第23話
天井まで届くほどの巨躯から放たれる紫黒色の燐光が、石造りの制御ルームを不気味に照らし出していた。
筋肉が異常に盛り上がり、背中から無数に生え出た外骨格の触手が、蛇のようにうねりながら空気を切り裂く。胸の中心に埋め込まれた違法魔道具が、心臓のように脈動するたびに、部屋全体の床がビリビリと震えた。
「ハーッハッハッ! 素晴らしい……これがダンジョンコアの原初エネルギーか! 全身に力が満ち溢れていくぞ!」
もはや人の声とは思えない、重低音のノイズ混じりの哄笑が響く。ゲイツの顔面は左右非対称に歪み、赤く発光する複眼がぎょろりと俺を捉えた。
「見ろ、ジン! 貴様のような無能な探索者には到底理解できまい! この圧倒的な暴威こそが、世界を支配する真の力だ!」
俺は魔剣包丁の柄を握り直し、切っ先をわずかに下げた構えのまま、静かに息を整えた。
風切り音とともに漂ってくるのは、焦げ付いた肉と魔力の不快な臭いだけだ。威圧感など微塵も感じない。深層の最下層で何百回と見てきた、ただの暴走個体と何も変わりはしなかった。
ゲイツは触手を蠢かせながら、勝ち誇ったように嘲笑を深める。
「メガロドン社が事故で潰れたと聞いた時、貴様はどう思った? 標的を失って呆然としたか? あんなものはな、すべて私の描いた筋書き通りだったのだよ!」
哄笑が反響し、壁に細かい亀裂が走る。
「無能な社長や他の役員どもは、ダンジョンの利権に胡坐をかくだけの老害ばかりだった。だから私が裏で細工をし、崩落事故を引き起こしてまとめて始末してやったのだ! 会社の全資産と隠し魔道具を独占し、より強大な支配者として君臨するためにな!」
得意げに語られる真相。
十年前に両親から工場を奪い、過労死へと追いやった元凶。その会社が呆気なく消滅した裏には、この男の私利私欲による自作自演があった。
俺の心は、驚くほど静まり返っていた。
かつての俺なら、その言葉を聞いた瞬間に血が沸騰し、我を忘れて斬りかかっていただろう。憎悪に身を任せ、相手を八つ裂きにするためだけに刃を振るっていたはずだ。
けれど今、胸の奥にあるのは冷徹なまでの静寂だった。
「……そうか」
短く呟く。
包丁の刃に薄く魔力を纏わせ、切っ先をゲイツの眉間にぴたりと合わせた。
「貴様、その程度か? 復讐の相手が目の前で真相を語っているのだぞ! もっと怒り狂い、絶望して泣き叫んだらどうだ!」
ゲイツが苛立ちを露わにして床を踏み鳴らす。衝撃で石畳が粉々に砕け散った。
「過去の因縁なんざ、とっくにどうでもいい」
俺は淡々と言葉を返す。感情の揺らぎなど、視線の先にも乗せない。
「俺がここに来た理由は一つだ。お前がアリスの店を脅かし、街の平穏を乱した。俺の帰る場所を邪魔する奴は、誰だろうと叩き出す」
「黙れぇぇぇッ! たかが飯屋の一杯飯に現を抜かす落ちこぼれが、私を愚弄するなぁッ!」
ゲイツの背中から伸びた三本の触手が、音速を超えて突き出された。
空気を引き裂く甲高い破裂音。石壁を紙のように貫く破壊の一撃が、俺の頭部、心臓、腹部を目掛けて同時に迫る。
俺は最小限の身のこなしで半歩横へ滑り、最初の一撃を紙一重でかわした。同時に包丁を斜めに振り上げ、二本目の触手を根元から切断する。紫色の体液が噴き出す間もなく、三本目の先端を包丁の背で弾き飛ばし、その軌道を天井へと逸らした。
ズドン、と天井が抉れる鈍い音が頭上に響く。
