第十話:消失
厨から聞こえるグツグツとした心地良い鍋の音が、目覚まし代わりとなり、少年はゆっくりと目を開ける。
「……ッ……ん……」
「あ」
壁に凭れて巻物を読んでいた海は、目を覚ました少年に気付き、座ったまま厨へと声を掛ける。
「起きたよ黒坂く――って、ダメだよそんなすぐ体起こしちゃ」
「い゛っ!!」
海が制止する前に、少年が上体を起こすとズキリと頭に激しい痛みが走り手で押さえた。
「だから言ったのに」
「んぅ?お〜、おひたのか、ほはよ〜」
厨の引き戸から顔を覗かせる天鳴は、焦げ団子をモグモグと口に頬張りながら少年に声をかけた。
「ぉは……ッ……参番隊は!?」
微睡むような目で、癖かのように自然と前髪に触れると動きがぴたりと止まる。
すると、正気に戻ったのか、突然声を張り上げた。
天鳴は、驚きのあまりに大して噛んでもいない団子を思わず飲み込んでしまい、つっかえたのか胸をドンドンと叩く。
「!?……ぅ……っくりしたぁ〜…参番隊の男なら、急に砂になって消えたけど」
「…………クソッ」
天鳴の発言に、少年は苦悶の表情を浮かべると悔しげに小さく悪態をついた。
そんな二人を横目で見ていた海は、巻物を卓袱台に置くと姿勢を正して座り直すと首を傾ける。
「困り事?」
「別に。そんなんじゃねぇ……それより俺のこと助けて……くれたんだよな?手当も律儀に……すまない迷惑をかけた」
「んなのお易い御用っすよ」
「……その腕」
少年の視線が親指を立ててグッドポーズを決める天鳴の腕から、逆の左腕へと移る。
団子を焼いていた最中だったのか、袖は捲られ参番隊の金棒で抉られた腕には、包帯がグルグルと厚く巻かれてあった。
腕以外にも、至る所に和紙や包帯で傷が隠されていて、ボロボロな天鳴の姿に少年は、若干恐縮気味に白いまろ眉を下げる。
「ん?……ああっ!こ、これは元からの傷だから、気にすんなっ!」
彼の視線に気付いた天鳴は、慌てて左腕を背中で隠すと、左の口角を引き攣らせた。
「黒坂くん、参番隊の金棒のせいで神経までいったらしくてもう今までみたいに動かせな…モガッ」
「わあ゛あ゛ぁ!言うなって!」
ペラペラと余計なことを話す海の元へドタドタと足音を立てて歩み寄ると、すかさず海の口に団子を突っ込んで黙らせる。
海の言葉に、少年は目を瞬かせると小首を傾げた。
「もう……動かせないのか?」
「今はなっ!これ重要だから!」
「……」
蓬色の瞳が不安気に揺れ、何か言おうとしたのだろう口を小さく開けたが、すぐに閉じて噤んだ。
少年の意味ありげな様子に、海はモグモグとお団子を頬張りながら尻目に見る。
「そいや、参番隊。君と知り合いって言ってたけど仲間だったのか?」
「んな訳ねぇだろ。俺がいつもの藁小屋で寝てるときにいきなり襲撃してきやがったんだ。何事かと思ったら藁小屋が気に入ったから退けだとよ。拒否ったら金棒で頭、どつかれた」
「頭よく割れなかったな……」
包帯を巻いた頭に指を向け、見た目とは裏腹に毒を吐く少年に、天鳴は唖然として立ち尽くす。
少年は怒りで顰めていた顔が徐々に含みのあるものへと変え、やがて意を決して自身の名前を二人に告げた。
「俺の名前愛染野 呆阿っていうんだけど、」
「!?、自分から名乗ってくれるとはな〜」
「……」
嬉しそうに歓喜の声を上げる天鳴に、呆阿は周囲に悟られないように気を張り詰め布団を握る力が強まった。
「親切な奴だなっ!呆阿って呼ぶわ!」
海の横にドカッと胡座をかいて座ると、満面の笑みを浮かべた。
