってんの?」
「『アース』のデータ入力よ。来年完成予定だから、ちょっと焦っているの。みんなテンション高いわ」
「そっか。大幅に変わるんだって聞いたけど、具体的にはどうなるのさ?」
アンジュは手を止めた。
「言ってなかったかしら? 舞台は戦争平定前の地球。そこに今地球にいる人をすべて『アース』に登場させるの。サウス・ノース関係なくコミュニケーションが取れるようにするのね」
「でも、それはつないでいる時だけだろ?」
「そうね。『アース』につないでいる時は『アース』に本人が出現して行動できる。でも、つないでいない時も本人の行動パターンに基づいてアバターが行動するのよ」
「ええ? そうするには元となる個人データがいるんじゃ……」
「そのための個人データも、もうほとんど集まったわ。後はそれをひたすら入力して動作確認していくだけなのよ」
アンジュは再び食べ始めたけれど、ジーニィはしばらく止まっていた。
(個人データだって? 一人ひとりから集めたのか? なんだってそんな手間をかけてまで……)
「ジーニィ。私たちは死んだとはいえ母さんの記憶があるでしょ? まして父さんは生きているし。だけど、大半の子供たちは親の顔すら知らない……。それがたまらなく寂しいことも、なんとなくわかるでしょ?」
ジーニィはうなずいた。クリオネ、リマキナはもちろん、あのウッディやリーフですら親を求めているのだ。
「死んでしまってからはデータも集めにくいけれど、生きているうちなら集めやすいわ。まずは『アース』でしばらく行動してもらう。それを元にその人のダミーを作るの。そうすれば、その人が亡くなった後、なんとなくでもどんな人かはわかるでしょ」
「ああ……。なら、みんなにアンケートもとっといた方がいいかもな」
「アンケート?」
「そう。たとえば『落ち込んでいる人に対してどうするか』とか、『悩んでいる人に対してどうするか』とか。まぁ『子供が会いにきたらどうするか』とか『誕生日を迎えた子供に対する言葉』とかも、もちろんいるけどな」
「そうね。確かにそうだわ。さっそく項目を検討してみる」
ジーニィの指摘にアンジュは真剣な顔でうなずいた。
「でもさ。そんなデータ入力を残すのみなら、基本のシステムやプログラムは完成したってことだよな。ユーリ、ほっとして気が抜けたのかな?」
不思議そうなジーニィに、アンジュは本題を静かに告げた。
「…………ジーニィ。ユーリは……もう、長くないのよ」
まさか、と言いかけてジーニィは口をつぐんだ。アンジュの目が嘘じゃないと語っていたのだ。
「なん……で? まだユーリは」
「もう二十二歳よ。長生きできた方だと思うわ。言ったでしょ? 人口が激減した時の親と子供がユーリの世代だって。あの時の親子は、ユーリ以外みんな亡くなったわ」
「あれは大げさな話だと思ってた……。じゃあ、まさか移植って……本当に?」
「そうよ。ユーリは最強の宇宙人を移植して助かったの。なにもしなければ数年も生きられなかったはずよ。それが二十数年も生きられたのは奇跡なのよ」
「でも、ユーリの親は五十年以上生きたじゃないか!」
「遺伝子の傷を受けた時期が違ってるでしょ? 御両親はすでに大人だった。でもユーリはまだ生まれて間もなかったのよ。寿命が変わるのも当然だわ」
「そんな、そんな……」
ジーニィの震える腕がスープにいつまでも波紋を作り続けた。