第四話:極悪大凶者の器
身体に付いた砂や泥を払い落としながら、質問を投げかけた。
「え…とっ……ちょっと状況整理しよう。前の黒坂?サンセリバ?って、一体どういうことだ?」
いきなりの情報に当惑している天鳴に、青年は気怠げに首を傾ける。
「あれ?店主に何も聞いてないんだ」
「店主?……あぁ…聞いてない。さっきあっちの店から出てきた人が言ってたけど、お金持ち出して逃げたって」
その店主のことを言っているかは分からないが、少し離れた古い老舗を指さして経緯を説明すると、納得したように青年は肩を落とした。
「そうなんだ」
すると、冷ややかな目をして独り言のように呟く。
「んじゃ、また失敗したんだ」
「また……?」
状況が飲み込めない天鳴を置き去りにしたまま、青年は視線を足元に向ける。
「足、腫れてるね」
視線を落とすと確かに足首は赤黒く変色し、ひどく腫れ上がっている。
屋根から飛び降りて捻ったときのものだったが、民間人にも踏んずけにされてより酷くなっていた。
さっきまで痛みを忘れていたはずなのに、意識した途端ズキズキとした激しい痛みが一気に押し寄せる。
「説明のついでに簡単な手当くらいはしてあげるよ。君のお店に入れてくれる?」
視線を上げると、青年は先程天鳴が指していた方面へ顔を向けていた。
――――先には男達が出ていった古くさい老舗。
ボロい看板が掛かっている『鳥居眞屋』だった。
「え、あれ俺の店なの?……別にいいんだけど」
断る理由も特になく天鳴が了承をすると、青年はすぐにスタスタと何も言わずに先を歩いていった。
お礼も伝えていない上に、聞きたいことは山ほどある。
天鳴は痛む足を引きずったまま、青年の後を追い鳥居眞屋の店先に着くと一緒に暖簾をくぐった。
***
青年は一升瓶のお酒と木刀を式台の端に置き、段差を上がって部屋に繋がる引き戸を開けると、い草の香りが天鳴の鼻を擽る。
部屋に入り六畳の茶の間の中心に立って辺りを見渡すと右奥には二階へ続く階段があり、左の引き戸の隙間からは厨が見えた。
そして、正面にはやけにボロい戸が歪に閉ざされていた。
天鳴を座布団に座るように青年は促し、手許箪笥を開けて薬籠を手に取る。
置き場所をあまりにも熟知しているので、ここへ来るのは初めてではないことを物語っていた。
「えっと……君はここのバイトさんか何か?」
「バイト?……何かって言われたら、結構前はここの手間取りだったよ。今は酒問屋でお手伝いしているからね」
「へ、へ〜。道理でよく知ってるなって……」
お、落ち着かないっ!というか、前の黒坂ってなんのことだ……俺は、俺じゃないのか?んでも、これまでのこと何も覚えてないし……記憶喪失でもないってことか?それにさっきなんか『失敗』とか言ってた、よな?なにが?
次々と身に降りかかる不可解な出来事に、焦燥感でダラダラと冷や汗が流れる。
正座をして身構えていると、青年は和紙と硬膏剤を持ちながら近付き正面に向き合って座った。
「足、出して」
言われるままに体勢を崩して足袋を脱ぎ足を伸ばすと、青年は黙々と和紙に硬膏剤を塗る作業を進めていく。
助けてくれた挙句、足の手当までしてくれるなんて、どんだけいい人なんだと思わず涙腺が緩みそうになったところで、天鳴はずっと言いたかった言葉を口に出す。
「そういえば、さっきありがとうな」
「……何が?」
「えっと、だから、助けてくれてさっ」
ただお礼を伝えるだけなのに、妙に気恥ずかしさを感じる。
頬を掻いて俯いていた顔をあげた。
だが、青年はただ目をパチパチと瞬かせた。
どういう反応だ?と天鳴が疑問を抱いた直後、彼の口から斜め上の返答が返ってきた。
「何か勘違いをしているみたいだけど。僕は黒坂くんを助けるなんてことはこれまでの人生でも、そしてこの先も今のところは一生無いよ」
「……へ?」
天鳴はショックのあまり、一瞬でヒビが入った石像のようになって硬直した。
「え、え、んじゃなんで民間人を止めて、くれたんだ?」
「あぁ、あれは道の邪魔だったからね。道のど真ん中に間抜け面した怪我人なんて置かれていたら、変わり者以外は誰も見たくないでしょ」
「間抜け?……い、今!て、手当てしてくれてるのは!?」
「説明のついで」
「それだけ!?」
「……それだけ」
神のように見えていたのはただの都合のいい幻覚だったということか?
