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【連作短編058】 足洗い 全22話 ―元会長と、AIと、三毛猫―  作者: マチャオ (Machao)


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第十三話 線香の煙:「俺は善意で動いたことがあまりない」

第13話です。舞台は東北へ移って、宮城。仙台から山へ入った、古い寺です。

十六年前に礼二が送り出した、元組員の住職・大林を訪ねます。


第1〜12話をまだお読みでない方は、そちらからどうぞ。

 仙台から車で一時間ほど、山の中に寺があった。


 バスを乗り継いで着いた。山門の前に立つと、杉の匂いがした。古い木の匂いと、線香の匂いが混じっていた。


「静かですね」とシンが言った。


「寺だ」


「寺はいつも静かですか?」


「そうとは限らない」


「どういうときに静かではないですか?」


「人が死んだとき」と礼二は言った。「集まる」


 シンは少し間を置いた。「今は静かです」


「そうだな」


 ハルがバッグから顔を出した。杉の匂いを嗅いだ。引っ込まなかった。


---


 知り合いの名前は大林といった。


 十六年前、礼二が組から送り出した。当時三十二歳。暴力が嫌いで、金にも淡白で、なぜ組にいたのか礼二にもわからなかった男だ。出ていくとき、寺に入りたいと言った。礼二は何も言わずに、伝手を探した。


