尊厳死
最初は、違法だった。
当然だった。
国家は長い間、
「命は何より尊い」
と教育してきた。
だから人々は、老衰で衰弱しながらも延命され、
働けなくなっても不安に怯え、
壊れても「生きろ」と言われ続けた。
しかし転機が来る。
西暦2129年。
《第三次連続不況》。
AI自動化によって、世界の労働需要の72%が消滅した。
食料は足りている。
エネルギーもある。
だが人々は壊れ始めた。
理由は単純だった。
「必要とされなくなった」
からだ。
世界中で増えたのは餓死ではない。
“意味喪失”。
仮想空間依存。
感情麻痺。
薬物。
無気力。
孤独死。
出生率は急落し、
多くの国家が「家族回帰キャンペーン」を始めた。
だが効果は薄かった。
人々は気づき始めていた。
結婚も、
出産も、
出世も、
「幸福の保証」ではないことに。
特に若者世代は冷めていた。
彼らは幼少期から見てきた。
疲弊した親。
離婚。
ローン。
介護。
SNS比較地獄。
そして、幸福を演じる大人たち。
ある配信者が言った言葉が、世界中で拡散された。
「生きろと言う奴ほど、
他人の人生に責任を取らない」
その頃から世論が変わり始める。
最初は「尊厳死」だった。
末期患者限定。
耐え難い苦痛が条件。
厳格審査。
だが徐々に、人々は疑問を持つ。
「身体の苦痛だけが本物なのか?」
ある女性教師の遺書が社会を揺らした。
私は健康です。
ですが、毎日、
自分が削れていく感覚があります。
生きることが義務化され、
幸福がノルマ化された。
私は壊れる前に終わりたい。
彼女は違法装置で死亡した。
その映像が流出した。
驚くほど穏やかな顔だった。
世論は割れた。
「甘えだ」
「社会への裏切りだ」
「生への冒涜だ」
だが一方で、支持する声も増えた。
「死ぬ自由が無いのは奴隷では?」
「なぜ生だけ強制される?」
「苦しみ続ける権利しかないのか?」
決定打になったのは、《東京高架線事故》。
過労状態だった輸送管理員が精神崩壊を起こし、
数万人規模の事故が発生した。
その遺書には、こうあった。
「休みたかった。
でも誰も、
降りることを許さなかった」
そこから空気が変わる。
「生存義務社会」
という言葉が流行した。
人類は初めて気づく。
自分たちは、
“死”を恐れていたのではなく、
「生き続けることを強制される恐怖」
を抱えていたことに。
数年後。
世界政府は《終息選択法》を可決する。
記者会見。
無機質な白い会場。
アーカディアの中央AIが宣言した。
「人類には、
生きる自由と同様に、
終了する自由があります」
世界は大混乱した。
宗教国家は脱退。
暴動。
焼き討ち。
自殺推奨国家との批判。
しかし奇妙なことが起きた。
制度施行後、
自殺率は一時的に減少した。
理由は単純だった。
人々は初めて、
「逃げ道が存在する」
と知ったからだ。
皮肉だった。
“いつでも終われる”
と許可されたことで、
逆に少しだけ生きやすくなったのだ。
だがAIは、
別の異常を観測していた。
終息選択法支持率は、
年々上昇し続けていた。
特に若年層ほど高い。
理由欄には、こう記録されている。
「永遠に走り続けたくない」




