変らない日常と変わりゆく認識 7
昼休みが終わり午後の授業を聞き流していると、気が付けば放課後になっていた。
僕はひとりで教室に残り、クラスメイトが出払ってしまうのを待つ。人が居ないのを確認してから教室の施錠をするのが日課になっていた。
誰かに押し付けられた訳ではない。妓詠は知っていたみたいだが、僕が教室の戸締りをしている事など、誰も見ていないだろう。つまりこれは、僕の勝手な自己満足。
クラスメイトの為にと大義名分の元、人目を避けて勝手気儘に善行を働く偽善者。それが僕だ。
今日も相変わらず、小さな自己満足の為だけに教室に残っていると、ひとりの女子生徒が近づいてきた。
「また、ひとりで残っているのね。偶にはさっさと帰ったら良いのに。」
妓詠は不思議そうな表情で、僕にそう問い掛けてきた。
「僕がやりたいから、やっている事だから。」
「そう。善人なのね。」
「ただの偽善者だよ。それより、妓詠はどうして残っているのさ。いつもならすぐに教室を出て行くのに。」
「貴方に用があってね。残っていたのよ。」
彼女はさらりとそう言った。昨日の放課後であれば、何の用だろうかと想像を膨らませていたところだ。しかし化物になった今、彼女が何を求めているのか大体察しがつく。
「奇遇だね。僕もきみに聞きたい事があったんだ。」
折角なので、図書室での体験などを聞いてみることにした。
「先に、私の用事を済ませても良いかしら。」
「勿論。眷属は主に付き従うモノらしいからね。」
「そう。従順な眷属を持って、私も鼻が高いわ。」
彼女は僕の首元に顔を近づけて、首筋に歯を突き立てた。
昨日血を吸われた時、僕は気を失っていたし妓詠は正気を失っていた。そんな訳で、今回は実質初めての吸血行為になる。初体験だ。
チクリと、注射に似た痛みが首に走り、頭の奥から痺れる感覚。それは次第に心地良さに変っていく。油断すると、意識が持っていかれそうだ。
ひょっとすると、僕はマゾヒストなのかも知れない。
数十秒して、妓詠は僕の首から顔を離す。ほんの少しの間だったが、血を吸われている間は時間の感覚が分からなくなってしまう。数秒の事の様にも思えるし、数分間に及んだ様な感じもする。
妓詠は唇を指でなぞり、艶めかしい表情を浮かべる。
「ふう、ご馳走様。美味しかったわ。」
「お粗末様です。」
彼女の表情に、思わずドキリとしてしまう。吸血鬼は他の生き物を魅了するフェロモンを発していると聞く。彼女の魅力も、そのせいなのだろうか。
「でも……。」
妓詠は不思議そうに首を傾げる。
「でも、どうしたの?」
「何と言うか、何か混ざっていた様な……。」
「あぁ、もしかしたら聖水かも。」
僕の言葉に、彼女は小さく目を見開いた。
「聖水?」
「うん。聖水って言っていたよ。」
「飲んだの?」
「知らず知らずの内に飲んじゃったみたい。お陰で喉やら胸やら痛くて仕方がないよ。」
「そうでしょうね。飲んだのが貴方で良かったわ。私だったら、夜までひと言も話せなくなっていたわ。」
吸血鬼とその眷属では、弱点の体制も違うのだろうか。
「眷属と言っても、元は人間だからね。再生力や身体能力も少しだけ劣るわ。」
「そういうモノなのね。」
贋作は決して本物にはなれないと言う事だろう。
「それと、眷属は血を吸われると、吸血鬼としての存在が大きくなるわね。」
「それは初耳だね。」
そう言えば、いつの間にか痛みが消えている。ケガをした時は、彼女に血を吸ってもらえば良いかも知れない。
聖水のついでに、今日得た疑問について聞いておくことにする。
「吸血鬼は十字架が苦手と言うのは、本当なのかな。」
「本当と言えば本当ね。実害がある訳じゃないけど。」
妓詠は僕の机に腰を下ろす。僕は椅子に座っているので、丁度彼女の腰が目の前に見える状態だ。くすぐったりしたら、怒られるだろうか。
それはさておき。
「実害は無いんだね。僕は十字架を怖く感じたよ。不知火より怖かった。」
「聖水に十字架って、貴方、どんな一日を過ごしてきたのよ。」
妓詠は呆れたように肩を竦ませた。
「いつもと変わらない一日だったよ。変わったのは僕の存在だけ。」
「あら、もうひとつ、変わった事があるでしょ。」
彼女の言葉に、僕は首を傾げた。
「ほら、教室でお喋りできる友達が出来たじゃない。」
自身の顔を指差し、妓詠は笑みを浮かべる。
「それも、そうだね。」
彼女にとって僕は友達になのだろうか。僕は自分の事を、都合の良い眷属、血液の給油タンクとばかり思っていたのだが。
一度、認識を改めなければならない。
同級生で初めての友達が出来たのだ。もっと喜で良いだろう。今日は記念にケーキでも買って帰ろうか。