 今は住職だ。


 庫裏から出てきた大林は、墨染めの衣を着ていた。四十八歳。頭が丸かった。礼二を見て、合掌した。


「よく来てくださいました」


「来ると言った」


「そうでしたね」大林は少し笑った。「礼二さんは必ず来ると思っていました」


「なぜ?」


「約束を守る人だから」大林はシンを見た。「そちらは?」


「連れだ」と礼二は言った。


「AIです」とシンが言った。「お邪魔します」


「どうぞ」と大林は言った。驚いた顔をしなかった。住職というのはそういうものか、と礼二は思った。


---


 本堂に通された。


 大きな仏像があった。線香の煙が上がっていた。礼二はその前に座った。手を合わせた。


 シンが隣で同じように手を合わせた。


「お前は手を合わせるのか?」と礼二が言った。


「礼二さんがしていたので」


「意味がわかってやっているか?」


「わかりません。ただ、礼二さんがしていることには理由があると思いました」


 大林がそれを聞いていた。「理由がわからなくても手を合わせる。それで十分です」と大林は言った。


 礼二は何も言わなかった。


---


 夕飯は精進料理だった。


 ごま豆腐と、山菜の和え物と、麦飯。


「うまいな」と礼二は言った。


「粗末なものしかありませんが」


「粗末じゃない」


 大林は少し笑った。「礼二さんに褒めてもらえるとは思いませんでした」


「昔から不味いものは不味いと言ってきた」


「そうでしたね」大林は箸を置いた。「昔のこと、覚えていますか?」


「覚えている」


「俺は、組にいた頃のことをあまり覚えていないんです。夢のような気がして」大林は仏間の方を見た。「ここに来てから、だんだんそうなりました」


「忘れた方がいいか?」


「わかりません」大林は礼二を見た。「礼二さんはどうですか?」


「忘れていない」


「それは辛くないですか?」


「辛い」礼二は飯を食った。「ただ、忘れようとは思わない」


 大林はしばらく黙っていた。


---


 翌朝、大林が来た。顔が少し変わっていた。


「相談があります」


「言え」


「檀家の一人が、お布施の横領をしていると、別の檀家から言われました」


 礼二は大林を見た。


「横領、というのは?」


「寺の会計を一部の檀家が管理しているんですが、その一人が、積立金から少しずつ抜いているという話で」


「証拠はあるか?」


「告発した檀家が、通帳のコピーを持ってきました。ただ」大林は手元を見た。「俺には、それが本当かどうか判断できない」


「通帳のコピーを見せてくれ」


---


 シンがコピーを見た。


「入出金の記録に、不規則な出金があります」とシンは言った。「ただし、これだけでは横領と断定できません。正規の支出である可能性もある」


「正規の支出と横領の違いを見分けるには?」と礼二が訊いた。


「支出の記録と照合する必要があります。領収書や議事録があれば」


「そういう記録は誰が持っている?」と礼二は大林に訊いた。


「会計担当の檀家です。告発された側の人間が持っています」


「見せてもらえるか?」


「頼めばもらえると思います。ただ」大林は少し黙った。「頼みづらくて」


「なぜだ?」


「三十年来の付き合いです。もし誤解だったら」


 礼二は大林を見た。「誤解かどうかを確かめるために見るんだ。疑っているわけじゃない」


 大林は少し間を置いた。「そうですね」


---


 会計担当の檀家は、七十代の男だった。


 名前は後藤といった。礼二を見て、少し警戒した。


「住職から頼まれました」と礼二は言った。「会計の記録を確認させてもらえますか」


「なぜあなたが?」


「住職の知り合いです」


 後藤は礼二を見た。礼二の顔を、値踏みするように見た。礼二はその視線を受けた。


「わかりました」と後藤は言った。


 記録が出てきた。シンが見た。


「出金の記録と、通帳の出金が一致しています」とシンは言った。「ただし、一件だけ、記録のない出金があります。金額は少ない」


「一件だけか?」と礼二は訊いた。


「一件だけです」


 礼二は後藤を見た。「この一件、何ですか?」


 後藤は少し黙った。「忘れました」


「忘れた?」


「少額なので」


 礼二は後藤を見続けた。後藤は視線を外さなかった。しかし呼吸が変わった。


「シン」


「はい」


「この金額、何に使えるくらいの額ですか?」


「日用品、あるいは食費、一週間分程度です」


 礼二は後藤を見た。後藤の顔が、少し変わった。


「誰かに渡したか?」と礼二は言った。責める声ではなかった。


 後藤は長い沈黙の後、「檀家に、生活が苦しい方がいて」と言った。「表立って支援すると、その方が気にするので。黙って渡した方が、受け取ってもらえると思って」


 礼二は何も言わなかった。


 後藤は続けた。「間違ったことをしたとは思っていません。ただ」後藤は自分の手を見た。「黙っていたのは、確かです」


---


 大林に話した。


 大林は黙って聞いていた。最後まで聞いてから、しばらく黙った。


「横領ではない」と礼二は言った。「ただ」


「ただ?」


「勝手に動いた。寺の金を、自分の判断で使った。善意だとしても、それは別の話だ」


 大林は少し間を置いた。「後藤さんを責めるべきですか?」


「わからん」と礼二は言った。「ただ、このまま黙っていると、また同じことが起きる。告発した檀家との間にも、何かが残る」


「話し合いが必要ですか?」


「必要だ。ただ」礼二は線香の煙を見た。「話し合えば解決するとは限らない」


 大林は黙っていた。


「善意で動いた人間を、どう扱うか」礼二は続けた。「それはお前が決めることだ。俺には決められない」


「なぜですか?」


「俺は善意で動いたことがあまりない」


 大林はそれを聞いて、少し間を置いた。「それは本当ですか?」


「さあ」


 線香の煙が、ゆっくり上がっていた。本当かどうか、礼二自身にもわからなかった。三浦の借金を肩代わりしたとき、何が動機だったか? 今となっては思い出せない。


「後藤さんは」と大林が言った。「悪い人間ではない」


「そうだな」


「でも、俺は少し」大林は仏間の方を見た。「怒っています。善意なら何をしてもいいわけじゃない、と」


「それでいい」と礼二は言った。


「怒っていいんですか?」


「住職でも怒る。それが人間だ」


 大林は少し笑った。今日初めての笑い方だった。力が抜けた笑い方だった。


---


 発つとき、大林が山門まで送ってきた。


「また来てください」


「来る」


「後藤さんと、話してみます」大林は少し間を置いた。「すぐには解決しないかもしれません」


「そうだな」


「礼二さんは、一人で決めすぎると言いましたね」


「言った」


「俺も、一人で抱えすぎていたかもしれません」大林は山門の柱を見た。「礼二さんに頼んで、よかった」


「頼んだのはお前じゃない。相談しただけだ」


「同じです」と大林は言った。穏やかに、はっきりと。


 礼二は返事をしなかった。


「礼二さんが来ると、少し賑やかになります」大林は少し笑った。「静かな寺には、たまに賑やかさが必要です」


「俺は賑やかじゃない」


「礼二さんの連れが賑やかです」


 シンが口を開いた。「私は賑やかですか?」


「はい」と大林は言った。「質問が多い」


 シンは少し間を置いた。「それは賑やかとは違うと思いますが」


「同じです」と大林は言った。穏やかに、はっきりと。


「また来ます」とシンが大林に言った。


「また来い」と礼二が言った。


 山道を下りながら、礼二は一度だけ振り返った。大林が山門に立っていた。合掌していた。


 礼二は何も言わなかった。ただ、少し頭を下げた。

お読みいただき、ありがとうございます。


善意で動いた人を、どう受け止めるか。

礼二にも、答えはありませんでした。


次回は、西へ。ブックマークをしていただけると励みになります。

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