第八話:火の粉
「もう日が暮れる頃だし、帰ろうか」
険悪な空気はどこへいったのやら、屍の山を黙ったまま見ている天鳴に対して、海は何事もなかったように軽い調子で促した。
元来た道を引き返そうと一歩踏み出したとき、天鳴は咄嗟に彼の袖を掴んで引き留める。
「何?」
「ちょっと待って」
真剣な面持ちの天鳴に向き直り、海は腕を組んで首を傾げた。
「忘れ物?」
「まぁ、そんな感じ」
海が足を止めてくれたことに安堵すると、そのまま屍の山の方へと向き直った。
強烈な臭いと凄惨な光景に若干顔を顰めたがその場で躊躇なく静かに正座をし、そっと目を閉じると胸の前で深く手を合わせた。
突飛な行動に海はただ唖然とし、天鳴の横顔を瞬きもせずに見つめる。
「……うしっ!」
少しの間そうしていると、やがて小さく息を吐いて気合いを入れ直すと、天鳴は目を見開いた。
「…………何してるの」
「え?供養だけど、知らない?」
「馬鹿にしてる?そのくらい知ってるよ、なんでそんなこと――」
「そんなこと?いや、これは当たり前の行為だろ?」
海は思わず固唾を呑むと、天鳴の真っ直ぐな緋色の瞳と視線を交わらせた。
「あ、でも、誓いを立てたってのもある!前の鳥居眞屋の店主と、その使用人の彼らに……んで今まで、黒坂 天鳴に宿った迷い人たちにも。今度は俺が皆の代わりに黒坂 天鳴の贖罪を果たすって、だから安心して今は、ゆっくり休んでほしいなんて――」
天鳴はそんな風に語ると、立ち上がって乗馬袴についた泥や固くなった血を手でパッパと払った。
「君は……」
すると、海は言葉を失ったように呟く。
「ん?」
「気の毒だね」
「?どういう……ぁ」
天鳴の疑問に、海の表情を曇らせると踵を返す。
言葉の真意がわからなかったが、天鳴は深追いせずに黙ったまま、彼の後を追った。
***
あれから食欲は湧かず、日も落ちる頃合いだったので魚捕りは止め、真っ直ぐ鳥居眞屋へ戻った。
店に帰った頃には、蒸していた団子は綺麗に仕上がっており、天鳴は試しに一本だけ焼き器で団子の両面にこんがりと焼き目を付ける。
超がつくほどの不器用なのか、時間を掛けて苦戦する天鳴を尻目に、海は帰る支度を始めた。
「んじゃ僕はこれで。また明日来させてもらうよ」
「え、海、野宿なんだろ。ここに住めば?」
「不要だよ。僕は酒問屋に瓶を返しに行かないとだから。今日はここでおいとまさせてもらうよ」
海はそう言って頭を軽く下げると、引き戸を開けて店から出た。
あれだけ時間を掛けて焼き終えた団子は、見事に真っ黒焦げになっている。
もっと練習が必要なんだろうか。
納得いかない気持ちのまま、炭と化した団子をジャリジャリと音を立てながら試食をする。
海が去ったことによって静かになった茶の間を見渡すと、視界が睡魔によりぐらりと揺れた。
「⋯⋯ねむ」
大きな欠伸をし、団子を食べ終えると二階へ上がる。
異常な眠気に抗えず押し入れから布団を引っ張り出して畳に乱雑に敷くと、倒れるように横たわった。
そして、押し寄せる強烈な睡魔に身を委ね、天鳴は泥のように深い眠りへと落ちていった。
――――視界は、底のない暗闇だった。
「……行かないと」
女性のような自身の声になんの疑問も抱かず、真っ暗で物が一つも無い空間をあてもなく彷徨う。
ヒラヒラした布が太腿に擦れて擽ったいのと、長い髪がひたすらに邪魔だった。
激しい嫌悪感に浸っていたら、背後から光が差し込んできた。
振り返ると、遥か向こうで消え入りそうな小さな光が明滅していた。
ゆっくり一歩踏み出したとき、突然ちゃぷっと足元が音を立てる。
氷のように冷たい水だった。
「…………」
足元が濡れるのをお構い無しに、無我夢中で光へと近付く。
冷たい水により足を真っ赤にさせて、辿り着いた先はなぜか既視感がある輝きを放った一人の少女が居た。
暖かく、どこか懐かしい光を放っていたのは彼女だったようだ。
膝を抱えて蹲っており微かな、胸を締め付けるような嗚咽が聞こえる。
「……うっ……うぅ…」
「ねぇ」
声を掛けても一向に反応しない。
此方の存在にすら気付いていないのか悲痛な声をあげて誰かの名を叫び始める。
「――――⬛︎⬛︎ッ!!⬛︎⬛︎ッ!!」
「ねぇ、泣かないで」
そんな風に、泣かないでほしい。その一心だけで、少女の前にゆっくりとしゃがみ込んだ。
必ず……必ず……私は、⬛︎⬛︎の元に――――
顔が暗くてよく見えない。
目の前で壊れそうなほど泣き崩れる制服を着たショートカットの彼女に向けて、そっと手を伸ばした。
「……って……ハッ……!」
