章末:奇跡を願って
動揺が走る海の瞳を見て、天鳴は、彼が贖罪に失敗したことがあると確信した。
「さっき、呆阿と蔵の前でお酒の話していたとき。味、知っているような口ぶりだったからさ。贖罪の失敗を連続で繰り返すと『身体の一部を失う』か、死だったっか?酒の味を知っているってことは、前は味覚があった。つまり、過去に何度も贖罪に失敗して、罰として味覚を失った…ってところだろ」
「……」
普段は弁が立つ海が黙っているのは、図星と捉えていいのだろうか。
天鳴は、彼の過去に一歩踏み込むかのように、言葉を続けた。
「それは『黒坂 天鳴』が関与していたりするのか?」
顔を俯かせて、唇をキツく噛み締める彼の表情は、前髪に隠れてよく見えなかった。
息が詰まるような静寂が、周囲を包む。
黙りこくっている海に、天鳴は熱を込めて告げた。
「厳しい事言うけど、今までの『黒坂 天鳴』が海に苦しみを与えて、辛い思いを沢山させてきたんだと思う。んでも過ぎたことはもうどうにもならないんだ」
そのとき、海の身体がピクリと強張った。
「……いい」
「でも、味覚が取り返せる方法があるなら、俺も海に協力す――――」
「どうでもいい」
天鳴の言葉を遮るように、海は低く呟く。
あまりにも小さな声によく聞き取れず、天鳴は首を傾けた。
すると、顔を上げた彼の瞳に宿ったのは誰に対して向けていたものよりも遥かに冷たく、激しい怒りの蒼炎だった。
――――しまった。
自身の何気ない言葉で、彼の逆鱗に触れたことを天鳴は悟る。
だが、今更気付いても、もう遅かった。
「味覚を失ったくらいどうでもいいんだよ。さっきから君は何?僕が黙っていれば分かったような口を利いた挙句、ズカズカと人の心を暴くような真似をして。君は僕の何なの?友達?仲間?僕はそんなのなったつもりは一切ない」
空気が凍りつくほどの冷えた威圧感に、天鳴は息を呑む。
「親身になって聞いているつもりだけど、僕は頼んでいないし、望んでもいない。特に君にはね。英雄気取りか何か知らないけど、君の独りよがりな言動に虫唾が走るよ」
口数を増やし淡々と言葉を詰める彼の姿に、呆阿と白は身体を強張らせる。
白に至っては、顔を青ざめながら全身を震わせる大きい図体に対して、華奢な呆阿の背後へ身を隠そうと必死に身体を縮こませた。
いつもなら白を跳ね除ける呆阿でさえ、それどころではないと言わんばかりに息を呑んで海を注視している。
「その…ごめん……ちょっと、踏み込みすぎた…本当にごめん……」
仮面のような無表情を崩さなかった海が、ここまで静かな怒りを露骨にして、冷静を失っているのは天鳴も流石に想定外だった。
天鳴の胸に、後悔が押し寄せる。
「……ッ」
だが、天鳴の謝罪を聞いた途端、ハッと我に返ったように海は目を見開く。
辛うじて理性を取り戻したのか、顔を背けて投げ捨てるように言葉を放った。
「今ので分かったよね……僕らは一緒に居ないほうがいいってこと」
海にここまで嫌われ、面罵され、拒絶されているにもかかわらず、彼と決別するという選択肢は、天鳴の視野には無かった。
「でも、」
何故ここまでして、彼に必死になる理由すら天鳴にも分からない。
嫌なことを散々言われたのに、自分はまだ彼ともいたいと願ってしまう。
それを知るためにも、天鳴は一歩も引かずに熱を込めて語りかけた。
「海と、今の皆とも、一緒に居たい」
「……」
「だから。海を、失いたくない」
絞り出した精一杯の引き留めに、海は信じられないと言いたげに視線を落とすと、頬を引き攣らせた。
「……君は、どうかしている」
「確かにどうかしているかも……だけど、海に、これだけは知っていてほしいんだ」
生暖かい風が優しく吹き、背後から木の葉っぱたちが、サワサワと揺れる心地よい音が聞こえる。
「側は『黒坂天鳴』でも、魂は違うってことを。俺は、自分が人間か分かっていないし、善人だって、証明も出来ない。けど、そんなの言い訳にすぎない、だから」
海の顔がゆっくりと上がり、天鳴の顔を見つめる。
「いつか『黒坂 天鳴』を今の自分が覆す。贖罪を果たして、俺の記憶も取り戻す。それで世間を圧倒させて、海を……」
「笑顔にさせる」と、天鳴は口に出しかけるが、思いとどまった。相手の感情を、自分がどうこう言うのは違う気がして、すんでのところで言葉を慎む。
その代わりに、天鳴は震える手を、彼の方へと真っ直ぐ差し出した。
「それまで、隣で見届けてほしい。ひとまず猶予までは、いつも通り罵倒を浴びさせてくれ」
「……」
瑠璃色の瞳と、緋色の瞳が交わう。
だが、先に逸らしたのは、やっぱり海の方だった。