「へ……あ、あぁ……あんたは、黒坂 天鳴だろ?……んで」
そんな天鳴に拍子抜けすると、肩の力を密かに抜いて海の方へと視線を送る。
「終瑠璃 海」
口周りに付いた団子の粉を親指で拭いながら、海は、平坦に自身の名前を告げた。
「やっぱ俺の事知ってんだな〜」
「海な……うん、確か。一年前に会った無神経な黒坂 天鳴」
「あ〜それは多分違う黒坂 天鳴だわ」
「また変わったんだ。どうでもいいけど」
呆阿の素っ気ない態度に、天鳴は口を曲げる。
「海とはまた別のタイプの淡白な性格だな。子どもの癖にお口が悪いねぇ〜」
「僕はこの子より品が良いよ」
「またまた〜」
何も刺さっていない串をプラプラと呑気に振りながら言う天鳴と、その横で目を瞑り感情の起伏を感じさせない声で否定する海。
自分達の発言により呆阿の逆鱗に触れることを知る由もなく、二人は彼に軽薄な態度をとった。
「あ?……子ども?」
「うん。子どもだろ?」
悪気なく首をコテンっと傾ける天鳴に、呆阿の背後から凄まじいぐらいの怒りのオーラが漂っていた。
「……ふざけんなッ……俺はもう立派な大人だっ!お前らより、だんっぜんっ歳上で敬うべき存在なんだよ!」
怒声を上げると勢いよく敷布団から、立ち上がり二人を見下ろすようにして指を突き出した。
呆阿の見事な激怒っぷりに、海がポツリと言葉を零す。
「……地雷踏んじゃったかもね」
「お、大人!?み、見えな……ご、ごめっ!いやその身長がっ!……じゃなくて。声が子どもらしくて……でもなくて!容姿が幼いな〜って……あっこれは全て褒め言葉で……アダッ!!」
天鳴は両手を横に振り、あれこれと弁明を挙げる。
だが、呆阿の顔は不機嫌に歪んでいくばかりで、最終的には拳骨を頭に食らわされて、天鳴は痛みに蹲る。
「俺、一応怪我人なのに……」
フンッと鼻を鳴らすとスッキリしたのか、呆阿は胡座をかいて座り頬杖をつく。
そして、ずっと疑問に思っていたことを口に出した。
「というか、あのクソ参番隊はなんで消えたんだ?アイツはそんな撤退するような腰抜けでもねぇし」
「う〜ん」
「…………さぁ」
顎に手を添えて考え込む天鳴。
海は卓袱台に置いた巻物を手元に広げると素知らぬ顔でポツリと呟いた。
すると、何かを思い出したかのように天鳴は掌に拳を当てて声を上げた。
「あっ」
「?」
「そう言えば、俺の首元に御札?みたいなのあてた後に『数日間震えてろぉ』って言ってたな。それが関係してたり?」
あのとき熱くなった首元に触れながら言うと、呆阿の顔色が一気に真っ青になり発した声が震えた。
「……は?」
「いやだから『数日間震えてろぉ』って」
できるだけ参番隊の声を真似てみせたのだが、呆阿は突っ込む余裕すらなさそうに、前のめりになって問いかけた。
「み……しょ、贖罪奪われたのか?」
「贖罪?……ぅおいっ!」
聞き返す天鳴をよそに、呆阿は立ち上がると彼の襟巻を剥ぎ取る。
そこには何も刻まれていない、綺麗な肌が露わになっていた。
「な、ない……なんで…」
「どうした?」
「どうしたって……は?…まさか、お前知らないのか?」
顔面蒼白の呆阿に対して、畳に手をついたまま顔を上げた天鳴は、何も分かっておらずポカンとしながら首を傾ける。
「なにが?」と声を漏らすがケロりとした天鳴の態度に、呆阿は唇を噛み締めた。
「贖罪についての仕組みだよ。教えてくれた人は、居なかったのかよ?」
「えっと、それは海だけど…」
呆阿は襟巻を掴んだ手をパッと離すと、今度は海の方へと鋭い視線を向けて低い声で問いかけた。
