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第27話

朝日が差し込む通りには、まだ昨夜の騒動の粉塵が薄く漂っていた。


倒壊を免れた建物からは住民たちが恐る恐る顔を出し、やがて危害を加える魔獣が一体も残っていないことを確かめると、互いに肩を抱き合って安堵の声を漏らしている。


街の防壁付近に散らばっていた瓦礫の撤去作業が、早くも始まっていた。破壊された石畳や崩れた木枠を片付ける人々の中に、悲壮感はない。街を丸ごと呑み込もうとしていた脅威が、跡形もなく消え去ったという事実が、人々の手足を前向きに動かしていた。


俺は定食屋の勝手口に腰を下ろし、軽く伸びをした。


十年の歳月を費やして鍛え上げた力は、かつて思い描いていたような血生臭い復讐の結末ではなく、ただ目の前にある皿や、それを作ってくれる連中の平穏を守るために使われた。胸の奥底にあった冷たいしこりは綺麗に消え失せ、代わりに朝の澄んだ空気が肺を満たしていく。


「ジンさん、おはようございます!」


通りの向こうから駆け寄ってきたのは、冒険者ギルドの制服を着たセリアだった。丸眼鏡の位置を指先で直しながら、分厚いバインダーを抱えて息を切らしている。


「セリアか。朝から騒がしいな」


「騒がしいのは街全体ですよ! もう、どれだけ大変だったか分かってるんですか? ギルド本部への報告書の作成で、私、一睡もしてないんですから!」


ぷりぷりと怒ったように頬を膨らませつつも、その目元には隠しきれない安堵が滲んでいた。彼女は手元の書類をペラペラとめくり、俺の顔をまじまじと見つめる。


「ダンジョン深層から湧き出した異常個体の群れ、そのすべてが単独の探索者によって瞬時に解体・殲滅……。現場の痕跡を調査した上層部が『記録の間違いではないか』って大騒ぎで、私の胃がどれだけ痛かったか」


「事実を書けばいい。群れは片付いたし、元凶の装置も完全に砕いた」


「ええ、分かっています。防衛線に残された魔獣の切り口、あれを見れば誰がやったかなんて一目瞭然ですから。……本当に、街を救ってくださってありがとうございました」


セリアはバインダーを胸元に抱え直すと、いつもの事務的な態度を崩し、深々と頭を下げた。


「あなたがいなければ、この街は跡形もなく消え去っていました。ギルド職員として、そしてこの街に暮らす一人の住人として、心からお礼を申し上げます」


「大げさだ。俺は自分の朝飯を邪魔されたくなかっただけだ」


そっけなく返すと、セリアは眼鏡の奥で呆れたように笑った。


「相変わらずですね。でも、そんなジンさんだからこそ、私たちは安心してここにいられるのかもしれません」


セリアがギルドの残務処理に戻るのを見送った後、俺は立ち上がって店の正面へと回った。


店の入り口付近では、くたびれたスーツ姿の青年が、店の前に散乱していた木片をせっせと箒で掃き集めていた。


リオンだ。


「あ、ジンさん……!」


俺に気づいたリオンは慌てて箒を止め、背筋を伸ばした。その顔色は、以前のような怯えきった青白さではなく、どこかすっきりと晴れ渡っている。


「片付けなら急ぐ必要はないぞ」


「いえ、じっとしていられなくて。……あの、ギルドの方から聞きました。ゲイツが、完全に……」


「ああ。奴の野望も、違法な仕掛けもすべて消えた。もうメガロドン社の影に怯える必要はない」


リオンの手から、ふっと力が抜けたようだった。彼は握りしめていた箒の柄を見つめ、それからゆっくりと息を吐き出した。


「僕はずっと、あの会社とゲイツの存在が怖くて……自分が関わってしまった過去から逃げることしかできませんでした。でも、ジンさんが背中を押してくれて、アリスさんやトマ君のために情報を持って走れた時、初めて自分の足で前に進めた気がしたんです」


リオンの瞳には、かつての自責と恐怖の影はなかった。目の下に残るクマさえも、過去を乗り越えた証のように見える。


「これからは、もう過去を言い訳にしません。僕もこの街で、一からやり直してみます。ちゃんと胸を張って、生きていけるように」


「そうか。お前が美味そうに飯を食うなら、店にとっても客が増えて悪い話じゃない」


俺のぶっきらぼうな物言いに、リオンは驚いたように目を丸くし、それからくしゃりと顔を崩して笑った。


「はい! また絶対、食べに来ます!」


その時、通りの角から派手なエンジン音とともに、見覚えのある高級車が滑り込んできた。


車輪が止まるやいなや、後部座席から転がり出るようにして降りてきたのは、恰幅のいい体躯に豪奢な毛皮のコートを羽織った男――バルザックだった。その後ろには、資材を山積みにした大型トラックと、工具を手にした職人たちが十数人も従っている。


「おお、ジン殿! 無事であったか!」


大股で歩み寄ってきたバルザックは、半壊した定食屋の看板と外壁を見上げ、芝居がかった仕草で天を仰いだ。


「なんという無残な姿だ! 街の誇りであり、至高の味を生み出す至宝の城が、このような暴虐に晒されるとは! だが案ずることはないぞ!」


バルザックはバチンと派手に指を鳴らした。するとトラックから職人たちが次々と降り立ち、手際よく測量器具を構え始める。


「わ、バルザックさん!? これ、一体どういうことですか……?」


店の奥から割烹着姿のアリスが、目を白黒させながら顔を出した。その後ろからトマも興味津々といった様子で覗き込んでいる。


「ふはは! 見ての通り、この店の全面修繕である! いや、それだけではないぞ。この一帯の区画すべての復旧費用、すべて我が商会が全額出資することに決定した!」


バルザックは胸を張り、これ見よがしに腹を揺らして高笑いを上げた。


「街の危機を救った英雄の拠点が傷ついたままであっては、美食家としての私の名が廃るというもの。資材は最高級の木材を取り揃え、腕利きの宮大工を総動員した! 元の風情を完全に再現しつつ、さらに頑丈な造りへと蘇らせてみせよう!」


「ぜ、全額だなんて……そんなの申し訳ありません! うちみたいな小さな定食屋に、そこまでしていただくわけには……」


戸惑って手を振るアリスに対し、バルザックは真面目な顔つきになって首を横に振った。


「遠慮はいらんのだよ、アリス殿。君の作るあの生姜焼き定食が失われることこそ、私にとっては最大の損失なのだ。それに……街が平和であってこその美味だ。ジン殿が命がけで守ったこの平穏を支えることこそ、財を持つ者の務めというものさ」


傲慢で強欲な成金商人だったはずの男が、今ではただの気のいい常連客の顔をして笑っている。


トマが職人たちの持つ大きな木材を見上げて、歓声を上げた。


「すっげえ! 店が前より頑丈になるのか!? アリス姉ちゃん、よかったな!」


「もう、トマったら……。でも、本当にありがとうございます、バルザックさん」


アリスは深々と頭を下げ、それから俺の方を振り返って柔らかく微笑んだ。


「ジン、お店が綺麗に直ったら、一番最初にお腹いっぱいご飯を食べてくださいね」


「ああ。楽しみにしている」


職人たちの威勢のいい掛け声が響き、街のあちこちから槌音が聞こえ始めていた。壊れたものは直せばいい。失われた時間は戻らないが、これから積み重なっていく時間は、誰にも奪わせはしない。


通りを吹き抜ける風は冷たさを失い、穏やかな陽光が俺たちの立つ足元を温かく照らしていた。

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