第三話 : 最悪の再会
時刻が十七時半になった頃、天鳴は襟巻を巻くと戸口の式台に立つ。
暖簾の隙間から覗く西日が残る青空からは、鴉の群れが低く濁った声で啼きながら横切っていた。
「んじゃ、行ってくるわ」
呆阿と白が並んで立ち、天鳴を見送ろうとしていた。
「うっす!後のことは任せといてください!」
「……」
白は満面の笑みを浮かべて拳を掲げたが、その横で呆阿だけは未だに腑に落ちない顔をしていた。天鳴は困ったように眉を下げ、気まずさを誤魔化すようにぎこちない笑顔を彼へと向ける。
「あ、あのな。呆阿、本当にただの飯だからな!何も無いからな!」
「はぁ……酒は飲むなよ」
呆阿は堪忍したように大きな溜息をつくと、追及を辞める代わりに釘を刺した。
「!おう、元から飲まねぇよ!」
言葉を返してくれたことに天鳴はひどく安堵すると、袖を軽く捲り笑ってみせる。
そして、草履を履くと店先の暖簾をくぐった。
「じゃあな!」
「気を付けてくださいっす!」
「いってらー」
なんやかんや言いながらも、二人は天鳴に向けて手を振ってくれた。
そして、天鳴の姿が見えなくなったところで二人は静かに手を下ろす。
だが、天鳴の姿が完全に消えたというのに、呆阿は暖簾の奥を一点と見つめている。そんな呆阿に気付いた白は首を傾けた。
「……行かせちゃって良かったんすか?」
「まぁ。民間人にどうこうされるようなタマじゃねぇしな……」
呆阿の胸中から、心配や不安の色は微塵も消え去っていなかったが、自身の警戒心は元から人一倍強い。ただの深読みの可能性もある。
「けど……あいつが帰ってくるまでは、俺は一応起きておく」
「ッ!……俺も付き合うっすよ!」
呆阿の真剣な横顔を見下ろしていた白が、パァっと表情を輝かせた。
「ハッ!当たり前だろ」
呆阿は鼻で笑うと暖簾に背を向ける。
二人は天鳴の無事を願いながら茶の間へと戻っていった。
***
鳥居眞屋を後にした天鳴は、ザッザッと草履が砂を踏みしめる音を耳にしながら、目的地へと向かっていた。
ここに来てから初めて一人で遠出をする緊張感に、天鳴の肩はずっと上がりっぱなしだ。
サンセリバの文字が読めない天鳴のために、呆阿が分かるように絵で描いてくれた地図と、目の前の風景を何度も交互に見比べる。
すれ違う民間人たちの視線は、相変わらず冷ややかで居心地が悪い。無闇に笑顔を向けても怖がられるだけだと思った天鳴は、顔を半分隠すように襟巻に深く口を埋めた。
歩き始めて数十分が経ったころ、目の先に露店や出店がズラリと並ぶ賑やかな通りが見えてきた。
赤や琥珀色、そして橙色の提灯が灯り始め、怪しげな影が地面へと落としている。
「すご……こんなところが凶餐羅にあったんだな」
以前、海と街に行こうとしたことはあったが、あのときは参番隊と争いになり、負傷した天鳴は結局あれ以降行くことが出来なかったのだ。
店の食材の買い出しは基本海か白に任せっきりで、こうして色々な店が並んでいる光景を目にするのは、天鳴にとって今回が初めてだった。
そして、地図通り足を進めると、市場から少し離れた一角に大きく豪華な造りをした屋敷が佇んでいた。
木製の看板には相変わらず骨刻文字が掘られてあり、読めはしないが鈴燈殿と書かれてあるだろう。手元の地図の文字と形が一致している。
辺りには鈴蘭の絵が描かれた灯籠が両側に並び、温かみのある橙色の光が足元を照らしていた。
「で、でっけー」
天鳴は思わず口をポカンと開けて見上げた。
「え?これってそのまま入っていいの?何か、不法侵入とかで捕まったり……それとも一礼してから入るべき?」
地図を両手で持ちながら、屋敷の前でそわそわと歩き回っていると、突然目の前の重厚な戸が静かに開いた。
「うわああ!!」
情けない声を上げて跳ね上がる天鳴の前へ現れたのは、鮮やかな赤い花で彩られた着物を纏う、艶やかな黒髪が美しい仲居だった。
そして、彼女は驚く天鳴を見てニコリと艶やかな微笑みを零す。
「いらっしゃいませ。黒坂 天鳴様でございますね。よくおいでくださいました。風流様がお待ちでございます」
「あ……はい。どうも」
