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第五十三話  要談

 *


 『お前の舞台はこれにて終演を迎える』

 長い回想から現実に意識を戻すと、敦の目の前には桜の神、風雅がいた。

なめらかな桃の髪が初夏の日差しに照らされて明るく輝く。

それとは反対に、神から告げられた言葉は酷く陰湿なものだった。

『辻紘斗の記憶がもとに戻ったことによって、主役もわき役も全てそろった。

 この舞台におまえは必要ない。幕を閉じるんだな』


「・・・・・・」

 聞きたい事や言いたいことはたくさんあったのに、言葉にできない。

少年の額から汗がにじみだす。煩い蝉の鳴き声が敦の心を激しく焦らせた。

(ああ・・・。そうか。思い出した)

 桜の花が剥がれ落ちて奪われた記憶が姿を現せば、乾ききってしまった思い出に、鮮やかな色彩の雫が蘇る。

(・・・・俺は、伝承を再現して願いを叶えてもらうために霞河神社へ行ったん だ。紘斗の記憶を戻す代償として持っていかれたのは、俺の中にあるあいつに関わる記憶で・・・)

人生をひっくり返す発端になったあの日の出来事が頭をよぎった。

藍色の空に舞う花吹雪。天に浮かぶは少し欠けた蒼い月。蘇った記憶と失った記憶。

唾棄すべき人間と認識づけられた自分の親友。踏みつぶした生徒手帳。

(・・・・結果的に、あいつを失ったのか・・・・・)

一部始終全ての記憶を取り戻して分かった事、分かってしまった事実がある。

(これにて俺は・・・・・新垣敦は、眼を逸らすたくなるほどに悲壮な終演である終焉を迎えるんだ)

認めたくない閉幕。あまりにも残酷な物語の結末。




____________________俺は、最後の最期で独りになった。


「っうぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

敦は叫んだ。思いの丈を音に換えて、自分を見限った世界へと放つ。

人間から出すとは思えないほどの奇声を発する喉は張り裂けそうで、声を止めようと両手で力の限り己の首絞めつければ、指の食い込みが深くなってきたところで激しくむせ返った。

「げほっ・・げほぁ・・・はぁ・・・っぇ・・」


・・・・もう、命の期限は長くない。俺の死を弔ってくれたであろうと思われるかつての親友は自分が拒絶し、断ち切ってしまった。理不尽で成り立っているこの世界と自分を繋ぎとめていた未練も、惨めにも紘斗を傷つけることだけして消化されたのである。

『紘斗の記憶を戻してくれ』______代償は、自分の命。

『記憶が戻ったあいつと一度だけでいいから会いたい』_____代償は、あいつとの思い出。


 二つの契りはたった今、ようやく果たされたのだ。


「・・ごほっ・・・っ・・・ぁぁ・・・・ちきしょう」


苦しみ悶えている敦をしり目に、風雅は淡々と告げる。

『最期に言い残すことはあるか』

抑揚のない機械的な声で紡がれる言葉を聞いて、少年は心の中で毒づいた。

(こいつは_____桜の神っていうより死神と呼んだ方がふさわしいな)

だが、相手を揶揄したところで自分が死ぬことに変わりはない。

残されたわずかな時間を使い、酸素のまわらない頭で遺言を練り出す。



(最期に・・・言い残すこと・・・。

 できることなら、紘斗あいつに言いたかったよ)


 元気で優しくて、それでいて泣き虫なあいつに。

 綺麗過ぎるくらいまっすぐな心を持っているあいつに。

 俺の命を救ってくれたあいつに。


_________友達になってくれて、ありがとうなって。


 その言葉こそまさしく俺の生涯最後の言葉にふさわしいもの。

だけど相手は桜の神だ。彼に言いたい事は、ただ一つしかない。


 敦は深呼吸を三回行って、静かに発言した。

遺言、とは言えないような皮肉で無慈悲で・・・虚しい台詞。

彼の人生の閉幕の挨拶となるには、ある意味ふさわしいものとも思える。


「_________て、・・・・・・・・憶・・・・ん・・・」


しゃんしゃんしゃんしゃん。

蝉が劈く沈黙をかき消すほどの絶叫が、二人の耳を麻痺させるべく合唱した。

『・・っそれだけか』

桜の神は両手を重ね合わせると小声でぶつぶつ念じ始める。

水面下で揺れる怒りの炎を秘めた瞳とは裏腹に、どことなく悲しみの翳が顔にかかっていた。

神の真意は今だ見えず。


『眼を閉じろ』

風雅の言葉を受け、敦の瞼がゆっくりと落ちていく。

あの夜と重なる影、契約の儀式。

彼の人生はいつだって、始まりも終わりも唐突だった。

念願がかなった、自分自身が主演の初舞台。

しかし、真実を知った現在はただの裏方。


誰にも気づかれずに、死んでいく。

客の視線は必然的に主役である奇跡の少年へと全て注がれていた。

照明も当てられなくなってしまった今、彼は闇の中で未来へと走ることを終えて悠久の休息に突入する。



(でも、それでいい。それがいいんだ。______もう、全部終わった。

 俺がいなくとも、物語は進んでいく。あの三人だけで、走り続ける____)