弾かれたように目を覚ますと、チュンチュンと小鳥のさえずりが耳に入ってくる。
明るい日差しが差し込み、朝を迎えたのだと悟った。
何か大切な夢を見ていた気がするが、目を覚ました瞬間にはすっかり記憶から抜け落ちていた。
「あ、起きた」
涼しげな声が聞こえて頭を横に向けると、前垂れを掛けた海が階段を上がっている途中で、足を止めて天鳴を見上げていた。
「海……来てたのか……」
「うん。昨日来るって言ったよ……それにしても黒坂くんってだいぶ変わった所で寝るんだね」
「へ?」
寝転んだまま辺りを見渡すと、昨日は二階の寝室で布団を敷いて横になったはずが、今は布団も無しで二階の踊り場で転がっていた。
「うおおおぉぉ!?びっくりした!!あと少しで落ちるところだった!」
驚愕して上体を起こすと、天鳴は座り込んだ姿勢のまま慌てて後ろへと身体を引いた。
「あれ?違ったんだ?」
「んなわけないだろ!こんな所で誰が寝るか!」
「自分に対しての戒めかと思ったよ」
「どういう意味だよ!」
朝から海と掛け合いをしながら布団を片付けると、目を擦りながら階段を降りて茶の間へと向かう。
「……なにこれ?」
視界に入ったのはホカホカの艶が入った白米に、ふっくらとしただし巻き玉子。こんがり焼き目がついた鮭の焼き魚に、ワカメと豆腐が入った味噌汁が卓袱台に並べてあった。
「朝ご飯だけど」
「作ったの!?」
「うん」
「海が!?」
「……しかないよね……食べないの?」
食べる〜!!と、浮き立つ足取りでその美味しそうなご飯が並ぶ卓袱台へと向かい腰を下ろすが、一人分のご飯しかなくて首を傾けた。
「あれ、海の分は?もう食ったの?」
「ううん。僕はこれだよ」
海は掌サイズのおにぎりを見せた。
「なんでおむすび一個?」
「僕、味覚がないんだよね。何食べても同じだから銭を貯める為にも、これだけでいいんだ」
「え、そ、そうなのか……んじゃ……いただきます」
聞き流してはいけないぐらい重要なことだとは分かってはいたが、ご飯を目の前に、腹の虫が今にも泣き叫びそうだったのだ。
二人して手を合わせると、天鳴は美味しそうな朝食へとありついた。
味は想像以上だった。
お米はふっくらとしていて、だし巻き玉子は出汁がよく利いている。
大根おろしと醤油を添えて口に運べば、じゅわっと出汁が広がった。
あまりの美味さに頬が落ちそうになり、今にも身体が宙に浮きそうだった。
「う〜〜〜〜〜ん!!」
「君は幸せそうに食べるね」
「当たり前だろっ!こんな美味しいもの初めて食べたかも!命に感謝だなっ!」
お箸で掴んだ鮭を持ち上げて感謝を捧げる天鳴を、海はおにぎりを口に運びながら見つめていた。
「てか、この魚と卵どうしたんだ?……あの後、川へ行かなかったよな?」
「ここに来る時に僕が市場で買ってきたんだよ」
「え!?ほ、ほんと!?……ごめん……今、銭無いや」
「別に要らないよ。それより、今日は団子の材料とか買いに行くために少し離れた街に出るよ」
「えっ!?街!いいなっ!」
「少し遠いから疲れると思うけど」
海は、古びた地図を片手で見ながら、気怠げそうにもぐもぐと口を動かしている。
「んなの全然へーき!だいじょーぶ!だいじょーぶ!」
――――なんてご機嫌に言っていたのは一体どこの誰だったのか、天鳴は自身に問いかけたくなった。
難関の峠道をやっとの思いで過ぎた天鳴は、あの時の元気が嘘のように疲れ果てた様子で、荒い息を吐き出す。
体力の限界を迎えていた二人に対して、太陽はまるで絶好調そのものと言わんばかりに煌びやかに輝いていた。
「む゛、む゛り゛ッ!!……歩ぎずぎだろッ!!」
「……体力、無いね」
「海もヘトヘトだよね!?」
辺りには屋敷や宿がチラホラと点在しているが、人通りは少なく、それをいいことに天鳴は大声を出した。
それを合図に体力が切れたように二人は、寂れた街道筋の真ん中で立ち止まる。
ゼーゼーと呼吸を荒らげる天鳴を見ながら、海は地図を開くと、顎に手を添えて「後、三十分は軽く歩くね」と告げる。
信じたくもない事実に、天鳴はその場で足が崩れ落ちそうになった。
「…………そ、その頃には俺の足が壊死してるかもな」
「いいんじゃない?」
「良くない」
天鳴は立ち止まる海を置いて、ズカズカとヤケクソ気味に歩き出す。
「あーあ!昨日から民間人には殺されかけるし、海は冷たいし、遠いし、ほんと最近は運がわ――――」
――――ドゴォンッ!!
「ぐぇ!!」
天鳴が愚痴を叫んだ瞬間、豪快な破壊音と共に、いきなりなんの変哲もない壁を突き破って生身の人間が飛び出す。
それは天鳴の身体を目掛けて吹っ飛んできたのだ。




