化物との邂逅 1
事の発端は、数日前に遡る。
私立青代高校に入学してはや二ヶ月。何の問題もなく第一希望の高校に入学して、新しい学校生活にも馴染んで来た六月の上旬。
至って平凡であり、穏やかな学校生活。その中で、僕は変わりようの無い日々に、少しの物足りなさを感じていた。ゆっくりと内容が進んで行く授業に耳を傾けて、ノートに板書する。そうして時折、空想の世界に想いを馳せていた。
物語に登場する事すら憚られる様な、醜悪で醜い怪物。それが突然、僕の目の前に現れて襲い掛かってくるのだ。そこに悪意や憎悪などは存在しない。人間が日々の食事に対し、怒りや憎しみを感じない様に、怪物は僕の事など何とも思っていない。ヤツからすれば、僕など単なる食料でしかないのだ。
存在そのものの格が違うその怪物は、怯えて逃げ惑う僕を醜い前脚で無慈悲に抑え付ける。
身体を震わせ泣き叫ぶ僕の矮小な命を、怪物はどの様にして終わらせるのか。そんな妄想を思い描く。
怪物は僕の細い身体を弄ぶ様にして、食す。腕を引っ張り、足を噛み切り、小さくなった僕の頭を喰い千切る。耐え難い苦痛の中、僕は何を思うのだろうか。
退屈に流れる日々の中で、小さな狂気が鼓動していた。
学校からの帰路。僕の住む家は、学校から徒歩二十分と掛からない場所にある。
自転車やバスを利用する必要も無いので、歩きで通学している。実を言うと、家から近いこともあり今の高校を選んだ。後は、偏差値がそこまで高くなかったのも理由のひとつ。勉強は嫌いではないが、決して得意ではないのだ。
時刻は十九時半を過ぎた頃。既に太陽は沈み、僕の住む街は夜の闇に包まれている。
放課後、教室に残って自習をしていたら、いつの間にか辺りが暗くなってしまっていた。本来、態々学校に残って勉強をする必要も無いのだが、いかんせん家に居ても集中出来ない。
街の図書館にでも行けば静かなのだろうが、学校からも家からも遠い。小洒落たカフェなどは、人が多くて居心地があまり良くない。あぁ言う所は、気心知れた友人と行くから良いのであり、独りで勉強に励む場所ではないのだろう。どちらにせよ、クラスで孤立気味の僕には縁遠い話だ。
教室ならば誘惑も無く、金も掛からない。勉強するのに最適な場所だ。
それにこの日は、成績優秀かつ慈悲深い先輩が自習に付き合ってくれたので、いつも以上に捗った。そんなこんなあり、夜中に帰宅する事になったのである。
満月。月明かりがいつも以上に眩しく感じる。それはそれは、幻想的な夜だった。
一定の間隔で設置された街灯は、月の光と比べると少し心許無い。ぼんやりとした明かりが、頼りなく点滅を繰り返すばかりだった。
臆病な質でも無いが、夜というのは人の不安を煽るものがある。僕は小心者なので、帰路を辿る足を早めていた。
「ん……?」
もう直ぐ家に着くといった所で、僕はふと足を止めた。
街灯に照らされて、ひとりの女の子が立っているのが見えた。
「えっと、妓詠、さん?」
僕は、目の前に立つ女の子の名前を知っていた。
妓詠 真は僕と同じクラスだったが、直接的な関わりは殆ど無かった。互いに、面識がある程度だ。
それでも、教室で目についた時や廊下ですれ違った際、綺麗な人だと思っていた。
「……。」
彼女は何も言わず、虚な瞳を僕の方に向けていた。
「妓詠さん、家はこの辺だったんだ。それに、こんな時間までどうしたの?僕はさっきまで、教室で自習を……。」
そこまで話した所で、僕の言葉は途切れた。言葉を紡ぐ刹那、彼女の手によって僕の身体はアスファルトの上に叩き付けられた。
「なっ……。」
何をするんだと、そう言いたかったが、言葉が出なかった。彼女の右手が僕の首を掴んでおり、息をする事すら困難だった。
理解が追いつかないまま、彼女の顔に目を向ける。
つい数秒前までの虚な表情は消え失せ、本能に駆り立てられた姿がそこにあった。
血走った瞳と、獣の様に荒い息遣い。僕の首を絞める右手は、両手を使っても引き離せそうにない。
意識が徐々に薄れていく。苦しさが、眠りに着く前の様な快楽に変わって行く。
もう、ひと言も言葉を発せない。
霞んでいく視界に、目の前にある怪物の姿を焼き付ける。おおよそ女学生とは思えない力と、狂気を孕み歪んだ表情。
そんな彼女を、今まさに自分を殺そうとする化物の姿を、僕は美しいとそう思ってしまった。




