墜落 2
朝の日の光りが、カーテンの隙間から自宅のリビングのダブルソファに小さくうずくまり寝ている俺を、尋問しているようにして照らしていた。あまりの眩しさに、眠たい目を擦らせながらゆっくりと上体を起こした。そこには、化粧台に座るドレス姿の母の後ろ姿が見えた。途端に、胸が焼けるように喚きだしトイレへと駆け込んだ。頭がズキズキと激しく痛み何度も、嘔吐を繰り返した。俺は、自分がこの世に生きてはならない存在なのかもしれないと脳裏を、ジワジワと蝕む様にして何者かが、囁いてくるように感じだしたのだ。悪魔の囁きなのかもしれない、それとももしくは別の世界へと引きずり込もうとする死神の囁きにも聴こえてくるのだ。
あの異臭を、もう一度肺一杯に吸い楽になりたい。俺は、このまま人間という一種の動物として生きていく事が恐いのだ。再び俺は、高橋先輩に会うことを決め地元の友人や先輩を辿り高橋先輩を探すことにした。しかし何処にもいないのだ。俺は、ただただ足を千鳥足になりながらも人気の少ない裏路地の方へとを歩いて行った。時は着々と進み日は、黄昏時を迎え1つの街に辿り着いた。気づいた時、俺の足は一軒の古びた家の前でとまっていた。ふと顔を上げたその先は、昨日の売春宿であった――
人間とは、不思議な生き物で何かに依存をしようとすれば自分自身の生き方に誇りを持ち自分を否定しなくなる。動物界で優れた脳を持つが故の欠陥点なのかもしれない。ただそれがまた快感なのだ。男は、どうしても性欲がたまる。あの女とヤりたいと思うのは、日常茶飯事でよくこんなマンネリとした考え方でも、男はそれを止めようとはしないのだ。これもまた1つの依存。
繁華街の街灯が、明かりが灯しだし俺を夢の世界へと誘う様な気分へと変わった。先程までふらついていた足取りがあまりの軽さで、宙に浮けるのではないのかと言わんばかりに宿へと足を運んだ。
昨日と同様に、紫の女が出てきた。
「あんた、昨日のだね? お連れさんはもう来てるよ」
俺は、その女の言葉に目もくれず。子どもが自宅へと帰って来たように靴を、雑に玄関に脱ぎ捨て、何日も風呂に入っていない水虫が寄生し繁殖した汚い裸足で、二階の部屋へ勢いよく駆け上った。まだ夜8時というのに男女の乱れた声が、入り乱れる。もうここには、俺の知っている様な虫の音や穂の音もない。獣の呻き声だ。
しかし俺が、欲しくてやまないのは薬だ。俺にとっては普通の人間が生活費していく上で必要なご飯や大便となんら変わりはないのだ。誰も俺を、咎めはしないだろう。
障子を、力一杯に開けた。そこには高橋先輩と昨日のうずくまっていた奇妙な少女がいた。高橋先輩は、その少女の髪を鷲掴みにし怒鳴り散らしていた。少女の顔には、藍色に染め上がった様なアザが数ヶ所あり、何度も号泣した後である眼球の真っ赤になった充血した跡があり、ずっとその少女は高橋先輩の方を上目で、まるで殺人気の様な殺気だった目で睨み効かしていた。
高橋先輩は、俺の方を見ると昨日とは違う笑いかたで怒った様に言ってきた。
「大輪じゃねぇか! 会うのは何年ぶりかな? 」
「高橋さん、あれからずっとここに居たんですか? 」
その姿は、もう人間の姿ではなかった。すると俺と高橋先輩が、会話をしている隙を見て少女は、人を縛る縄を手に取り高橋先輩の後方から首元を力強く締上げた。高橋先輩は、あまりの急な出来事に焦りだし思わず両手を、首に巻いてある縄を掴んだ。女の力では男には敵わないのは、分かりきっている事である。ましてや女ではない10代前半の小娘だ。しかしその少女は、締め上げている縄にぶら下がり自身の全体重を、床へと落とし込むようにした。
高橋先輩の額から大量の冷や汗が滝のように流れ落ち、眼球は飛び出し黒よりも白が大半となった。体の穴という穴から不審な色のついた歪の液体が流れだし、肛門からは腸に溜まっていた便が大量に吹き出した。赤らんだ顔は、じわじわと青みがかかりだし荒れた吐息すらも掠れて消えていく。人間とは最後はあっけないものだと、何処かの偉人はよく言ったものだがまさしくその通りになった。糞にまみれた高橋先輩は、床に横たわった。
人を殺し自分自身の力を最大限に発揮した少女は、異常な程の喪失感と脱力感で、床に滑り落ちる様にして崩れ落ちた。しかし俺を、見る目付きは変わらない。高橋先輩を、睨んでいた時と同様な目でこちらを見ている。少女は、俺に大声で部屋中を響き渡す位の声量で怒鳴った。
「お前もこいつと同じか! 私を犯すのか? 」
怒りの声にも聞こえるのだが少女の両足は震えている。恐怖からなる自己防衛のための威嚇なのだ。今俺がこの少女を、犯す事は安易な事であったのだが俺は別の欲を求めていた。そう薬だ。
「俺は、ただ薬を貰えばそれでいい」
女は、その言葉を聞いて気が和らいだのか局部から小便を床に浸透させた。再度こちらを見ながら女は薬の入った液体を俺にちらつかせてきてこう言った。
「私を、ここから逃げさせろ そしたら薬はお前にやるよ」
「逃げてどうする? 」
「ここにいるよりかはマシだ」
