第7話
新しいオーバースペックな包丁と、俺がダンジョンから調達してくる高級食材。
それらが組み合わさることで、アリスの料理はさらに美味しくなり、店の評判は瞬く間に広まっていった。
昼時の店内は満席で、外にまで列ができている。
俺はいつもの指定席であるカウンターの隅で、大盛りご飯を平らげていた。
忙しそうに立ち働くアリスの姿を見ていると、胸の奥に温かいものが広がる。
だが、目立ちすぎれば新たなトラブルを呼ぶのではないか。
そんな俺の予感は、最悪の形で的中することになった。
店の入り口が乱暴に開かれ、派手な装飾品を身につけた恰幅の良い男が入ってきた。
背後には、護衛らしき屈強な男たちを数人引き連れている。
店内の空気が一瞬にして凍りつき、食事を楽しんでいた客たちが息を呑んだ。
「ふむ。ここが最近噂になっている定食屋か」
男は傲慢な視線で店内をねめ回し、厨房に立つアリスを鼻で笑った。
「私はバルザック。この街で手広く商売をしている者だ。単刀直入に言おう。この店を私に譲りたまえ」
アリスは驚いたように目を瞬かせたが、すぐに毅然とした態度で向き直った。
「お断りします。ここは祖父から受け継いだ大切な店ですから」
「強情だな。こんな薄汚れた大衆食堂、私が買い取って高級レストランにしてやろうと言っているのだ。貴様のような小娘には過ぎた立地だろう」
バルザックは芝居がかった手振りで、アリスを見下した。
その尊大な態度と、他人の居場所を金と権力で奪おうとするやり方は、俺の記憶の底にある泥濘をかき混ぜた。
十年前。
両親が油まみれになって働いていた小さな町工場に、メガロドン社の連中がやってきた日のことだ。
奴らは巧妙な罠で工場を奪い、両親を過労死へと追いやった。
俺は家族を壊したブラック企業への復讐だけを生きる目的に定め、自らを極限まで鍛え上げた。
ダンジョンの最下層に潜む強大なボスモンスターすら瞬殺できる、最強の探索者へと成り上がったのだ。
だが、いよいよ復讐の準備が整い、決行を翌日に控えたある日。
標的のメガロドン社は、ダンジョン事故に巻き込まれてあっけなく倒産していた。
人生のすべてを懸けた復讐劇が、相手の自滅という形で突然終わりを告げたのだ。
十年間の血の滲むような努力と、行き場を失った殺意。
目的を失い、途方に暮れていたあの日の空虚さが、今、目の前のバルザックに対するどす黒い怒りとなって蘇ってくる。
俺は静かに席を立った。
感情の起伏は乏しいはずなのに、指先が微かに震えている。
恩人であるアリスの居場所を脅かす者は、容赦しない。
一歩を踏み出し、バルザックの首を刎ねようとしたその時だった。
「お待ちください!」
俺の殺気を察知したのか、アリスが俺とバルザックの間に割って入った。
彼女は俺の目を真っ直ぐに見つめ、小さく首を横に振る。
「暴力は駄目です。ここは、ご飯を食べる場所ですから」
その言葉に、俺は振り上げた拳の行き場を失い、ゆっくりと下ろした。
アリスは俺を制止すると、バルザックに向き直った。
「店を譲るつもりはありません。ですが、まずはうちの料理を食べてみてください。話はそれからです」
アリスは厨房に戻ると、手早く調理を始めた。
俺がプレゼントした新しい包丁が、まな板の上で軽快な音を立てる。
分厚い豚肉が均等に切り分けられ、特製のタレとともにフライパンの上で踊った。
香ばしい匂いが店内に広がり、バルザックの護衛たちでさえ喉を鳴らす。
やがて、バルザックの前に一つの盆が置かれた。
「どうぞ。うちの看板メニュー、生姜焼き定食です」
バルザックは腕を組み、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「私のような美食家に、こんな下民の餌を食えと? 私の舌を満足させられるとでも……」
文句を言いながらも、立ち上る香りに抗えなかったのか、彼は渋々箸を手に取った。
分厚い肉を一切れ口に運び、ゆっくりと咀嚼する。
その瞬間、バルザックの動きがピタリと止まった。
「……な、なんだこれは」
彼は目を見開き、震える手で次々と肉を口に運んでいく。
タレの染み込んだご飯をかき込み、付け合わせのキャベツを平らげる。
ただの食事じゃない。それは、飢えた獣が獲物を貪るような勢いだった。
やがて、最後の一口を飲み込んだバルザックの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「なんという……なんという美味だ……! 肉の旨味を極限まで引き出す絶妙な火加減、そしてこのタレの奥深さ……私の負けだ!」
バルザックは身分も忘れ、アリスに向かって深く頭を下げた。
その姿を見て、俺は思い出した。
復讐の目的を失い、空っぽになって街を彷徨っていた俺を救ってくれたのは、この寂れた定食屋だった。
アリスが作った普通の生姜焼き定食を食べた時、その温かさと美味さに、俺も涙を流したのだ。
復讐鬼だった心に人間らしさが芽生え始めた、あの日の涙の生姜焼き定食。
目の前で泣き崩れるバルザックの姿は、かつての俺そのものだった。
「先ほどの無礼、どうか許してほしい。君は天才だ!」
バルザックは涙を拭いながら、興奮した様子で立ち上がった。
「店を奪おうなどと考えた私が愚かだった。これからは、この店の常連客として通わせてもらう。いや、全面的に支援させてくれ!」
アリスは困惑したように笑いながらも、丁寧にお辞儀を返した。
「ありがとうございます、お客さん。またいつでも食べに来てくださいね」
俺は静かに席に戻り、冷めかけたお茶をすする。
地元のチンピラ探索者が嫌がらせにやってきた時、俺は力ずくで追い払った。
だが今回は、アリスの料理が店を守ったのだ。
この美味しいご飯を明日も食うため。
俺の胸に芽生えた新たな信念は、決して揺るがない。
敵対しそうだった商人が常連客となり、定食屋の基盤はさらに強固になった。
バルザックは今後、どのようにこの店に関わってくるのだろうか。
面倒なことにならなければいいが、と少しだけ胃の奥が重くなるのを感じる。
だが、どんなトラブルが起きようとも、俺がこの日常を守り抜くだけだ。
「アリス。ご飯、おかわりだ」
俺が空になった茶碗を差し出すと、アリスはふわりと柔らかな笑顔を見せた。
「はい、ただいま!」
温かいご飯の湯気が、俺の心を穏やかに満たしていった。




