第四話 : 紙吹雪
暖簾を下ろした鳥居眞屋の店前に、一人の青年が立つ。懐を漁り、取り出した古びた鍵を鍵穴へと差し込んだ。
ガラガラと戸を引いて草履を脱ぎ、丁寧に揃えてから中へと入っていく。
トントンと小気味よい足音を立てて廊下を歩き、茶の間へ続く引き戸を開けると――――。
そこには掛け布団で身体をぐるぐる巻きにさせ、まるで一本の細巻きのような姿になった呆阿と白の姿があった。
「おー、おけぇり〜。意外と早かったな……って」
寝転んだ身体をぴょんぴょんとバウンドさせながら、どこか得意げに青年を見上げる。
しかし、天鳴が帰ってきたのだと思い込んでにやりと顔を綻ばせていた呆阿は、一瞬で目を丸くする。
そこに立っていたのは、居るはずのない男の姿
「海じゃん」
同じく、呆阿の横に寝転んでいた白も顔を上げた。
「え?今日は来ないんじゃなかったんすか?」
酒問屋での仕事を終えたばかりなのか、海の額には汗で濃藍色の髪が張り付き、癖っ毛の髪がひどく乱れていた。
掛け布団に包まれて子供じみた真似事をしている二人に、海は冷ややかな目で見下ろしながら、疑問をぶつけた。
「……何してんの?」
「細巻きごっこ」
「呆阿君曰く、布団に包まれる感覚がたまらないらしくて真似してみたんすけど……これ結構いいっすよ〜」
布団に包まれながらゴロゴロと床を転がる白と、その横で芋虫のように跳ねている呆阿を見て、海は腕を組むと鼻で笑って切り捨てた。
「お子様だね」
「はあ゛ぁん!?」
ガンを飛ばす呆阿をスルーしながら、海はさも当然のように卓袱台の前に姿勢良く座ると、懐から一本の巻物を取り出した。
紐をスルリと解き、腕の中で広げるといつも通り読み始める。そんな海の横顔を見上げた呆阿は、飛び跳ねていた動きをピタリと止めて、まろ眉を寄せると彼へと再び問いかけた。
「てか、お前はなんでここに居るんだよ。今日非番だろ?」
「あぁ……少し、時間ができたからね」
「もう夜っすよ?」
床に転がっていた白も動きを止める。二人の怪訝そうな視線が海へと突き刺さるが、海は気にせず巻物から目を離さないまま淡々と告げる。
「うん。君たちが呆けた顔をして呑気に過ごしているところを見れば、僕はこうならないように気をつけようって実感できるからね。だから今日は来た甲斐があったよ」
「なんか俺たち、酷い言われようじゃないっすか?」
「こいつ絶対友達いねぇだろ」
布団に包まれたまま呆阿と白は顔を見合わせ悪態をついていると、海はとうとう巻物から顔を上げる。
そして、いつも海を見かけるなり煩く騒ぎ立てる人物が居ないことを疑問に思ったのか、辺りを見渡すと、二人へと問いかけた。
「それより……黒坂くんは?」
その質問が茶の間に落ちた瞬間、空気の温度が一段下がったかのように、呆阿と白は石のように硬直した。
だが、それも一瞬だった。二人して即座に意識を取り戻す。海に気取られまいと、呆阿は白に向かってパチパチと高速で瞬きをし、上手いこと誤魔化せ、と目で訴えた。
呆阿の瞬きを受け取った白は、布団の中で何度も小さく頷く。顔を上げ、あわあわとぎこちない笑みを浮かべながら白は彼の質問に答えた。
「あれっす……か、買い出しっす!」
「買い物?」
海は目をすっと細め、値踏みするように白の顔を見つめた。
「そうっす!なんか、豆腐が切れたらしくて――」
「こんな夜遅くに豆腐を売りに来る行商人は居ないんじゃない?でも、黒坂くんが一人で外にいるんだ?珍しいね」
「あ」
海に正論を突かれた白は、自分が特大の墓穴を掘ったことに気付くと再び石像と化した。
海は興味無さ気に彼から目をそらすと、巻物を丁寧に巻く。
呆阿は白の頼りなさに小さく舌を打つと、自ら口を開いた。
