第十四話:約束は焚き火が燃やす
街を離れ、険しい上り坂をいくつも越えた。
日が完全に落ちる頃には、ようやく見つけた人けが少ない茂みで一夜を過ごすことになる。
夜は物騒だから身を隠す壁が欲しいと言った海の言葉に、同意を示した呆阿は、即座に草木を巧みに編み込んで即席の遮蔽を作り出した。
海も、何度も野宿を経験しているからか、そこらへんの石を二つ拾い上げると慣れた手つきで打ち合わせ、瞬く間に火を起こす。
あまりにもサバイバル能力が高い呆阿と海の姿に、天鳴と白はあんぐりと口を開けていた。
そして、それぞれ離れた場所で寝床を確保すると床に就く。
あれから数時間が経つが、天鳴はなかなか寝付けなかった。
目を閉じても、ザワザワと木々の揺れが大きく聞こえて眠気を妨げる。眠ることはもう諦め、起き上がると離れた焚き火の前に座り暖をとった。
『黒坂 天鳴』の迷い人としてこの器に宿ってから、自身の無力さを思い知らされてばかりだ。
贖罪を果たすと堂々と言っておきながらその機会を奪われ、挙句の果てに今度は死にそうになるとは。
――――それに、あのときは勢いで海達を強引に連れて来てしまったけど、俺の左腕はもう使えない……。次は本気で死ぬんじゃないか。いや、それよりも、皆に危害が及ぶようなことになったら。
自身の完全な落ち度に、自然と肩が落ちる。
「はぁ〜……やらかしたなぁ」
「天鳴」
「ぅわっ!?」
背後から声をかけられ、天鳴は弾かれたように振り返る。
「……呆阿、起きてたのか」
焚き火の橙色の光が、立ち尽くしていた呆阿の顔を静かに照らしていた。
突然姿を消しては、いつの間にか現れ背後に立つ彼に、毎度毎度驚かされてばかりだった。
「うん。俺、夜行性だから」
「動物かっ」
呆阿の淡々とした返しに、天鳴の強張っていた顔がふっと綻ぶ。
呆阿はその表情をじっと見つめたあと、音もなく天鳴の隣へと腰を下ろした。
「天鳴は?寝ねぇの?」
まさか隣に座られるとは思わず、天鳴は目を点にした。
そんな天鳴に気付かない呆阿は、足元に落ちていた枝を拾い上げると、焚き火へと投げ入れる。
パチ、と小さく火花が散ると、強くなった橙色の光が二人を包み込んだ。
「え。あ〜。ん〜……ちょっと考え事してたんだよな」
「……何の?」
呆阿は、真っ直ぐに燃え上がる炎を見つめたまま、天鳴が話し出すのを静かに待っていた。
言おうか、言わないか。少しだけ迷ったが、夜の静寂に流され思わず、呆阿ならいいかと簡単に言葉を吐き出す。
「参番隊から贖罪を取り返すの、俺一人で行けばよかったなって。あのときは勢いのまま海と呆阿を連れ出したけど、二人に大怪我でもされたらって。少し冷静になるべきだった……反省」
「俺は元から付いていくつもりだったけど」
天鳴の後悔など気にも留めないと言った風に、呆阿はきっぱりと言いきった。
「ははっ。ありがとな。んでも、やっぱ海は連れていく必要無かったな」
「なんで?」
「傷付いてほしくないからさ」
「……」
呆阿は真っ直ぐ見つめていた焚き火から目線を外すと、天鳴の顔へと移した。
そんな視線に気付いた天鳴は、誤解を生む発言をしてしまったことにひどく狼狽する。
「あ゛っ!?今の語弊があるよな!?違うからな!?呆阿は傷付いてもいいとかじゃなくてだな!」
慌てふためく天鳴に、呆阿は目を細め、白い横の髪から流れるような動作で耳にかけた。
「分かってるに決まってんだろ。それほど大事なんだろ、あいつのこと」
「まぁ……出会ってまだ一週間ぐらいしか経ってないけど」
「短。あんなひでぇこと言う奴に、なんでそこまで必死なんだか」
「ん〜……」
天鳴は困ったように唸りながら、天を仰ぐ。
視界に飛び込んで来たのは、吸い込まれそうなほど満天の星空だった。
闇のような空一面に煌めく星々は、まるで広大な海のように綺麗だった。
この夜空は天鳴にとって、海の瑠璃色の瞳を彷彿とさせる。
あんな綺麗な瞳を持っているのに、いつも仏頂面なのは勿体ないな。
