第五十一話 舞台の裏で・漆
藍色の天を覆うは、淡い白の花霞。
深い、深いその藍に混じろうとしない小さき白の炎が
風に吹かれ、右へ左へ揺れていた。
見る人全てを妖艶な輝きで魅了する桜は、静寂の宵に包まれると
陽の光で輝く昼間とは異なった表情になる。
(・・・・・なるほど。『夢見草』と称されるだけあるな)
俺は前に一度、これと同じ光景を見た気がする。
それがいつだったか忘れてしまったけど、今宵のよう物悲しい空を
抱く夜だったのは覚えていた。
桜が燃えて、生命の白に染まっていた。
誇り高く、一夜の夢のように儚く。
“美しい”の言葉では言い表せない情景に俺は目を奪われ、そして目を疑った。
木の近くの地面に人の姿を模った翳が映り込んで
やがてその真上に霞がかかったのだ。
(・・・神が来たのか・・・)
次第にその霞は晴れていき・・・・・・。
桃色の髪をした若い男性が現れた。
自分よりも年上に見えるが、そこまで歳は離れていなさそうだ。
「・・・・神様、ですよね」
声の震えが相手につたわらないよう、声量を抑える。
「あんたが呼んだんじゃねぇか」
「・・・すいません」
間違いない、桜の神だ。
俺の眼で見えるようになったんだ。
(・・・おじいさん、ありがとう。やったぜ・・)
こころの中で万歳を繰り返し、老人に感謝した。
やっぱり試して損することはない。
何もしないでいるほうが損するものなのだ。
「名前は・・・風雅さんでしたっけ。俺、願いを叶えてもらいたくて」
「そんなことは分かっているさ」
彼は呆れた様子で俺を軽く睨みつける。
精悍な顔立ちゆえに気迫が増して見えて、おもわず怯みそうになった。
「左様ですか・・・」
生まれて初めて“神”という存在を目の当たりにし、
どう接すればよいのか分からずあたふたする。
神に仕える巫女はこんな日常を___俺にとっては非日常を___
ずっと繰り返しているのか・・・。
この村の少女たちを改めて尊敬した。
「・・・話はさっき聞いた。無駄な説明はいらない。
お前は“辻紘斗”の記憶を元に戻してくれというんだろう」
面倒くさそうに溜息を零した彼が、短く話を切り出した。
紅くきらめく瞳から鋭い光を放ち、俺の真意を探っているようにも見えて
ぞくりと背筋が凍りそうになる。
全て見透かしているぞといわんばかりの堂々たる情勢や風体。
これが、神であるものの威厳・・・特徴なのか。
しかし、“神々しい”と言うほど異色で高貴な雰囲気ではなかった。
人間とまでは言えないが、彼の一部に人間臭さがある気がする。
・・・と、観察はここまでにしておいて。
「聞いてたんですね。・・・・その通りです」
俺は素直にうなずいた。
説明の手間が省けてよかったと思う反面、第三者に会話を聞かれていた
恥ずかしさと不安がこみあげてくる。
(変な言動をしていなければいいけどな・・・)
神の様子をちらっと窺ってみた。
「辻、紘斗・・・・。そうだな・・」
良かった事に、彼は特別何かを言ってくるようすではない。
心の中で安堵の息を漏らし、真剣に神と向き合う。
「みんなも心配しています。戻す方法も分かりません」
「そうだな・・・。記憶か・・・。ふん、・・・・」
「お願いします」
「・・・・・。記憶・・・・・・」
「どうか」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
かれこれ数分。
真剣な面持ちで考え込んでいるふうに見えるが、すんなりと
受け入れてくれないので、もやもやした複雑な思いが沸いてきた。
(どうせ代償を取っていくんだから
ちゃっちゃと叶えてくれてもいいだろうに)
引き攣る顔が表に出ないようにさっと俯く。
もしも、ここで俺が無礼な態度をとったら二度と願いを聞いてくれないだろう。
そうなれば紘斗は・・・・。
もう、二度と記憶が戻ることは無いのかもしれない。
俺の知ってる紘斗ではなくなってしまうのかもしれない。
それが、とてつもなく恐ろしかった。
苛立ちは徐々に消えていき、入れ替わって恐怖が渦巻く。
まずい。自分で自分の首を絞めてしまった。
焦りが更に増して、思考が右往左往さまよい始める。
(・・早く。早く助けないと。)
相手に一歩ずつ歩み寄り、正面に対峙して頭一つ分高い彼を見上げると
彼は不快そうに眉根を寄せて、一歩後ずさりした後そっぽを向いてしまった。
失態だったとしても、今の俺にはこの行動を正しいかったのか間違っていたのか
どうか冷静に判断できるほどの頭の容量を持ち合わせてはいない。
ゆるぎない想いはただ一つ。
(何が何でも紘斗の記憶を取り戻す)
たとえ、俺の力じゃなくたって。
あまりの必死さから、敬語も忘れて神に懇願する。
「大切な俺の親友なんだ。どうしても、助けたいんだ」
「・・・・・。親友、ねぇ・・」
不服そうに言葉の語尾を引き、風雅さんは口を閉じたのだが
俺にはその続きの言葉が聞こえてきた。
『・・・お前が胸を張って言えるのか?』と。
それがただの幻聴だったのか、相手の真意なのかは判別不能だった。
しかし、温かい月の光の中で心臓が凍てるほどの鋭利な氷柱が
俺の体に突き刺さり、時間がたっても溶けずにいた。
(他人にまかせっきりで、何もできないのは確かだ・・・・。
でも、だって。俺は・・・・)
「どうか、お願いだ____」
頭を下げて思いの丈をぶつけると、彼は間をおいて堅い口をゆっくり開いて
よく通る低い声を発した。
「わかった。その望み、叶えよう・・・・」
待っていた言葉がようやく返ってきて、喜びから胸が躍る。
(よし!紘斗の記憶が元に戻る・・・!あいつも喜ぶ。みんなも喜ぶ)
新しい生活が、第二の人生がお互いに始まるんだ。
希望に満ち溢れた、まどろみの春が息吹始めるんだ。
そんなことを考えていると、桜の神は俺に背を向け、こう続けた。
「___代償は、あんたの命となるがな」