勝手に命の恩人だと慕いかけていた相手は、ただの冷徹な通りすがりだったことに天鳴は酷く落ち込む。
「えっと……君、名前は?」
天鳴の質問に対して、彼は少し考え込むように黙っていたが仕方がなく口を開く。
「……僕は終瑠璃 海。好きに呼んでくれたらいいよ」
「海、か。綺麗な名前だな」
「……どうも」
海の纏う空気が少し軽くなった気がして、天鳴は思わず口角が上がった。
そして、意を決して気になっていた質問を投げた。
「さっき『前の黒坂』って言ってたけどあれって一体どういう意味なんだ?」
「そのままの意味、前の黒坂くん」
「いや、そういうんじゃなくて……前のってどういうことだよ、俺は俺じゃないのか?」
「君は君だよ、魂はね。でも、その身体は君と同じ世界から来た黒坂 天鳴。彼の器なんだ」
「へ?」
「君はここの世界の人間じゃない。だから、記憶が無いのは仕方ないことだよ。取り戻すには贖罪を果たさないといけないしね」
身体が強張ったのは、和紙を足首に貼り付けられた冷たい感触からなのか得体の知れない恐怖心からなのか分からなかった。
「……どういう意味だ?」
「この世界。つまり、『サンセリバ』では全員が異なった贖罪を与えられ、果たさなきゃいけない使命がある。それがこれ」
言いながら海は、自身の青色の襟巻を少しズラすと鎖骨の間に青い色で刻まれている文字を覗かせる。
「贖罪の示唆そして、自分の今の階級が御籤として刻まれているんだ」
天鳴の懐に入っていた小瓶と同じ甲骨文字らしき字体で何かが書かれているのは確かだが、天鳴がどれだけ目を細めてじっと見つめても何一つ解読することはできなかった。
「彼は元から極悪人だったらしいからね。初めの階級はおそらく『大凶』だったんじゃないかな」
「大凶……」
「失敗を連続で繰り返すと階級が下がり、罰が与えられる。それは、身体の一部を失うか、あるいは死。最悪の場合は惨い世界へと連れ去られる」
襟巻の形を整えながら、淡々と話を続ける彼を見ながら、死より最悪の場合などあるのかと、天鳴は口には出さずに内心突っ込んだ。
「それで彼は、贖罪の失敗を何度も繰り返し惨い世界へと連れ去られたんだけど…受け入れを拒まれたせいで身体だけがここに残された。それが今、一番の歪み」
海が襟巻をキチッと直し終え、顔を上げると人差し指を立てた。
「ここからが本題。これまで数え切れないほどの君と同じ『迷い人』がこの器に宿り、彼に代わって贖罪へ挑んだ……だけど、全員が見事に失敗した。そして、次は君の番が来たってわけ。もし君が失敗すればまた『黒坂天鳴の器』だけは再びここに残り続け、乗り移った君の魂だけが消滅する」
「……ぇ……ん?」
淡々と語られる話に理解が追い付けず、天鳴は目をグルグルと回しながら上を向いていると「――聞いてる?」という海の声にハッとし、意識を引き戻された。
「なんで俺が選ばれたんだ?」
「それは分かんないよ。そもそも黒坂天鳴のお陰で極悪大凶者だけが、迷い人の魂が乗り移る。ということしか今のところは分かっていないからね」
「極悪……な、なんじゃそれ」
天鳴の言葉に海はピタリと手を止め、顔を伏せると地を這うような低い声で呟いた。
「血も涙もない極悪非道な屑人間にこそお似合いの階級だよ」
呟きは天鳴の耳にはしっかり聞こえていて思わず顔を引き攣らせる。