なんて考えている自分がおかしくなって、天鳴はへらりと情けなく笑うと、呆阿に顔を向けた。
「俺は、海の笑顔が見てみたい」
天鳴のその言葉に、呆阿は呆然とする。
「………………はぁ?」
しばらくして、げんなりとした様子で口角を下げ、眉間の皺を深く寄せた。
「黒坂 天鳴って元は、極悪非道な人間だったらしくてさ。今までの迷い人も失敗してるらしくて……海や民間人が俺に対してあんな態度をとるのも、その過去と何か関係あるんじゃないかって思ってよ。魂は違うとしても、今は俺の身体なんだ。それを今の俺が覆す。だからまずは、一番近くに居る海を笑顔にしたい」
天鳴に対して向ける周囲の確かな憎しみと殺意。それを変えることで、贖罪を果たす何かに近付けるんじゃないかと天鳴は思い至った。
道筋になるかは分からない。だが、やってみないと分からないのだ。
「後は……俺のことを助けてくれたから。んでも、海はそんなつもり無いって言い張ってるけど、助けられたのは事実だから……まぁ、これが海に必死になる理由かな」
出会ってから記憶を手繰り寄せても、海の瞳の奥だけがいつも底知れない深海のように冷え切っていた。
そこに光を差し込めば、この星空みたいに綺麗になるんだろうなと、天鳴は純粋に思ったのだ。
「ほ〜ん。お前って相当変わったやつだな……でも、そういう情が厚い奴、俺は嫌いじゃない」
呆阿は、ニッと歯を見せて笑う。
そして、正面を向くと再び「エイッ」と無邪気な声を出して、拾った枝を炎の中へと投げ入れた。
パチパチと焚き火の爆ぜる音だけが、辺りの空間を支配する。
昼間はあれだけ日差しが強く風一つ吹いていなかったのが、今では涼しい風が吹いて呆阿の柔らかい髪が靡く。
『立派な大人だ』と彼自身は言っていたが、見た目と滲み出る言動は、天鳴からしたらただの子供と同然だ。
そんな彼の幼い横顔を盗み見ると、天鳴は引き締まった声で一言放つ。
「……逃げてくれよ」
「ん?」
「もし俺が参番隊にやられそうになって、本当に危機的な状況になったら、海と白を連れて真っ先に逃げてくれ」
動きを止めた彼の、蓬色の双眸が天鳴の顔をじっと捉える。
「でも、白も信用出来る人間じゃないって海も言ってたから……もし何か怪しい行動を一度でも見せたら、二人だけでいい。俺が白を抑え込む」
戦えない海や、まだ信用しきれない白。天鳴が安心して託し、任せられる相手は呆阿しかいなかったのだ。
自分の身体より倍のデカさの参番隊に立ち向かい、矢を突き刺す根性がある。
そして、出会ったばかりなのに、海の罵倒から庇ってくれたのも天鳴が信頼出来る大きな原因の一つだった。
一度言葉を切ると、呆阿の目を懇願するような眼差しで真っ直ぐに見据える。
「俺を、囮に使え。約束しろ」
小指を立てて、呆阿の前へと突き出す。
「……」
彼は、表情を変えず突き出されたその指を見つめるが――やがて、ふいっと素っ気なく顔を逸らした。
「……それは、俺の気分次第」
あまりにもマイペースな答えに、天鳴はガクッと肩の力を落とす。
そして、少しだけ声を張り上げて呆阿に言い聞かせる。
「なっ、あのなぁ……俺は本気で言ってんだよ」
「うん。俺も本気。だから約束しない」
逸らされていた視線が交錯する。
呆阿の瞳は本当に冗談なんかじゃなく、真っ直ぐな真剣さで天鳴を映していた。
「天鳴に何かあった時は、俺が決める」
「……どういうことだ?」
問いかけには答えず、呆阿は立ち上がると天鳴を見下ろした。
天鳴より遥かに背が低い彼に見下ろされるのは、あまりにも新鮮で、妙な威圧感に、天鳴の周囲の空気がピリッと張り詰める。
「誰かを助けたい気持ちを持ってるのは、お前だけじゃないってこと。少しは頭に入れとけよ」
夜の静寂に呆阿は言葉を零した後「おやすみ」と言い残して自分の寝床へと向かった。
取り残された天鳴は呆阿の言ったことが理解出来ずに膝を丸め途方に暮れたが、焚き火の暖かさが睡魔を誘い、いつの間にか眠ってしまった。




