↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
14/27

第14話

「……俺が、なんとかする」


そう答えたものの、静かな不安と無力感が胸を締め付けていた。

夜が明け、白み始めた空を見上げながら、俺は一人で街を抜けた。

向かった先は、ダンジョンの深層領域。

鬱屈とした感情を振り払うには、体を動かすしかなかった。


濃密な瘴気が立ち込める岩場を、音もなく進む。

目の前に現れたのは、巨大な甲殻を持つ魔獣だった。

鋼鉄よりも硬いとされる外殻を持ち、四つの巨大な鋏を振りかざす深層の捕食者。

普通の探索者なら、小隊を組んで挑んでも全滅を免れないだろう。

だが、今の俺にとって、こいつはただの食材でしかない。


魔獣が咆哮を上げ、岩盤を砕くほどの鋏を振り下ろしてくる。

俺は軽く身を躱し、無防備になった関節の隙間に手刀を叩き込んだ。

ただの一撃。

それだけで、巨大な魔獣は甲殻を内側から粉砕され、絶命した。


「……よし。身は傷ついていないな」


俺は魔獣の巨体から、極上の白身肉だけを素早く切り出す。

持て余した規格外の力は、今やこうして高級食材を調達するために使われている。

これを持ち帰れば、アリスがまた美味い飯を作ってくれる。

それだけを考えながら、俺は血抜きをした肉を背負い、地上への帰路についた。


◆ーーーー◆


昼時の定食屋は、凄まじい熱気に包まれていた。


調理場前の卓から、奥の席まで、来店者でぎっしりと埋まっている。

俺が持ち帰った深層の魔獣肉は、アリスの手によって絶品の香草焼きへと姿を変えていた。


「うまっ! なんだこの肉、口の中で溶けるぞ!」

「ジン、あんたまたとんでもないものを獲ってきたな。最高だぜ!」


常連たちが次々と歓声を上げ、空になった皿を突き出す。

トマが額に汗を浮かべながら、忙しなく店内を駆け回っていた。

俺は店の隅に立ち、その光景を静かに見つめていた。


「ジン、お疲れ様。今日も大盛況だよ」


厨房から顔を出したアリスが、嬉しそうに微笑みかけてくる。

その笑顔を見ると、胸の奥底で燻っていた冷たい炎が、少しずつ小さくなっていくのを感じる。

十年間、ただ復讐のためだけに生きてきた。

感情を殺し、他者を遠ざけ、殺伐とした日々を過ごしてきた。

だが、この店で温かい飯を食い、人々の笑い声に触れるうちに、俺の心は確実に変化していた。

人間らしさを、取り戻しつつある。

この平穏な日常こそが、今の俺にとって何よりも大切なものだった。


だが、その温かい空気を切り裂くように、店の扉が開いた。


「相変わらず、素晴らしい匂いをさせているな」


芝居がかった声と共に現れたのは、バルザックだった。

恰幅の良い体を揺らし、派手な装飾品を鳴らしながら、彼は悠然と店内を見渡す。

常連たちが少しだけ身を引く中、バルザックは俺の前の席に腰を下ろした。


「美味いものを食いに来たなら、順番を待て」


俺がぶっきらぼうに告げると、彼はふっと鼻で笑った。


「今日は食事だけが目的ではない。君たちに、少しばかり厄介な情報を伝えに来たのだ」


バルザックの顔から、いつもの傲慢な笑みが消える。

その真剣な眼差しに、俺は無言で続きを促した。


「メガロドン社の元幹部、ゲイツ。奴がこの街に潜伏しているという噂は聞いているかね?」


その名を聞いた瞬間、俺の指先が微かに強張った。

アリスも厨房の手を止め、不安げな視線をこちらに向けている。


「ああ。違法魔道具を使ってダンジョンを暴走させ、復権を企んでいるという話なら、すでに知っている」

俺が短く答えると、バルザックは満足げに頷いた。

「さすがだな。私も独自に調査を進めていたのだが、君の耳の早さには恐れ入る」