「お前……黒坂天鳴が新参の迷い人なの知ってて言わなかったのか?」
視線を感じた海は、巻物からゆっくり目線を外すと平然とした顔で呆阿の方を見る。
その顔は本当に悪びれた様子もなくただ、いつも通りの淡々としたトーンの声で――――。
「聞かれていないからね」
そう言ったのだ。
激昂した呆阿は、小柄な体型にも関わらず海の青い襟巻を掴んで力任せに引き寄せると正座をしていた海の足が軽々しく浮く。
「え!?ちょちょちょっ!?」
天鳴は慌てて立ち上がり、二人の間に割って入ると呆阿の腕を掴んで力づくで引き剥がす。
そして、庇うように海の前に立ちはだかった。
「落ち着け、な?ステイステイ!どうした、そんな取り乱して」
呆阿の荒い息が部屋中に響き渡り、海は心底迷惑そうに眉を顰めると襟巻を整える。
「取り乱す?当たり前だろ!贖罪奪われるとお前、死ぬんだぞっ!」
叫んだ呆阿の言葉に、天鳴は一瞬で頭が真っ白になった。
――――死ぬ?
「し、死ぬって? 」
「賊剛組は贖罪狩りとして有名な党派だ……贖罪を奪われてから七日が経つと、奴らが吸収した贖罪は、神主から偉大な権力者の宮司に献上するんだよ」
天鳴は、乾いた喉を潤すように唾を飲み込む。ゴクリ、と喉の音が妙に大きく響いた気がした。
「……献上されたら最後。奪われた者は首に大きな穴が開くと、半死人となって鳥葬の森へと行き着き、屍の山の頂上に登ったらそこで命は尽きる」
「……」
「だから頚切痕にある贖罪の示唆と階級…それは無闇に他者へと見せないのがここの厳規。宮司の一族は、サンセリバの民の贖罪を狙ってる。だから安全の為にも首元を襟巻や包帯で隠してんだよ……」
すれ違う人々や海が、汗をかくほどの暑さなのに首元だけはキッチリ閉めていたり、襟巻を巻いているのはこういうことだったのかと絶望に浸りながらも腑に落ちる。
「…………ッ」
天鳴は、どうにもできない現状に焦燥感に駆られる。
そんな大事なことを海は、何一つ教えてくれなかった。
――――鳥葬の森って、俺達が前行った森のところだよな?そこに俺がもっと深く突っ込まなかったからか?
恐る恐る海の方へと振り返ると、無表情な海と視線が交わる。
その瞳は、まるで天鳴が贖罪を奪われたことに対して、何の感情も抱いていないみたいに冷めた目を向けている。
底知れない深海の瞳を前にして、天鳴の視界がぐにゃりと揺れ激しい目眩を覚える。
彼の真意がこれっぽっちも読めなかった。
どうしたら、どうしたらいいんだ。なんとか助かる方法を……というか、本当に死ぬのか?死んだら、魂も終わる?元の世界にも帰れなくなるって……。
前に見た屍の山に、自分がその一部になるのを想像すると鈍器で頭を殴られたように痛んだ。
「――あまめ」
何度も呼ぶ呆阿の声は、意識が混濁している天鳴の耳には届いていなかった。
「天鳴っ!よく聞け!」
呆阿は背伸びをし、天鳴の両肩を激しく揺さぶると、その衝撃でやっと我に返る。
「……あ」
「まだ七日間ある。今から参番隊を追って取り返すぞ」
毅然とした顔で、天鳴に言い聞かせる。
「呆阿……」
自身の問題にも拘わらず、天鳴のために必死な表情を浮かべる彼に、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。
「俺も取り返したいものがあるから力になる。当たり前だけどお前も付いてこいよ」
ぶっきらぼうに言った呆阿は、目線を海へと向ける。すると、海の瞳はどこか不穏な光を宿していた。