「なっ……!?」
ゲイツの複眼が見開かれた。
自身の放った必殺の一撃が、何の力みもない動きで完封されたことが信じられないらしい。
「動きが雑だ。力に振り回されている」
俺は床を蹴った。
一瞬で間合いを詰める。ゲイツの巨体が視界いっぱいに広がるが、恐怖など欠片もない。深層の魔獣に比べれば、その巨躯は隙だらけの的でしかなかった。
「舐めるな小僧がぁッ!」
ゲイツが丸太のような太い腕を振り下ろしてくる。床ごと俺を圧殺しようとする重圧の嵐。
俺はその腕の内側へと潜り込んだ。
包丁を逆手に持ち替え、手首のスナップだけで刃を滑らせる。魔力を凝縮した刃先が、鋼鉄よりも硬い外骨格を滑らかに両断した。
「ギギャアアアッ!?」
肘から先を切り落とされたゲイツが、悲鳴を上げて後退する。
傷口から漏れ出す魔力が、部屋の空気を激しく乱気流へと変えていく。だが俺は追撃の手を緩めない。反転し、ゲイツの巨体の側面へと回り込むと、膝裏の関節部へ正確に蹴りを叩き込んだ。
骨が砕ける鈍い音が響き、山のような巨体がたまらず片膝をつく。
「馬鹿な……あり得ん! この私が、ダンジョンコアの力を得たこの私が、名もなき探索者ごときに圧されているだと……!?」
ゲイツは残された左腕を振り回し、紫黒色の魔力弾を乱射した。部屋中に着弾した魔力が炸裂し、天井から巨大な瓦礫が次々と落下してくる。
俺は瓦礫の隙間を縫うように駆け抜け、飛来する魔力弾を包丁の腹で正確に切り払いながら前進した。無駄な動きは一つもない。すべては、あの温かい店に早く帰るための作業に過ぎなかった。
「終わりだ」
ゲイツの懐に完全に踏み込む。
男の顔面に浮かぶのは、もはや傲慢さではなく、純粋な恐怖と混乱だった。
俺は包丁を振りかぶり、胸元に露出している違法魔道具のコアへ向けて、研ぎ澄まされた刃を真っ直ぐに突き出した。
硬質なコアに刃先が触れた瞬間、パキンと高い破砕音が部屋に響き渡る。
亀裂が魔道具の全体へと走り、凝縮されていた紫黒色の魔力が霧散していく。
「ガ……ハッ……!」
ゲイツの巨体から急速に力が抜け、背中の触手がボロボロと崩れ落ちていった。膨張していた筋肉が縮み、男は床へと無様に崩れ落ちる。
手応えは確かにあった。魔道具による肉体の強化は完全に解除され、ゲイツの息は絶え絶えになっている。
これで全てが終わった――そう思った瞬間だった。
「ヒッ……ヒヒッ……まだだ……まだ終わらんぞ……!」
床に伏したゲイツが、血まみれの口元を吊り上げて歪な笑みを浮かべた。
男の残された指先が、床の亀裂の奥に隠されていた制御盤の緊急スイッチを、渾身の力で押し込んでいた。
『警告。ダンジョンコアの自壊シーケンスが起動しました。全区画の強制崩壊まで、残り百八十秒』
無機質な機械音声が、崩れかけの部屋に響き渡る。
直後、足元から地鳴りのような重低音が轟き、ダンジョン全体が激しく揺れ始めた。天井の亀裂から大量の土砂が降り注ぎ、深層へと続く魔力の奔流が逆流を始める。
「貴様も……街の連中も……全員道連れだ! このダンジョンが崩壊すれば、地上の街ごと大穴に飲み込まれる! 私の勝ちだ……ハハハッ!」
狂気に染まったゲイツの叫びが、崩落の轟音にかき消されていく。
俺は揺れる足場をしっかりと踏みしめ、崩落を始める頭上と、暴走の光を強める最深部の魔力炉を鋭く見据えた。