「チッ……役に立たねぇな……あれだ、ほら、散歩だ」
「……」
無言の威圧感を放ち、ただ黙って顔を見つめてくる海に、呆阿はもうこれ以上隠し通せないことを薄々感づいていた。
やがて、海は深くため息を零すと巻き終えた巻物を懐に仕舞い込む。
そして卓袱台に目を落とし、おもむろに指先を伸ばした。
「まぁ……言わなくてもだいたいは分かっているよ。これが関係しているんでしょ」
卓袱台の端にぽつんと置かれた、折り畳み跡のついたくしゃくしゃの黄ばんだ紙を手に取ると二人に見せる。
「あ」
「あ」
呆阿と白は口をあんぐりと開け、同時に間抜けな声が一文字となって漏れた。
「おいっ!クソハクビ!んでそんなところに置いてんだよっ!」
「お、俺っすか!?俺、夜ご飯の準備も店仕舞いも一人でやってたんっすよ!ほ、呆阿くんこそ先に気付いて片付けてくれるべきじゃないっすか!?」
「ここに置いてあるなんて誰も思わねぇだろ!最後に触ったのはお前だろ!」
呆阿は目を釣り上げて白を睨みつけ、責め立てる。
それに負けじと震えながら、白は抗議の声をあげている。
そんな二人の擦り付け合いを、海はただ黙って傍観していた。
「……あぁ、そうそう。それが関係してんだよ。民間人に飯誘われたからって、今一人で行ってんだ。それだけ」
海の冷ややかな視線に気づいた呆阿は、バツが悪そうに目線を逸らして、ぶっきらぼうに白状した。
「そう。民間人に……その反応だと黒坂くんが僕に言うな、とでも言っていたの?」
「言ってねぇ。事が済んだらお前にちゃんと伝えるって言ってたからよ。だから俺達が先回りして言うのは違うだろって思っただけ」
「そう」
海は黄ばんだ紙に目を落としたまま、声色を変えずに呟いた。
「でも、事が済むことはないと思うけどね」
その言葉に、呆阿と白は耳を疑った。
「え?」
「どういう意味だよ」
いつもの聞き慣れた、何でもなさそうな平坦な声で、海はあまりにも衝撃的な一言を放った。
「黒坂 天鳴が戻ってくるのは、新しい魂が宿ってからだと思うよ」
「……」
呆阿と白の動きが完全に止まる。
それが、どういう意味か二人には分かっていたからだ。
新しい魂が宿るということは、今の黒坂 天鳴に宿っている魂が死ぬこと。
やはり民間人の料亭の純粋な誘いは嘘で、天鳴を罠に嵌めるためのものにすぎなかったのだ。
黙り込む二人に目もくれず、海は淡々と話を続けた。
「鈴燈殿は、町年寄が裏で営む店だからね。地下には、彼らの血筋のためだけに造られたとっておきの座敷があるらしいよ。表向きは豪邸な料亭だけど、地下で行われているのは、既婚者同士の密会か、気に入らない者を嬲り殺すための拷問。それと悪趣味な見世物だったかな」
海は細長い指を顎に当てると、独り言のように呟く。
「この紙を見たところ、町年寄の息子が催す会食か……黒坂くんは既婚者でも何でもないし、そうなると拷問か見世物だろうね……どこ行くの?」
海が言い終えるよりも早く、呆阿と白は勢いよく布団を剥ぎ取ると俊敏に立ち上がる。
呆阿は迷いのない足取りで衣桁へ向かうと、そこに掛けていた白色と若緑色の羽織を乱暴に掴んだ。
さっきまでの陽気で朗らかな雰囲気は一瞬にして消え去り、二人の瞳には真剣さと、怒りの炎が宿っている。
「決まってんだろ」
子どものように高かった声は、低く濁った響きへと変わり、未だに座っている海を見下ろす。
「天鳴を連れ戻しに行くんだよ」
呆阿の横に立っていた白は、白色の羽織を受け取ると強く頷いた。
その様子を見た海は、小さく肩を竦めて気怠げそうに立ち上がる。
海の手の中にあったくしゃくしゃの黄ばんだ紙は、彼の細い指によってちぎられ、虚しく卓袱台へと紙吹雪となって気味悪く舞い踊った。