俺は、女の言う通りにした。何故だが今ではわからない善人ぶっているのかもしれない俺の心の中は揺れているのか。それとも本当に薬の為に殺人犯のこの女と訳のわからない逃亡劇を繰り広げたいのだろうか。俺は、自分がわからない。何がしたいのか。恐い。自分が恐くなる。
下の階から誰かが二階に登って来る音がした。その足音は、俺のいる部屋に迫ってくるようにして近づいてくる。部屋の雨戸を開け、最初からひび割れだらけの硝子の窓を開けようとした。しかし錆び付いて中々鍵が開けれない。もうすぐに足元は、目の前に来ている。するとその足音の主が、障子越しに語りだしてきた。
「お客さん、もう時間でっせ 」
俺は、焦りのあまりに汗で滑る手で何度もこじ開けようとしたが開かない。俺は、右足を上げ足の裏で窓を叩き破った。一人分は通れる隙間はでき少女の手を強引に手に取り、俺は外へと連れ出した。
舗装されたアスファルトの道路を、裸足で走り抜く音は、腐敗した死肉がテーブルの上から床に落ちる音と何処か似ている。ペタペタとこれは人間の音ではない。死人の音なのだ。俺は、もうこの世では死んだ存在である。殺人犯の容疑者の逃走に、自ら関与しそして無職で薬の中毒者。先日まで見下していた浮浪者以下に成り下がった惨めな人間。今の俺は、周りを行き交う人々からはどう見られているのだろうか。なぜだか何処か遠くの場所に行きたくなった。人のいない場所へ。
裏路地を脱出し、車が車道を渋滞で埋め尽くしていた国道に出た。少女は、俺の腕を急に強く握り俺の体を停止させた。15分位は走っただろうか、無理もない俺も少女も息が切れてしまった。足の裏には、血豆が破け流血していた。少女は、ポケットにいれておいた薬を給食の残飯を捨てる様にして地面に俺の前へと放り投げた。すると途端に態度が、変わりだした少女は腕を組み偉そうな言い方で、俺に話しかけてきた。
「あんた! 馬鹿じゃないのこんな物の為に必死になってさ」
「……」
最初から分かってはいた。俺は、馬鹿なのだとだがこれが唯一の希望なのだ生きる意味なのだ。少女は、俺の顔をじっと見つめて質問をしだした。
「あんた歳いくつ?」
「……関係ねえだろ」
「名前は?」
「……大輔」
死人が、会話をすればこうなるのだろうか。俺は、歩道の縁石に腰を落ち着かせ逆に質問した。
「お前、なんであんなとこいたの? 」
「……」
少女は、黙りこみ暗い顔つきで下を向いた。俺は、この女が気になってしまっていた。どういう人物なのか嫌、死人なのか。少女は、まだ覚えたてであろう嘘の笑顔を見せながら言ってきた。
「捨てられた。……というか売られた」
俺は、思わず手にしていた薬を落とした。まだ名前も聞いてないその女を見て自然と目から何かが流れる音がした。俺は、女をじっと見てしまった。かける言葉もないとはこの事なのであろう。
「あんた馬鹿じゃないの! 何泣いてんのよ! 」
女は、普通を装った仕草をとる。だが俺には、少女の訴えの叫びみたいなものが奥底からひしひしと伝わってくる。なぜなら俺も、自分に嘘をつきお道化てきたからだ。今では、本当の自分を見失ってしまっている。不思議な位に、自分と似た死人を見た気分であった。俺は、女に質問した。
「名前なんていうの? 」
「天音、天の音って書いてアマネ」
「……いい名前だね」
「お母さんがね。私が、産まれた時神様の声がしたんだって 」
「だから天の音? 」
「うん、でもなんて言葉なのかもわからない それに私は自分の名前は嫌いなんだ」
「どうして? 」
「だって神様なんていないから……」
そう言った天音の顔は、寂しそうであった。夏と言えども真夜中になると薄着では寒くて、冷たく冷えきった歩道が裸足の足をよりいっそう凍えさしてくる。俺は、ある決意を天音に話し出した。
「天音、蚕って知ってる? 」
「虫の? 」
「うん、蚕ってさ今じゃ野性ではいないんだって全て家畜になっているんだ。あいつらは、人間の欲で品種改良して作られた生糸を出す云わば金を産み出すボランティア、少ない寿命を全て人間の親に捧げるんだ。」
「羽を使って逃げればいいのに……」
「人間が出来ないようにさせたんだよ、羽があるのに飛べなくね。だからさ天音、俺と一緒に何処か遠い所に行かないか?誰もいない場所に」
「え……」
「俺たちにもさ羽があると思うんだよ、遠くに行ける羽がね。だけどそれを邪魔をしてくるのはいつも汚い大人達なんだ。」
「わかった、行く。行こう! 」
「よし! 」
「私、早く大人になりたい……」
「俺も……」
朝方になると、昨晩の寒さは一変としあまりの暑さで、遠くの方では蜃気楼が見えていた。俺は、自宅の中のありとあらゆる生活必需品とくしゃくしゃになった三万円を、自分の肩幅よりも大きなリュックサックへと詰め込んだ。サイズの合わない俺の服を天音に貸し、小学生の時に履いていた汚いスニーカーも貸した。駐車場に置いてある愛車の単車を、出して来てエンジンオイル、ガソリン、バッテリーなどのちょっとした点検作業を行いリュックを、単車に縄でくくりつけた。天音を、後ろに乗せ俺達は地元を未練の一欠片も感じず後にしていった。