「……本当に……君は……なかなか折れてくれないね」
溜息を零した海は観念したように呟くが、天鳴の差し出したその手は、取ってはくれなかった。
――――でも、いい。いつか海が手を取ってくれるその日まで、何度だってずっと手を伸ばし続けるから。
後ろで見守っていた呆阿と白は、詰まっていた息を静かに吐き出す。
天鳴は、伸ばした手を静かに下ろして腰に当てると、したり顔を浮かべて海に問いかける。
「本当に折れてほしいとか思ってんのかよ?」
「……自意識過剰って、君のために作られたような言葉だね」
いつもの冷たい仏頂面を浮かべ、元の調子に戻った海に、天鳴は愉快な笑いを漏らした。
「ははっ!まぁこれは、俺の勝手な期待なんだけどな」
夕日を背にした、天鳴の結んだ黒い髪が風でふわりと揺れる。
「俺が奇跡を見せてやるからさっ!首を長くして待っとけ!」
海は、あまりの眩しさに目を細める。
それが夕暮れの日差しのせいなのか、それとも天鳴の放つ光のせいなのか――――。
***
行き道は二列だったのが、今では四人が一列で並んで鳥居眞屋への帰り道を歩いている。
「はぁ〜……まじで一時はどうなるかと思った」
呆阿は頭の後ろで腕を組んで、ため息混じりに言葉を吐く。
「ほんとっすよ……俺、あと少しで漏らすかと思いました」
「もう漏れてんじゃね?」
「いや。まだ無事っす」
呆阿と白の掛け合いに、天鳴は穏やかな笑みを浮かべる。
そして、ふと脳裏に浮かんだ疑問を二人に投げかけた。
「二人はこれからどうすんだ?」
「……」
天鳴の問いかけに、二人は同時に黙り込む。やがて、呆阿は苦々しく口を開いた。
「クソ参番隊に藁小屋潰されたから、また野外で世話になるな」
「俺は、修行のために家から追い出されてるんで……」
「修行?魂術のとか?」
目を丸くした天鳴に、白は頬を掻きながら歯切れ悪く答えた。
「まぁ…そんなところっす」
「ふーん?あ。んじゃさ、二人とも鳥居眞屋に住まない?」
「へ?」
天鳴の突拍子もない提案に、今度は二人が同時に目を丸くした。
「鳥居眞屋って……あの古い団子屋っすよね?」
「そうそう。まぁ働いてはもらうけどな。二階に部屋が四つあるし。俺一人じゃ広くて、ちょっと寂しいんだよな」
「えっ!?逆にいいんすか!?」
「は〜働かないといけないのかよ……まっ野宿よりは全然いいか」
「おぉ、全然来てよ!海は?」
「行かない」
「だよな〜。けど、毎朝働きに来てくれよな!」
海の顔へビシッと指を突きつける天鳴に、海は心底嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「流し仕事とか雑巾がけとか、俺何でも引き受けるっす!」
目を輝かせてやる気に満ちている白に、天鳴は右手を横に振った。
「そんな張り切らなくて大丈夫、大丈夫。白だけ働くとかそんなことさせないから。家事は折半だ!」
「はぁ?ハクビに全部任せろよ」
「呆阿はわがまま言わねぇの!」
「……」
三人でてんやわんや騒いでいるのを、海は黙ったまま見つめていた。
どこか懐かしげに目を細め、ぼんやりと歩いている海に、天鳴の声がかかる。
「海」
「…え?」
「俺たちここで曲がるんだけど、海はどうすんの?」
「……あ、うん。僕は酒問屋に寄らないといけないから。ここで」
海は、四人の列から一歩前に出ると天鳴達は足を止める。
「寄り道するんじゃねぇぞ」
「また明日っすね」
「またなっ!気を付けて帰れよっ!今日はありがとうなっ!」
海が振り返ると、そこには軽く手をあげる呆阿、小さく会釈をする白。そして、これでもかというほど大きく手を振り、顔を輝かせる天鳴。
海はそんな三人に特に何も応えず、黙ったまま前を向き、真っ直ぐペースを落とさず歩いた。
暫く歩いたところで背中から視線を感じ、思わず振り返る。
すると、まだあの三人は穏やかな笑みを浮かべ、海のことを見守るように見つめていた。
海は何故か胸の奥が擽ったい気持ちになり、平静を装いながら前を向くと、少しだけ、歩く足を早めて曲がり角へと急ぐ。
照りつける夕日があまりにも眩しくて、目を覆いたくなる衝動を抑える代わりに、手は自身の襟巻へと伸ばして掴む。
「……期待しないで、待ってあげるよ。日ノ原 緋衣」
ぼつりと零した海の声は、生暖かい風の音によって掻き消されたのであった。
第一章完結しました────!!
ここまでお読み頂いた読者の皆様には本当に頭が上がりません!
ありがとうございました!
第二章でも鳥居眞屋の活躍を楽しみにしていてください⋯!!




