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第1話 荷物持ちには、帰りのロープもいらないそうです

「ノア。おまえは、ここで終わりだ」


切れたロープの端が、目の前を落ちていった。

俺は崩れかけた石棚へ両手をかけ、上を見た。


迷宮『沈み星』の第三層。

大きな裂け目を渡るため、最初に足場を確かめていたところだった。

向こう岸で隊長のガレスが、ナイフを鞘へ戻している。


「待ってくれ。もう一本、投げてくれれば」

「足場が持たない。荷物を出すだけの奴に、俺たちまで付き合えない」


言い返そうとしたとき、足元が鳴った。

下は暗く、底まで見えない。


「共用の荷物だって、まだ俺の収納にある!」

「魔法袋を買ったんだ。これからは、荷物持ちなんか必要ない」


ガレスの腰に、真新しい袋が二つ揺れていた。

一つ二十キロまで入る品だと聞いている。

俺の収納より小さい。それでも、使い方によっては十分だろう。


でも、道具が増えたからといって、人をここへ置いていい理由にはならない。


「フィオ!」


魔術師の名前を呼んだ。

彼女は杖を握り、半歩、こちらへ出た。

ガレスが肩をつかむ。


「帰るぞ。こいつは、勝手に隊を離れた。そう報告する」


足音が遠ざかった。

最後に、盾の金具が鳴った。


俺は歯を食いしばり、棚の上へ這い上がった。

このまま上へ飛ぶ力も、空を歩く魔法もない。

あるのは、『収納』だけだ。

触れた物を八枠、合計八十キロまで預ける。出すときは、腕の届く空いている場所へ。

生き物は入らない。自分を入れて逃げることもできない。


子供の頃から、この魔法なら、どこへでも行けると思っていた。

前世で日本の町を歩き、荷物を届けていた俺には、ぴったりの力だったからだ。


二十七歳で、病室の白い天井を最後に見た。

次に始まったのは、知らない夫婦の腕に抱かれる人生だった。

六歳で前世を思い出し、十八歳で力を授かり、十九歳で迷宮へ入った。


まだ、ここで終わりたくない。


壁の割れ目を探した。

下へ続く細い道がある。進めば戻れなくなるかもしれないが、棚はもう、足の下で動いている。


収納から灯り石とロープを出した。

壁の突起へ結び、少しずつ体を下ろす。

落ちた石の音が、ずっと後になって返ってきた。


足が床へ届いた頃には、掌の皮がむけていた。

ロープは途中で岩へ引っかかり、回収できない。


俺は腰のナイフを確かめ、歩いた。

水の落ちる音。

石に反響する、別の足音。


灯りの端へ、銀色の獣が現れた。

長い脚に、鎌のような爪。刃蜘蛛だ。

三人がかりで倒した相手が、今は俺一人を見ている。


後ろへ下がると、何かへ踵が当たった。

小さな木箱だった。

金具は曇り、蓋の上には、二つ重なった星の印。


こんなところに、宝箱。

誰も持ち帰らなかったのか。


刃蜘蛛が跳んだ。

俺はナイフを構えた。


その瞬間、木箱の蓋が、勝手に開いた。


牙が、あった。


俺の頭の横で、宝箱が蜘蛛の脚へかみついた。

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