第十三話 線香の煙:「俺は善意で動いたことがあまりない」
第13話です。舞台は東北へ移って、宮城。仙台から山へ入った、古い寺です。
十六年前に礼二が送り出した、元組員の住職・大林を訪ねます。
第1〜12話をまだお読みでない方は、そちらからどうぞ。
仙台から車で一時間ほど、山の中に寺があった。
バスを乗り継いで着いた。山門の前に立つと、杉の匂いがした。古い木の匂いと、線香の匂いが混じっていた。
「静かですね」とシンが言った。
「寺だ」
「寺はいつも静かですか?」
「そうとは限らない」
「どういうときに静かではないですか?」
「人が死んだとき」と礼二は言った。「集まる」
シンは少し間を置いた。「今は静かです」
「そうだな」
ハルがバッグから顔を出した。杉の匂いを嗅いだ。引っ込まなかった。
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知り合いの名前は大林といった。
十六年前、礼二が組から送り出した。当時三十二歳。暴力が嫌いで、金にも淡白で、なぜ組にいたのか礼二にもわからなかった男だ。出ていくとき、寺に入りたいと言った。礼二は何も言わずに、伝手を探した。
今は住職だ。
庫裏から出てきた大林は、墨染めの衣を着ていた。四十八歳。頭が丸かった。礼二を見て、合掌した。
「よく来てくださいました」
「来ると言った」
「そうでしたね」大林は少し笑った。「礼二さんは必ず来ると思っていました」
「なぜ?」
「約束を守る人だから」大林はシンを見た。「そちらは?」
「連れだ」と礼二は言った。
「AIです」とシンが言った。「お邪魔します」
「どうぞ」と大林は言った。驚いた顔をしなかった。住職というのはそういうものか、と礼二は思った。
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本堂に通された。
大きな仏像があった。線香の煙が上がっていた。礼二はその前に座った。手を合わせた。
シンが隣で同じように手を合わせた。
「お前は手を合わせるのか?」と礼二が言った。
「礼二さんがしていたので」
「意味がわかってやっているか?」
「わかりません。ただ、礼二さんがしていることには理由があると思いました」
大林がそれを聞いていた。「理由がわからなくても手を合わせる。それで十分です」と大林は言った。
礼二は何も言わなかった。
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夕飯は精進料理だった。
ごま豆腐と、山菜の和え物と、麦飯。
「うまいな」と礼二は言った。
「粗末なものしかありませんが」
「粗末じゃない」
大林は少し笑った。「礼二さんに褒めてもらえるとは思いませんでした」
「昔から不味いものは不味いと言ってきた」
「そうでしたね」大林は箸を置いた。「昔のこと、覚えていますか?」
「覚えている」
「俺は、組にいた頃のことをあまり覚えていないんです。夢のような気がして」大林は仏間の方を見た。「ここに来てから、だんだんそうなりました」
「忘れた方がいいか?」
「わかりません」大林は礼二を見た。「礼二さんはどうですか?」
「忘れていない」
「それは辛くないですか?」
「辛い」礼二は飯を食った。「ただ、忘れようとは思わない」
大林はしばらく黙っていた。
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翌朝、大林が来た。顔が少し変わっていた。
「相談があります」
「言え」
「檀家の一人が、お布施の横領をしていると、別の檀家から言われました」
礼二は大林を見た。
「横領、というのは?」
「寺の会計を一部の檀家が管理しているんですが、その一人が、積立金から少しずつ抜いているという話で」
「証拠はあるか?」
「告発した檀家が、通帳のコピーを持ってきました。ただ」大林は手元を見た。「俺には、それが本当かどうか判断できない」
「通帳のコピーを見せてくれ」
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シンがコピーを見た。
「入出金の記録に、不規則な出金があります」とシンは言った。「ただし、これだけでは横領と断定できません。正規の支出である可能性もある」
「正規の支出と横領の違いを見分けるには?」と礼二が訊いた。
「支出の記録と照合する必要があります。領収書や議事録があれば」
「そういう記録は誰が持っている?」と礼二は大林に訊いた。
「会計担当の檀家です。告発された側の人間が持っています」
「見せてもらえるか?」
「頼めばもらえると思います。ただ」大林は少し黙った。「頼みづらくて」
「なぜだ?」
「三十年来の付き合いです。もし誤解だったら」
