化物との邂逅 3
暫くの間宙を舞った後、彼女はある場所にゆっくりと降り立った。慣れ親しんだ建物の、見慣れない場所だった。
私立青代高校。通い慣れた校舎の屋上に、僕達は降り立った。
学校の屋上なんてものは、昨今どれも立ち入り禁止になっている。僕も入学して二カ月程経つが、一度たりとも足を踏み入れたことがなかった。
「それじゃあ、少し話をしましょうか。貴方も、色々と聞きたい事があるでしょうし。」
彼女は優しく僕を下ろすと、ゆっくりと歩き出す。そして、屋上に無造作に並べられた机のひとつに腰を下ろした。
「貴方も座ったら?まだ、立っているのもキツいでしょう。」
言われてみれば、身体に力が入らない。
貧血の時に起こる、立ち眩みの様な気怠さ。緊張していたせいか、言われるまで気が付かなかった。
「お言葉に甘えて、座らせて貰うよ……。」
彼女にならい、適当な机に腰掛ける。砂埃など気にならない訳ではないが、後で払えばいいだろう。
「それじゃあ、何から聞いたものかな……。」
そう話す僕は、自分で思っているよりもずっと冷静だった。
「お好きな様に。まだまだ夜は、長いからね。」
「そうする。」
軽く深呼吸をして空を見上げる。
満月に薄く雲がかかり、周囲に星が瞬く夜空。眺めていると、心が落ち着く気がする。
頭の中を出来るだけ整理して、なるだけ簡潔に質問をしようと思う。
「妓詠、さんはさ……。」
「妓詠で良いわよ。もう、他人でもないんだし。」
彼女の発言の意図は理解できなかったが、そのまま話を進めることにした。
「それじゃあ。妓詠は、人間じゃないんだよね?」
「私が何者か、そんな話ね。貴方の予想通り、私は人間じゃない。貴方達とはもう言えないかな。人間の言葉で言うのなら吸血鬼なのかしら。」
「吸血鬼?」
「そう。人間の生き血を啜る怪物。ヴァンパイアとも言うわよね。」
首筋の痛みに、合点がいった。
「僕は、吸血鬼に血を吸われた訳だ。」
「ご明察。貴方が今触っている所、そこに噛み付かせて貰ったわ。」
妓詠はにこりと笑う。その刹那、鋭い牙がきらりと光った。
「それじゃあ、僕はきみの様に吸血鬼になるのかな。それとも……。」
今まで、吸血鬼が登場する伝記小説や漫画を数作品読んできたが、その殆どで吸血鬼に襲われた人間は、同様に吸血鬼になってしまっていた。或いは、全身の血を吸い尽くされて、ミイラの様に果てるかだ。
「大体は、貴方の想像通りなんだけど。何て言うのかしらね。」
彼女は唇に指を当て、考える仕草を見せる。
「まず、貴方の認識の中で、ひとつ間違いがあるわ。殆どの吸血鬼にとって、吸血行為は単なる食事でしかないの。仲間を増やせるのは、ごく一部の吸血鬼だけ。」
「それじゃあ、きみはごく一部の中のひとりなんだ。」
「そうなるわね。詳しい事は、後から話すのだけど。まあ眷属になったとでも思っていてよ。」
眷属。物語の中でしか見ない様な言葉だ。いや、吸血鬼も、物語に限った存在だと思っていたのだが。
「これから僕は、きみに従わなければならないのかな。」
「そんな感じ。でも、現状私にはそこまでの強制力は無いと思って良いわ。」
「よく分からないんだけど……。」
眷属になったのに、従わなくても良いと言う事だろうか。
「簡単に言うと、眷属化には段階があってね。貴方はその一番浅い所にいるのよ。それに、眷属になったからと言って完全な吸血鬼になる訳でもない。言うならば吸血鬼モドキ、半人半鬼と言うべきかしらね。それも人間に傾いている状態よ。」
彼女の話が本当であれば、僕は自由に行動できるし、その気になれば反逆する事も可能らしい。
「ただ、人と離れた存在になった弊害として、貴方の心身に変化が生じたわ。」
申し訳無さそうに、彼女は言う。
「身体はともかく、心まで変化しているの?」
正直、身体の何が変わったのかも分かっていない。しかし、それ以前に思考がおかしくなった自覚も無い。
「まず身体なんだけどね、傷の治りが早くなるわ。」
確かに、緊張していたので気が付かなかったが、背中や首の痛みは綺麗に消え去っている。
「心については、貴方が気付かないのも無理ない。認識の変化なんて、気が付きようが無いもの。敢えて説明するなら、さっきまで動揺していたとは言え、貴方は吸血鬼という異形の存在を前にしても、恐怖を感じていない。」
「……。」
そう言えば、自分でも不思議なくらい落ち着いている。僕のような小心者が。非日常的な体験を前に、思考を巡らす余裕すらある。
「それが貴方の変化。半人半鬼となった貴方は、私を恐れることはない。恐怖とは、本能から来るある種の危険信号。それを上書きして仕舞えば、恐怖の概念が大きく覆る。試しにグラウンドの方を見下ろしてみて。」
言われるがまま、金網からグラウンドを見下ろす。三階建ての校舎だ。高くないはずがないがそれ程でもない。
そこまで思って、ハッとした。
足が竦まない。高所だったはずの距離を、ちょっとした段差程度にしか認識していない。
「分かってくれたかしら?私達は空も飛べるし、この程度の高さから落ちても大して傷つかない。貴方も本能的に感じたはずよ。『この程度なら問題ない』と。」
彼女の言う通りだ。
「これが吸血鬼の眷属になると言うこと。貴方の人間ならではの認識は、鬼の血によって上書きされる。」
彼女の言葉で、僕はようやく自身が置かれた異常な現状を自覚した。




