第五十二話 舞台の裏で・捌
一瞬にして満面の笑みが崩れ、奈落の底へと落ちていく感覚に苛まれる。
疑いの余地もないその言葉を予想していなかった。
(そんな・・まさか・・・・よりによって俺の命かよ)
これから先の光り眩い未来があっさりと断たれてしまった。
光のさす方向へ無我夢中で走っている紘斗と成瀬達。
俺だけがぽつんと一人取り残されている。
不思議な事に、進もうとする意志に反して足が動かない。
さっきまで俺の隣で並走していた紘斗が、あんなに遠い居場所まで移動している。
追いつかねぇと。
いってしまう。取り残されてしまう。
「いまさら嫌だっていうなよ。約束はもう契ったんだ」
桜の神は、まるで俺の揺れる心の内が見えているように、ぶっきらぼうに続けた。
少なくとも、俺を好いていない事は態度からしてよくわかる。
二つの赤い眼が、色とは正反対の冷たい氷のような視線を俺に向けて
『情けなどかけはしない』と語っていたんだ。
取り返しのつかない約束・・・・いや、“契約”は結ばれた。
調子に乗って、浮かれていたガキの滑稽な結末。願いと対等なる代償。
何が何でも取り戻したかったはずの紘斗の記憶なのに
自分の命が天秤にかけられると、動揺を隠せない。
ともに歩きだせると信じていた自分が馬鹿だった。
俺が幸せになれる世界など初めから存在していなかった。
やっぱり見限られていた。“お前はいらない”と淘汰されるのがおちだったんだ。
_______待て。違う。
(俺の馬鹿野郎・・・。ふざけるなよ。あいつが、紘斗がいたから俺は幸せに
なれたんじゃねぇか。だからあいつの記憶を取り戻して、不安や悲しみを拭いて やろうとあがいたんじゃねぇか。)
自分をぶん殴りたい衝動に駆られた。
俺がこの神社に来て今こうしているのは他でもない自分の為で、紘斗から受けた
優しい温もりを返したいからだ。
自分が恩返しをして“友情”を確かめ“対等な存在”であることを証明するが為の行動だろうに、何を怖気づく必要がある。
(受けた恩を返すだけ。ただそれだけだ。)
しかし、親友という関係であるからこその未練もあった。
(・・・・一度だけでいいから記憶の戻った紘斗に会いたい。)
『おかえり』って笑顔で迎えられるのであればそれで十分だから、
あいつに会いたい。一緒に遊べなくても、会話が出来なくてもいい。
(強欲と言われるか、傲慢と言われるか)
俺は新たな決心をした。
目の前の彼に脅されようが、中傷されようがかまわない。全ての欲をさらけだせ。
そして、跡形もなく消滅してしまえ。
縋る思いで、俺は神に語りかける。
「後一つお願いしてもいいか?」
「・・・急になんだ」
彼は少々苛立った声色の返事をした。
おそらく、未練たらたらの俺がうっとおしいのだろう。
我ながら情けないと思いつつも、藁にもすがる思いで頼み込んだ。
「あいつの記憶が戻るまで、命は奪わないでほしい。
・・・一度だけでいいから、あいつに会いたいんだ」
俺の言葉を聞くなり、彼は面白そうだと言わんばかりの表情に変わった。
ひとまず機嫌を損ねなかったことに安堵する。
腕を組み、にやにやと気味悪く口端をつりあげた。
冷やかな視線は消えて赤い瞳がぎらぎらと燃えている。
「・・ほう。そりゃあ別にかまわないが、それなりの覚悟はできてんのか」
「ああ。最後は命を渡すんだ。腕なり足なり好きなものをもっていってくれ」
「肝の据わった生意気野郎だな・・・・・。わかった、了解。
お前の今までの境遇もあれだし、情けをかけて今回は特別に二つ叶えてやろう」
ぴんと指を二本立て、俺の顔の前に差し出す。
『特別なんだから有り難く思いな』と言って笑っている彼を見たら、こんなにも
無茶な願いを叶えてくれるのに、どうして俺はこの神に嫌われているなんて思ったのだろう、と自己嫌悪に陥った。
「・・・どうも、ありがとうございます」
本当に、感謝します。
感謝の想いを全て伝えれるように声を張ったつもりだが、
語尾がしぼんでいってしまった。
『何を捨てても、あいつを救いたい』
自分ひとりの力では絶対に成し遂げられなかった目標を、
人間ではない神の力を借りてようやく果たすことが出来る。
振り返ってみれば、俺の人生だってその繰り返しにしか過ぎない。
紘斗も、五木さんも、風雅さんもそう。
最期の最後まで、俺は誰かの手を借りなければどうすることもできない人間
だった。一人では生きていくことさえままならない。
(悔しいなぁ・・・。)
惨めな思いで空を仰いだ。
桜の神は俺の礼を聞いてすぐに、忘れていたことを思い出したといわんばかりの発言する。慌てて視線を落とし、相手の顔を見つめた。
「あ、そうだ。代償の一つは今のうちに払ってもらうが、異論はないな」
さわやかな笑顔、口調、雰囲気・・・。