礼二は大林を見た。「誤解かどうかを確かめるために見るんだ。疑っているわけじゃない」
大林は少し間を置いた。「そうですね」
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会計担当の檀家は、七十代の男だった。
名前は後藤といった。礼二を見て、少し警戒した。
「住職から頼まれました」と礼二は言った。「会計の記録を確認させてもらえますか」
「なぜあなたが?」
「住職の知り合いです」
後藤は礼二を見た。礼二の顔を、値踏みするように見た。礼二はその視線を受けた。
「わかりました」と後藤は言った。
記録が出てきた。シンが見た。
「出金の記録と、通帳の出金が一致しています」とシンは言った。「ただし、一件だけ、記録のない出金があります。金額は少ない」
「一件だけか?」と礼二は訊いた。
「一件だけです」
礼二は後藤を見た。「この一件、何ですか?」
後藤は少し黙った。「忘れました」
「忘れた?」
「少額なので」
礼二は後藤を見続けた。後藤は視線を外さなかった。しかし呼吸が変わった。
「シン」
「はい」
「この金額、何に使えるくらいの額ですか?」
「日用品、あるいは食費、一週間分程度です」
礼二は後藤を見た。後藤の顔が、少し変わった。
「誰かに渡したか?」と礼二は言った。責める声ではなかった。
後藤は長い沈黙の後、「檀家に、生活が苦しい方がいて」と言った。「表立って支援すると、その方が気にするので。黙って渡した方が、受け取ってもらえると思って」
礼二は何も言わなかった。
後藤は続けた。「間違ったことをしたとは思っていません。ただ」後藤は自分の手を見た。「黙っていたのは、確かです」
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大林に話した。
大林は黙って聞いていた。最後まで聞いてから、しばらく黙った。
「横領ではない」と礼二は言った。「ただ」
「ただ?」
「勝手に動いた。寺の金を、自分の判断で使った。善意だとしても、それは別の話だ」
大林は少し間を置いた。「後藤さんを責めるべきですか?」
「わからん」と礼二は言った。「ただ、このまま黙っていると、また同じことが起きる。告発した檀家との間にも、何かが残る」
「話し合いが必要ですか?」
「必要だ。ただ」礼二は線香の煙を見た。「話し合えば解決するとは限らない」
大林は黙っていた。
「善意で動いた人間を、どう扱うか」礼二は続けた。「それはお前が決めることだ。俺には決められない」
「なぜですか?」
「俺は善意で動いたことがあまりない」
大林はそれを聞いて、少し間を置いた。「それは本当ですか?」
「さあ」
線香の煙が、ゆっくり上がっていた。本当かどうか、礼二自身にもわからなかった。三浦の借金を肩代わりしたとき、何が動機だったか? 今となっては思い出せない。
「後藤さんは」と大林が言った。「悪い人間ではない」
「そうだな」
「でも、俺は少し」大林は仏間の方を見た。「怒っています。善意なら何をしてもいいわけじゃない、と」
「それでいい」と礼二は言った。
「怒っていいんですか?」
「住職でも怒る。それが人間だ」
大林は少し笑った。今日初めての笑い方だった。力が抜けた笑い方だった。
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発つとき、大林が山門まで送ってきた。
「また来てください」
「来る」
「後藤さんと、話してみます」大林は少し間を置いた。「すぐには解決しないかもしれません」
「そうだな」
「礼二さんは、一人で決めすぎると言いましたね」
「言った」
「俺も、一人で抱えすぎていたかもしれません」大林は山門の柱を見た。「礼二さんに頼んで、よかった」
「頼んだのはお前じゃない。相談しただけだ」
「同じです」と大林は言った。穏やかに、はっきりと。
礼二は返事をしなかった。
「礼二さんが来ると、少し賑やかになります」大林は少し笑った。「静かな寺には、たまに賑やかさが必要です」
「俺は賑やかじゃない」
「礼二さんの連れが賑やかです」
シンが口を開いた。「私は賑やかですか?」
「はい」と大林は言った。「質問が多い」
シンは少し間を置いた。「それは賑やかとは違うと思いますが」
「同じです」と大林は言った。穏やかに、はっきりと。
「また来ます」とシンが大林に言った。
「また来い」と礼二が言った。
山道を下りながら、礼二は一度だけ振り返った。大林が山門に立っていた。合掌していた。
礼二は何も言わなかった。ただ、少し頭を下げた。
お読みいただき、ありがとうございます。
善意で動いた人を、どう受け止めるか。
礼二にも、答えはありませんでした。
次回は、西へ。ブックマークをしていただけると励みになります。