しかし、次の瞬間には彼は何事もなかったかのように顔を上げ仏頂面で話を続けた。
「ていう噂だけどね。詳しいことはあの帳場箪笥の中に入ってる日録に、歴代の迷い人が『君達だけが分かる文字』で書き残しているみたいだから、後で見てみなよ」
海は天鳴の背後に目を向けたので怪我をした足を庇いながら、上半身を軽くひねって背後を振り返る。
そこには、ボロボロになった箪笥がひっそりと置かれていた。
そちらへ気を取られている間に、海は手際よく和紙の上から晒を巻いて固定し、天鳴の足からそっと手を離した。
「なぁ」
身体を海の方へ向き直して問いかける。
「元の世界へ帰るにはそれを果たせばいいのか?俺、記憶は全く無いんだけど……何故か帰らなくちゃいけない気がするんだよ」
失くした記憶の奥底にある大切な誰かの存在。
自分が戻るのをずっと待っている。そんな微かな気が確かにしたのだ。
緋色の瞳が真剣な光を宿して海の顔を見つめる。
視線を受けた彼は、少し目を見開くがすぐにいつもの冷淡な表情に戻った。
「元の世界のこと忘れちゃったのに凄い自信だね……なら『黒坂天鳴』の贖罪を果たそうか」
「果たせば……戻れんの?」
「記憶を取り戻すのも、元の世界に帰るのも、彼の贖罪を果たさないといけないからね」
海の言葉に、天鳴は目を輝かせ拳を強く握り締めた。
「そっ、かぁ……んでその贖罪って」
「まずは鎖骨の間の窪み……頚切痕を見てみなよ。贖罪への示唆が骨刻文字で刻まれているからさ。それを手がかりにして自分なりに答えを探していくのも贖罪なんじゃないかな」
「は、はぇ〜……」
間抜けな声を漏らしている天鳴を横目に、海は手際よく薬籠を閉じると立ち上がり、元の場所へ片付ける。
「んじゃ、僕はこれで。贖罪果たせるといいね。またどこかで会えたら進展でも聞かせてよ」
くるりと振り返り出口の方へと向かおうとする海に焦った天鳴は、呼び止めようと急いで立ち上がる。
「えっ!?ちょちょちょ!待ってくれ……い゛だっ!」
だが、手当てされたばかりの足首にズキリと激痛が走り派手によろけてしまった。
手を伸ばした先、海の青い襟巻を掴んでグイッと力任せに引っ張ってしまい、凄い勢いで海の細い身体が一気にこちらへ引き寄せられる。
「え、何?引っ張らないでよ。首絞まっちゃう」
襟巻の布が突っ張り、天鳴の手によって皺を寄せられる。
もう既にギリギリと首を絞められているようだが、海は平然とした素振りで足を止めると心底迷惑そうに眉を顰めて振り返った。
「い、いきなり一人で動くのにはシビアすぎるだろっ!?さっき民間人に半殺しにされかけたばっかだし!おまけに記憶も知識もないんだ!まだ何をしたらいいかすら、全っ然わかっていないのに!」
「それを自分で考えてどうにかするのが贖罪なんだってば」
「そんな無茶な!」
「……」
襟巻を掴んでいた天鳴の手が、海によって勢いよく払いのけられてしまう。
驚く天鳴に対し、海はひどく冷ややかな視線を向けて深く溜息をついた。
「僕にそれを言ってどうするの?……なら君は、贖罪を諦めるってこと?」
突き放すような言い方をする海に、天鳴は思わず華奢な両肩をガシッと掴んで声を張り上げた。
「違う!取り敢えず俺と一緒に鳥居眞屋で働いてくれ!」
「……え?」
想定外すぎる言葉に海は、豆鉄砲を食ったような顔をしていた。