どこを取っても過不足は無いのだが、痛切で妙な感覚が襲ってきた。
怖い。醜い。汚い。嫌い。辛い。
誰が発しているのか不明な叫びが頭の中で反響し、痛みを伴って精神を崩壊
させる。
「・・・はい」
立っていることすら辛くなったけど、異変を気づかれないように我慢して平然を装った。
「瞼を閉じな。俺がいいって言うまで開くんじゃないぞ」
神の言われるがままに従い、堅く眼を閉じる。
視界は全て闇の黒におおわれ、何が起きているか状況が掴めない。
周囲の情報が遮断されると、人は底深い恐怖心を抱いてしまうものだ。
俺の体を支える二本の足が小刻みに震える。
閉ざした瞼の裏に映るは、大切な親友の姿。
(大丈夫・・・。命はまだとられない・・)
そう考えて自分を鼓舞しても、不安は拭いきれなかった。
ひんやりとした風が木々の間を吹き抜けて、俺の肌を撫でていく。
しばらくして・・・・ふと、視界の闇が更に深まるのがわかった。
温もりある手が額に触れたのだ。
(あったかいな・・)
炎の熱でも、陽の光でもない、人間の命からなる温かいもの。
魂さえも所持を許されない、生命の源。
果たして、神にも体温はあるのだろうか。
あったとしてもそれはこんなにもあったかいのだろうか。
触れられた瞬間、眼は閉じているはずなのに視界が白く染まっていき、空に浮かぶ月が見えた。
心の奥底に隔離している人の穢れを浄化する如く注がれる、甘美なる月の光。
それから神の姿も鮮やかに映ってきたが、光を背に受けているので表情はうまく読み取れない。淡い桃色の髪に蒼の光が反射して幻想的な空気を纏っていた。
「いいぞ」
ぱっと瞼を開き辺りを見渡せば、何一つ変わらない霞河神社の景色がそこにあって、さっきと同じ蒼い月が暗闇にぽつんと浮かび、孤独に輝いていた。
違うところと言えば一つだけ。神が消えてしまっている。
彼が何を代償として持っていったのか確かめる為に、手足や体を眺めるも全てしっかりくっついていて・・・・・。
(なんも変わり映えしてねぇってどういうことだ?)
状態の無変化に憂慮し、予測不能な兆しに僅かながら不安を感じた。
(本人に直接聞いた方が早いな)
「お~い。風雅さん~。どこですか~」
夜間なので大声を避けつつ、あちらこちらに呼びかける。
(桜の木にもいねぇみたいだし・・・・・。一体どこへ消えたんだ?)
神社周りを一周しても結局彼が姿を現すことは無かった。
気がつけば頭痛も綺麗さっぱり消えて、あっけらかんとした終わりになってしまったようだ。
(一度飲み込んだ花弁の効果は死ぬまで続くらしいし、今日は探すの諦めよう)
探索を断念した途端、力みがとれ、俺はすとんと地面に座り込んだ。
今までの流れからしてまるで夢を見ていたようにも思えるが、頬をぐりっとつねっても痛みしか感じられず、現実に引き戻されただけであった。
宵桜を見上げて自嘲の溜息をつく。
(相当疲れているようだな。・・・早く帰って寝ないと)
物音ひとつたりとも聞こえない闇夜に一人、俺の鼓動だけが反響する。
重い腰を上げて歩き出したとき、地面に何かが落ちる音がした。
「えっ・・・なんだこれ」
拾い上げてみるとそれは咲が丘中学校の生徒手帳だった。
(・・・俺から落ちた・・?おかしいな・・・こんなの普段は持ち歩かねぇのに)
万が一、他人の物だといけないので、手帳を開いて貼ってある写真を確認する。
持ち主であろうそいつの顔は俺ではなくて愕然とした。
茶色い髪と瞳の容姿華やかな少年がぎこちなく笑っている。
(・・・・・えっ・・・こいつ・・・)
戸惑いは、すぐに憤りや妬み、恨みへと目まぐるしく変貌していった。
「気味がわりぃ・・・。早く消えて失せろよ」
拾ったばかりの手帳を再び地面に投げつけて、ぐりぐりと踏みつける。
いや、踏みつけるというよりも“踏みつぶす”と表現した方が正解だ。
苛立ちは、小さな物体を壊すことで発散させるしかできなかった。
“大切な代償”を持って行かれたそのときの俺には。
_____桜の神へと捧げた代償。
それは、俺から全部奪った“辻紘斗”にまつわる記憶だった。
親友という関係を断ち切り、思い出も消去し、代わりに“敵対する人物”として
空白の部分へと張り付けたのだ。
綺麗な部分を塗りつぶし、汚い欲望や妬みだけを残しておく・・・・。
まさに“願いと対等なる代償”であった。
在るべき所に戻ったあいつの記憶。
俺から消えてしまったあいつの記憶。
ちいさな桜の花弁でつぎはぎに繕われた、愚かな少年の記憶。
たった一枚から始まって花嵐にもみ消された、自分の記憶。
願いと代償が複雑に交差して生まれた、新たな記憶。
今の自分に言わせてもらえるとするならば、戒めの意味を込めてこう称そう。
___________儚く、脆い、『桜の記憶』と。