バルザックは声を潜め、周囲を警戒するように目を細めた。


「だが、問題はそれだけではない。ゲイツの背後には、コルテスという男が支援に回っている」


「コルテス……?」


聞き慣れない名前に、俺は眉をひそめた。


「狡猾で計算高い、裏社会の悪徳商人だ。奴は他人を駒としか見ていない。そして今、奴の標的はこの店に向いている」


バルザックは懐から葉巻を取り出し、火をつけずに指先で弄んだ。


「コルテスの狙いは、この店から漏れ出ている特殊な魔力反応だ。君たちが使っている調味料……それが深層の希少な魔力素材であることに、奴は気づいている」


俺は息を呑んだ。

アリスが大切に使っている、亡き父の形見。

それが原因で、店が狙われているというのか。


「奴は、この定食屋周辺の土地開発を名目に、合法的に店を潰そうと動いている。暴力ではなく、法と権力を使って、この土地ごと魔力素材の利権を独占するつもりだ」


合法的に。

その言葉が、俺の脳裏に冷たく響いた。


「君の腕っぷしが規格外であることは知っている。だが、相手が書類と法律を盾にしてきた場合、力でねじ伏せることはできない。むしろ、暴力を振るえば君たちが犯罪者として追放されるだけだ」


バルザックの指摘は、あまりにも正確だった。

俺は圧倒的な力を持っている。

どんな強大な魔獣だろうと、どんな凶悪な犯罪者だろうと、物理的な脅威なら瞬殺できる。

だが、権力や陰謀、合法的な圧力を前にしては、その力は何の役にも立たない。


十年前の記憶が、鮮明にフラッシュバックする。

親父たちの工場を奪われた日。

巧妙な契約書と法的な罠。

俺たちは何も悪いことをしていないのに、気づいた時には全てを失っていた。

あの時の圧倒的な無力感が、再び俺の足元に忍び寄ってくる。


「……どうすればいい」


絞り出すように出た声は、ひどく掠れていた。


「安心したまえ。私の舌を満足させるこの店を、みすみす潰させるわけにはいかない」


バルザックは葉巻をしまい、自信に満ちた笑みを浮かべた。


「私のコネと財力を使って、奴の包囲網を可能な限り遅らせてみせよう。表の交渉は私に任せておけ」


「……恩に着る」


俺は短く頭を下げた。

バルザックの言葉は心強かったが、胸の奥の冷たいしこりは消えなかった。


◆ーーーー◆


バルザックを見送った後、俺は無言でテーブルの皿を片付けた。


アリスとトマは、疲れた様子で奥の部屋へ休みにいった。

俺は一人、薄暗い店内に残り、窓の外を眺めていた。

街はいつもと変わらない平穏な景色を見せている。

だが、その裏側では、確実にコルテスとゲイツの陰謀が進行しているのだ。


俺は自分の両手を見つめた。

極限まで鍛え抜かれた、無駄のない筋肉。

どんな硬い岩盤も砕き、どんな敵も屠ることができる手。

だが、この手では、見えない権力の網の目を引き裂くことはできない。


不器用な俺には、この温かい日常をどう守ればいいのか、答えが見つからなかった。

誰かを殴り倒せば解決する問題ではない。

俺が動けば動くほど、アリスたちを危険な立場に追い込んでしまうかもしれない。


自分の力が及ばず、目の前で大切な居場所が理不尽に奪われていく。

その恐怖が、じわじわと全身を侵食していく。


窓ガラスに映る自分の顔は、ひどく強張っていた。

問題は何も解決していない。

合法的な手段で店を奪われそうになる危機感と、手出しできないジレンマ。

静かな不安と無力感だけが、冷たい夜の空気と共に、俺の心を深く沈み込ませていた。

俺はただ、無言で拳を強く握りしめることしかできなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。