風流とは町年寄の息子だろうか、それとも老婆の名前なのか分からなかったが、天鳴は丁寧に頭を下げる。そして、先行く仲居の背中を追い屋敷の中へと足を踏み入れた。
ガヤガヤと客の騒ぎ声が聞こえる廊下を、二人はいくつも渡っていく。
横切る襖の隙間からちらりと見えるのは、どれも楽しそうに酒を嗜む民間人の姿ばかりだった。
どこにでもある普通の、宴会の光景。
天鳴は安堵で胸を撫で下ろし、そろそろ辿り着く頃合いだろうと考えていた。
だが、客たちの賑やかな声が次第に遠のき、一向に足を止めない仲居は奥深くまで歩いていく。
「?」
天鳴が不思議に思ったと同時に、前を歩いていた仲居がピタリと足を止めた。
彼女の小さな背中の後ろから顔を覗かせると、そこには地下へと続く、朱色で色付けた階段が見えた。
先は真っ暗な闇に包まれており、光一つすら見えない。
「ここを降りていかれましたら、すぐ右手に大きなお座敷がございます。そちらへ入っていただければ、風流様がいらっしゃいます」
振り返った仲居の瞳は黒く淀ませ、あまりの不気味さに天鳴は一歩後退った。
「え、お、俺、ここから一人で行くんですか?」
「左様でございます」
暗闇や、狭いところは苦手では無いがこの闇の中を一人っきりにされるのは、あまりにも酷だ。
「……えっと、案内ありがとうございました」
天鳴は頭の後ろに手を当ててお礼を言うと、仲居はペコリと頭を下げ、そのまま踵を返して去っていった。
「……うしっ!」
天鳴は気合いを入れるために喝を入れると、手すりを握り階段を降り始める。ギシギシと木が軋む音が地下に大きく響き、天鳴は手すりを握る力を強める。
さっきまで豪奢な造りだったのに、ここだけ古びて薄汚れている。その落差に、胸の奥で小さな疑問と、嫌な予感がじわりと膨らんでいく。
ようやく階段を無事降りると、右手側から明るい光が廊下へと漏れ出していた。
――――とりあえず顔を出すだけして、少し時間を経てば帰ろう。
天鳴は息を吸い込むとふぅっと吐き出して、覚悟を決める。そして襖に手を置き、静かに開いた。
あまりの眩しさに天鳴は思わず目を細めたが、次第に光に慣れ視界がハッキリとした。
そこには、大勢の民間人が部屋の中央に置かれた長い座敷机を取り囲んであり、襖を開けた天鳴へ一気に視線が突き刺さる。
全員の双眸が、獲物を見定めているかのような、じっとりとした粘り気のある視線に、天鳴の口角がひくつく。
長い座敷机の上には、見たこともないほど綺麗な赤身が並んだ刺身や、こんがりと焼けた肉料理がこれでもかと並べられており、一見すればとても美味しそうだったが。
それ以上に、部屋を埋め尽くす人の多さに、天鳴は圧倒されていた。
「まぁ〜待っていたのよぉ。黒坂さん!」
声をあげたのは、昼間の老婆だった。
そちらに目を向けると、老婆の横には仕立ての良い紫色の着物を着た若い男が、ニタニタと下卑た笑みを浮かべて猪口を手に取っていた。
おそらく、彼が町年寄の息子さんなんだろう。
老婆は天鳴に近寄ると、腕を強引に掴み「ささっ、こっちだよぉ」と促した。そして、座敷の奥にいる大柄な男達の隙間へと無理矢理天鳴の肩を押して、座らせようとする。
ここに座れば、何かあった時に外へ逃げることは物理的に不可能になる。
天鳴は上擦った声で、老婆の腕を触れようとした。
「お婆さん、俺はその、端っこの方で――――」
「なんやぁお前!俺達に口答えできる分際かぁっ!?」
すると、突然隣に座っていた男が一喝を入れた。
弾かれたように顔を向けた天鳴は、一瞬、呼吸の仕方を忘れる。
凄むような声を張り上げ、天鳴を血走った目で睨みつけるその男の顔に、見覚えがありすぎた。
「あ゛ぁっ!?」
襲ってきた、民間人の一人。
あのとき、草叉で天鳴を突き刺そうとした中年の男だった。
天鳴の血の気が一気に引いていく。
「す、すみません」
逃げ場の無い地下室の座敷。黒坂 天鳴を憎む民間人たち。そして、視界の端に見える数多くの鉄砲。
最悪の直感が、針となって天鳴の脳髄に突き刺さる。
――――これは、やばい
頬に流れた冷や汗が、座敷机を叩いた。