やっとのことで自らの“生”と惜別した敦の頭では、たわわに溢れた思い出が、いずこへと流れ去る。

(・・・世に聞く、走馬灯ってやつだな・・・)


母が死んだこと。

父が狂ったこと。

紘斗と出会ったこと。

蘭を好きになったこと。


桜の神と契約を結んだこと・・・・・。




 およそ三か月前のあの悪夢のような夜が過ぎたのちの彼の生活。

親戚の援助を受けて生活は安定し、傍から見れば暮らしぶりは進捗しているようだったが、誰も気づかない間に敦の心には黒い根が張り巡らされていた。

それに加えて、ぽつりぽつりと消えている記憶を埋める如く植え付けられた“辻紘斗”にたいする敵対心が更に彼の心を蝕み続け、五月さつきになってすぐの頃にあの暴力沙汰が起きてしまったのだ。


 知り得ない相手なのに名前を聞いただけで沸いてくる根拠のない怒りや恨み。

普通ではない憎悪の怨念は、自分自身でもいいようのない嫌気がさした。

“あいつが憎い。あいつが恨めしい。あいつが羨ましい。あいつが消えてしまえばいい。・・・・・・・大嫌いだ。あいつも、俺も。”

巧妙に混合する疑問と不安が敦を縛りつける。

親戚に相談したくても、“これ以上迷惑をかけたら見放されるかもしれない”と恐れて言いだせないうちに彼の精神は狂い始め、最終的には“自我を保てなくなってしまった”。


理不尽から織りなされた事実に、後悔の念が宿る。

(この手であいつを殴っちまった・・・・・・。戯言も、侮辱する言葉もたくさん 吐いた。守りたかった奴なのに、俺が傷つけた。俺が壊した。

 不運にも亀裂は広がって・・・・・・・・・・・成瀬にも嫌われたなぁ。)

成瀬蘭。

霞河神社の桜の木につく巫女のひとり。

思えば、あの雨の日から彼女に好意を抱いたのかもしれない。

唯一二人っきりになれたあの至福のひととき。

彼女の手料理をほおばり、憔悴しきった体がもとの元気な状態に戻っていく心地よさ。

村に戻れた安心感に付け加え、惜しい人を亡くした喪失感を和らげてくれた彼女の存在。

決して好かれてはいない自分だけど、親切にも看病してくれた。


(・・・・成瀬ともっと、話をしたかった。

  この気持ちに早く気付いていれば、想いを伝えられたのかもしれない)

今日学校に来ていない少女を思って、目をつむったまま空を見上げる。

突き抜ける青も、まばゆい白も、何も分からないけど、確かにそこに空を感じた。

これから夏本番なのだ。

きらめく海に、綿菓子のような純白の白い雲。

地面に揺らぐ陽炎に、さわやかな風鈴の響き。

しかしそれは自分に来ることのない、とお明日みらいの話となってしまうが。


(この空の下に成瀬も紘斗もいる。広い青空の果てで、繋がっている)

____願わくば、彼らの未来に祝福を。我が人生に、弔いを。

ひっそりと切実に期待していたら、太陽の下にいて幾分明るい闇が突然暗い闇へと変化した。

(くる・・!)

あの夜の闇と同等の昼の闇。もう、終幕にさしかかったようだ。

生を受けて十五年になった今日というよき日に、偶然にも『生』を終える。

子供が真っ向から『死』と対面する異様な光景だが、幸いにも誰一人と部外者から見られてはいなかった。


(・・・・・・さよなら)

風雅の温もりが徐々に伝わってくる。

神の片手が敦の額に触れた瞬間、少年の体は一瞬にして硬直し地面にぽてりと倒れた。

そして足元から頭部にかけて、みるみるうちに桜の花弁が侵蝕を進め、薄紅は虚しく風に流されて吹き飛び、敦の体は跡形もなく消失していった。例えるとするならば、人間の形を模した硝子細工が朽ちることで現れる狂気という色を含んだ一種の美術・・・・・芸術だ。

青々と茂る芝生に、季節外れの花が重なる。


「悪いな、餓鬼・・・・・。次は平凡と幸福で恵まれた人生を送れるように祈っとくぜ」

人間の命があっけなく朽ちる情景を目の前に、風雅は苦痛の表情を露わにした。

絶対に朽ちない棘を打ちつけられた心は恐怖で今にも凍てつきそうであった。

純粋無垢でなくなった子供の鋭利な眼差しがちらつき、彼の口から最期に発せられた言葉が全身を巡り巡って波のように押し寄せてくる。

(しっかしまあ・・・・正直こたえたな・・・)

神は、あまりにも予想外だった少年の遺言を口に出した。




「『どうして、今になって俺の記憶をもどしたんだ』・・・・・か・・・。そんなの俺が聞きてぇよ」


 

 

  

 

 

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