第19話
コルテスが豪奢な執務室でワイングラスを揺らし、新たな支配者となる妄想に酔いしれていた頃。
俺は地下シェルターを後にし、ゲイツが潜む地下施設へと歩みを進めていた。
だが、その道中にある街の入り口付近は、すでに地獄のような有様だった。
防衛線は崩壊寸前。炎が上がり、探索者たちの怒号と悲鳴が夜空に響き渡っている。
俺は足を止め、迫り来る魔獣の群れを見据えた。
浅層には存在しないはずの凶悪な個体ばかりだ。
鋼鉄の鱗を持つ巨大な猪、岩盤を砕く爪を持つ四つ目の獣、さらには炎を纏う大トカゲまでが姿を現している。
普通の探索者なら、絶望に顔を歪めるだろう。
だが、俺の目にはそれが別のものに見えていた。
「……極上の霜降り肉に、珍味の尻尾だな」
俺は品定めするように、群れの先頭から最後尾までを見回した。
なし崩し的に定食屋の食材調達係となっている俺にとって、これは絶好の狩り場だった。
持て余した力を持て余すことなく、俺は群れの中へ踏み込む。
ドーラに打ち直してもらったばかりの、包丁の形をした魔剣を抜く。
かつてのような、ただ破壊するだけの殺伐とした戦い方ではない。
周囲の建物を傷つけず、肉の鮮度を落とさないよう、急所だけを的確に断ち切る洗練された動き。
巨大な猪が突進してくる。
「まずは牡丹肉だな」。俺は突進を半歩で躱し、すれ違いざまに刃を滑らせて頸動脈を断つ。
血抜きを済ませながら、次の獲物へと視線を向ける。
スローライフを満喫するための、ただの仕入れ作業だ。
四つ目の獣が咆哮を上げ、鋭い爪を振り下ろしてくる。
俺は魔剣の峰でその一撃を受け流し、無防備になった腹部へと刃を滑らせた。
硬い毛皮を容易く切り裂き、内臓を傷つけないように極上のロース肉だけを切り出す。
炎を纏う大トカゲが火球を吐き出そうとした瞬間には、すでにその背後に回り込み、美味いと評判の尻尾の付け根を一刀両断にしていた。
巨大な獣たちは悲鳴を上げる間もなく、綺麗に解体されて地面に崩れ落ちる。
「よし、これで明日の仕込みは完璧だ」
俺は小さく頷き、空間収納の魔道具に新鮮な肉の塊を放り込んだ。
周囲の探索者たちが、呆然とこちらを見ている。
彼らにとっては死の恐怖でしかない魔獣の群れが、俺の手にかかればただの食材に変わっていくのだから、無理もないだろう。
◆ーーーー◆
同じ頃、ギルドの入り口で避難誘導を行っていたセリアは、信じられない光景に目を奪われていた。
「嘘、でしょう……?」
彼女は丸眼鏡を押し上げ、遠くの防衛線を見つめる。
街を飲み込もうとしていた魔獣の群れが、たった一人の男によって次々と沈んでいく。
ジンだ。
規格外の戦闘力を持つ彼が、一人で街の防衛線を支え抜こうとしていた。
しかも、よく見ればただ倒しているのではない。
「あんな状況で、綺麗に部位ごとに解体してるんですか……っ」
胃の奥がキリキリと痛むのを感じながらも、セリアの胸には強い希望が湧き上がっていた。
普段から彼の持ち込む常識外れの素材や報告書に悲鳴を上げ、胃薬を手放せない日々を送っている。
だが、その規格外の力が、今は何よりも頼もしかった。
周囲の探索者たちが驚愕の声を上げているのを聞き、セリアは少しだけ誇らしい気分になる。
「皆さん、落ち着いて避難を続けてください! 防衛線は持ち堪えています!」
セリアは声を張り上げ、パニックに陥りかけていた人々を誘導する。
彼女の視線の先では、ジンがまるで厨房で料理をしているかのような手つきで、凶悪な魔獣を次々とさばいていた。
その姿はあまりにも現実離れしていて、どこか滑稽ですらある。
それでも、彼がいればこの街は守り切れる。
セリアはそう確信し、自らの職務を全うすべく再び声を上げた。
◆ーーーー◆
魔獣の群れをあらかた片付けた俺は、血のついていない布で魔剣を拭い、アリスたちの待つ日常を脅かす元凶を絶つべく、地下施設への入り口を見据えた。
戦いながら、ふと脳裏に浮かぶのは、定食屋の温かい光景だ。
俺が持ち込んだ食材でアリスが料理を作り、トマが美味そうに頬張る。
生姜焼きの甘辛いタレの匂いと、炊き立ての白米の温かさ。
圧倒的な武力で手に入れた高級食材のおかげで、定食屋は連日大繁盛していた。
常連客たちの笑い声と、アリスからの温かい感謝の言葉。
彼女の柔らかな笑顔を思い出すだけで、胸の奥に灯った小さな火が温かさを増す。
それらに触れるうち、復讐の虚無感に苛まれていた俺の心は、いつの間にか癒やされていた。
完全に人間らしさを取り戻したと、自分でも思う。
復讐のためだけに生きていた頃は、ただ力が暴走するだけだった。
感情の起伏は麻痺し、冷たい炎だけが命を繋ぎ止めていた。
だが今は違う。帰る場所があり、守るべき日常がある。
だからこそ、無限の力が湧き上がってくるのを感じていた。
「俺の食事の時間は、誰にも邪魔させない」
呟き、俺は地下施設への入り口となるマンホールを見据えた。
この騒動の元凶を絶たなければ、あの温かい日常は守れない。
◆ーーーー◆
一方、地下施設の最奥。
薄暗い制御室で、ゲイツはモニターに映る惨状を見て歯噛みしていた。
「馬鹿な……! 私の放った魔獣の群れが、たった一人に蹂躙されているだと!?」
かつての悪徳企業の元幹部である彼は、平和な日常の裏でこの街に逃げ込んでいた。
会社が倒産し、すべてを失った屈辱。
それを晴らすため、彼は会社の隠し資産だった違法魔道具を使い、ダンジョンを意図的に暴走させることで、この街を混乱に陥れようとしていた。
コルテスの庇護下にあるように見せかけ、最終的には彼をも出し抜いて自らの復権を果たす。
それがゲイツの野望だった。
だが、その完璧な計画は、一人の探索者によって完全に狂わされようとしている。
「おのれ、おのれ……! 邪魔をするな!」
ゲイツは血走った目でコンソールを叩き、違法魔道具の出力を最大に引き上げた。
台座に鎮座する黒い結晶体が不気味に脈打ち、周囲の魔力を強制的に吸い上げていく。
施設全体が紫色の光に包まれ、魔力回路が悲鳴を上げる。
安全装置などとうの昔に外してある。
「これでも喰らうがいい! 深層の悪夢をな!」
地響きと共に、先ほどとは比べ物にならない凶悪な魔力の波動が、地下から地上へと噴き出した。
新たな、そしてさらに絶望的な個体が呼び寄せられようとしている。
街の入り口でその波動を感じ取った俺は、静かに魔剣を構え直した。
発生源は間違いなく地下だ。
第一波を退け、食材の確保も済んだ。
だが、本当の戦いはこれかららしい。
この温かい日常を完全に守り抜くため、俺は元凶を叩き潰すべく、暗い地下道へと足を踏み入れた。




