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第2話 その宝箱は、俺よりずっと強かった

宝箱が、蜘蛛を振り回した。


正確には、蓋で挟んだ脚を支点に、箱のほうが跳んだ。

木の底から出た四本の短い足が、床を蹴る。

蜘蛛は壁へ叩きつけられ、爪を石へ立てた。


俺は後ろへ下がった。

どちらも、俺を食べるかもしれない。


蜘蛛が脚を引き抜こうとする。

宝箱の金具が、銀色に光った。

蓋が、もう一段閉まる。

硬い殻の割れる音がした。


蜘蛛は残った脚で這い、暗闇へ逃げていった。

宝箱は追わず、その場でぴたりと止まった。


蓋の内側に、白い歯が並んでいる。

魔物の名前を、俺は知っていた。


「ミミック……」


冒険者の常識では、見つけたら槍で蓋を突く。

宝物を餌に人を待つ、宝箱の魔物だ。


俺はナイフを下ろさずにいた。

ミミックも、こちらを向いたまま動かなかった。


やがて、床の上で、小さな音がした。

俺の上着から落ちた鍵だ。


母さんが縫ってくれた、旅の革袋の鍵。

今は袋そのものを収納へ入れている。鍵だけ、胸の紐へ付けていた。

古い錆を、ミミックが鼻先もないのに、確かめるように見た。


短い前足で、鍵を一つ、俺へ押す。


「返してくれるのか」


ミミックは、蓋を一度閉じた。

かたん、と音がした。


俺は鍵を取った。

魔物は、かみつかなかった。

次に、蜘蛛が残していった爪を見た。

それも、前足で俺へ寄せる。


よほど、拾った物を渡したいらしい。


「ありがとな」


俺が言うと、箱は蓋を少しだけ開いた。

中へ、持ち物のない空洞が見える。

そこから出てきたのは、錆びた鍵の束だった。


俺は、一歩下がった。


「それを、どうしろって?」


箱は鍵を戻し、もう一度蓋を閉じた。

残念そうに、ゆっくり。


すぐ襲われないことがわかったので、傷を洗う水を出した。

医薬袋から布を取り、掌へ巻く。

共用の薬だ。使った分は、帰れたら申告する。

今は、生きて帰るほうが先だった。


箱は、俺の手を見ていた。

蓋の角で、布の端を押さえてくれる。

結び目を作る間、じっと動かなかった。


「おまえ、人を食わないのか」


蓋が閉まった。

次に開くと、鍵の束が出てきた。


「食うのは、鍵?」


箱が、前足で床を二度たたいた。

そのうち一本を口へ寄せ、銀の金具へ当てる。

錆の表面から、薄い光が移った。


鍵は、消えなかった。

光だけを吸った後、同じ場所へ戻された。


魔力を食べるのだろうか。

知らないことは、まだ多かった。

でも俺は、この魔物に、一つだけ知っていることがあった。


今、俺を助けた。


箱の横へ座った。

自分のパンを取り出し、半分だけ食べた。

魔物に何を与えてよいかわからないので、残りは渡さなかった。


「俺はノア。おまえ、名前は?」


鍵が、箱の中で鳴った。

からん、と。


「じゃあ、カラン。嫌なら、今、蹴ってくれ」


短い足が上がった。

俺は身を引いたが、足は膝へそっと載っただけだった。


暗い迷宮の底で、俺は初めて、箱に笑いかけた。

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