化物との邂逅 4
雲が晴れて、満月が完全に姿を現した。
月の光に照らされた妓詠の姿は、満月美人と言う言葉が良く似合う。その表情は朝顔の花の様に奇妙な儚さを纏っていた。
「私は別に、貴方の命を奪うつもりはないから、警戒しなくて良いわ。」
静かだが、確かに耳に届く心地良い声色で彼女はそう話す。
身体の変化はまだ分からないが、認識の歪みを自覚した僕は、彼女に次の質問を投げ掛ける。
「次の質問をさせて貰うよ。妓詠はさ、何の目的があって僕を襲ったの?」
「別に、貴方を襲うつもりは無かったのよ。見ず知らずの人ならいざ知らず。クラスメイトなんて、リスクしかないからね。」
「僕の事、知っていたんだね。」
勿論。彼女は真顔で頷く。
「黒井晶。成績は中の上で、運動もそれなり。良くも悪くも、目立たない様に努めている人ね。でも、放課後に皆が出払ってから教室の鍵を閉めているところから、決して気遣いの出来ない人じゃないわよね。」
「よく見ているんだね。きみが僕の事を知ってくれているなんて、光栄だよ。」
「クラスメイトじゃないの。私の事を何だと思っていたのかしら?」
「妓詠 真。成績優秀であり人当たりも良い。容姿が整っていて、声も綺麗な高嶺の花。こんな状況でもなければ、話す事も無かっただろうね。」
「ふふ、光栄ね。」
自己紹介と言うか、互いの確認が済んだところで話を戻す。
「それで、僕を襲うつもりが無かったって、どう言う事なの?」
かなり強い力で首を絞められたし、冷たいアスファルトに寝かされていたのだが。
「きみの正気を失った様な、野生的な様子と関係があるのかな?」
「えぇ。恥ずかしい所を見せてしまったわね。」
口ではそう言っているが、彼女の態度にに恥じらう様子は一切ない。
なんていうのかしらね。そう言って妓詠は首を傾げる。化物相手だが、不覚にも可愛いと思ってしまった。
「生物としての本能、かしらね。」
「本能?」
そう。と、彼女は頷く。
「貴方。夜、眠くなったらどうする?」
「そりゃあ、眠るんじゃないかな。何かしらの理由があれば、起きているのかも知れないけどね。」
「お腹が空いたら、どうする?」
「ご飯を食べたいよね。授業中とかであれば、我慢しないといけないけれど。」
突然、人間の欲求についての話が始まった。
「もしも授業中、眠たくて仕方がなくなったら、どうする?」
「寝るんじゃないかな。瞼に掛かる重力に、僕が耐えられるとは思えない。」
「貴方を襲ったのも、同じなのよ。本能によるもの。」
「人間とは違う、吸血鬼特有の本能ってこと?」
「そういうこと。なかなか察しが良いわね。これも、化物になった影響かしらね。」
おどけた口調。その言葉に対して何か言うべきだったのかも知れないが、そんな応用力は、化物になっても身に付いていない様だ。
満月の光が僕らを照らし、薄ら笑いを浮かべた妓詠の表情がはっきりと見える。
「実を言うと私達吸血鬼は、厳密には人間の血液が無くとも生きていけるのよ。」
「それじゃあ、何にも食べなくても死なないってこと?」
僕の言葉に対して、彼女は首を横に振る。
「いいえ、食事は必要よ。でも、人間と同じような物を食べていれば生きていける。これも進化よね。」
「それなら、やっぱり僕の血は必要ないんじゃないかな。」
「そう簡単にはいかないのよ。」
彼女は再び、僕の言葉に対して首を横に振る。
「さっきも言ったけれど吸血鬼と言う種族特有の、本能の様なものがあってね。化物に産まれた呪いかも知れないわ。それが今日、訪れていたのよ。」
「呪い?」
「そう。吸血衝動とも言えるのかしら。人間の血液が恋しくて、仕方がなくなるの。血を吸いたい、吸い尽くしたいと思ってしまう。本能はやがて理性を蝕み、身体は血を求めてさまよう事しか出来ない醜悪な化物へと姿を変える。」
僕は先程自身に襲い掛かってきた彼女の姿を思い出していた。
「きみは本能のままに目の前にいた人間、つまり僕を襲った訳だ。」
「そういうことね。決して貴方だから血を吸ったわけではないわ。」
彼女の言葉を聞いて、ひとつの疑問が頭をよぎった。
「ひとつ、聞いても良いかな?」
「構わないわよ。」
「きみは僕を襲った時、正気を失っていた。これは間違いないよね。」
「えぇ、間違いないわ。」
「勝手な推測だけど、きみが正気を取り戻したのは、僕の血を吸いつくした後。これは合っている?」
「そのとおりよ。察しが良いのは、化物なった影響かしら。それとも元々思慮深かったのかしらね。」
クスクスと笑う妓詠を無視して、僕は話を続ける。
「きみの話が正しければ、僕は君の食事になった。だとすれば、どうして僕は生きているのか。僕はいったい何者なんだ。」
「さっきも話したじゃない。化物よ、半分だけね。」
いつの間にか、彼女の表情から笑みは消え去り、冷たい視線が僕を見据えていた。




