第十二話 石の重さ:「悪くなかった」と、男は言った。
第12話です。舞台は北陸へ移って、石川・金沢。
十三年前に礼二が送り出した、鉱山で働く元組員の富永に会います。
今回は、事件のない一話です。
第1〜11話をまだお読みでない方は、そちらからどうぞ。
金沢に着いたのは夕方だった。
駅を出ると、曇っていた。日本海側の空だ。重くて、低い。礼二はその空を見上げた。
「また曇りですね」とシンが言った。
「そうだな」
「福岡の雨、盛岡の晴れ、京都の晴れ、そして金沢の曇り。礼二さんが訪ねる土地は天気が多様です」
「記録しているのか?」
「しています」
礼二は少し間を置いた。「余計なことをするな」
「旅の記録は有益だと判断しました」
礼二は何も言わなかった。ハルがバッグから顔を出して、空を見た。それからすぐ引っ込んだ。
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知り合いの名前は富永といった。
十三年前、礼二が組から送り出した。当時二十八歳。無口で、力仕事を厭わなかった。細かいことを気にしない男だった。礼二が採掘会社を紹介した。今は金沢近郊の鉱山で働いている。
待ち合わせは兼六園の近くだった。
富永は定刻より十分早く来ていた。四十一歳。体が大きくなっていた。顔の色が土に近かった。礼二を見て、一度だけうなずいた。
「遠かったですか?」
「来ると言った」
「そうですね」富永はそれだけ言った。他に言葉がなかった。
礼二は富永を見た。昔と変わっていなかった。無口な男は無口なままだ。
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飯を食った。
近江町市場の近くの店で、能登の魚と、加賀野菜の煮物と、地酒。
「うまいな」と礼二は言った。
富永はうなずいた。
「お前は食わないのか?」
「食いました」
「いつ?」
「仕事終わりに」
礼二は富永を見た。「何時に終わった?」
「三時です」
「仕事は何時から始まる?」
「五時です」
礼二は少し間を置いた。朝の五時から昼の三時まで、地の中で働く。それからここに来た。
「わざわざ来たか?」
「礼二さんが来るので」富永は盃を置いた。「来るのが当然です」
礼二は何も言わなかった。
シンが口を開いた。「鉱山の仕事はどんな感じですか?」
「暗い」と富永は言った。
「他には?」
「狭い」
「他には?」
「静かだ」富永はシンを見た。「嫌いではない」
「なぜですか?」
「地上より、うるさくない」
シンは少し間を置いた。「地上がうるさかったんですか?」
富永は答えなかった。礼二は答えを知っていた。
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酒が進んでも、富永はあまりしゃべらなかった。
西原とは正反対だった。しかしその沈黙は、礼二には楽だった。埋める必要がない沈黙だ。
ハルがバッグから顔を出した。富永を見た。富永もハルを見た。
「猫か?」
「そうだ」
「名前は?」
「ハルだ」
富永は少し手を伸ばした。ハルは匂いを嗅いで、それから顔を寄せた。
「懐きましたね」とシンが言った。
「猫は人を選ぶ」と礼二は言った。
「今回は何を見て選んだと思いますか?」
「手だろう」と礼二は言った。「地の中で働く手だ」
富永は自分の手を見た。固くて、傷が多かった。坂元の手とも、三浦の手とも違う。石と土が染み込んだような手だった。
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夜が深くなった頃、富永がぽつりと言った。
「礼二さん、出所してから旅をしていると聞いた」
「そうだ」
「なぜ旅をしているんですか?」
礼二は少し考えた。「会いたい人間がいた」
「俺もですか?」
「お前もだ」
富永は盃を持ったまま、しばらく黙っていた。
「俺は、礼二さんが来てくれるとは思っていなかった」
「なぜだ?」
「俺は、目立たない部下でした。役に立ったかどうかも、わからない」
礼二は富永を見た。
「目立たない人間が、地の中で十三年働いている。それで十分だ」
富永は少し間を置いた。何も言わなかった。しかし顔が、わずかに変わった。
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翌朝、富永が鉱山を見せてくれた。
入口は山の斜面にあった。坑道の口は小さかった。中から冷たい空気が出てきた。
「入れるか?」と礼二は訊いた。
「今日は休みなので、入れます。ただ」富永は礼二を見た。「狭いですが」
「構わない」
ヘルメットを借りた。シンとハルはバッグごと外で待った。
礼二と富永は坑道に入った。
暗かった。富永がライトをつけた。足元に光が落ちた。天井が低かった。礼二は少し頭を下げて歩いた。
「慣れますか?」と礼二は訊いた。
「慣れます」と富永は言った。「最初は怖かった。今は落ち着く」
「なぜ落ち着く?」
「ここには、余計なものがない」
礼二は歩きながら、その言葉を聞いた。壁が石だった。天井が石だった。足元も石だった。音が、外と違った。自分の足音だけが聞こえた。
余計なものがない場所を、礼二も知っていた。七年いた場所がそうだった。しかしあそこは、余計なものがない代わりに、必要なものも何もなかった。ここは違う。石の中に、何かが詰まっている。
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坑道を出た。
外の光が眩しかった。礼二は少し目を細めた。
シンが立っていた。ハルのバッグを持っていた。
「どうでしたか?」とシンが訊いた。
「暗かった」と礼二は言った。
「他には?」
「静かだった」
「他には?」
礼二は少し間を置いた。「悪くなかった」
富永が横で、かすかに笑った。声は出なかった。しかし笑った。礼二はそれを見た。
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発つとき、富永は駅まで送ってきた。
ホームで、富永が言った。
「また来てくれますか?」
「来る」と礼二は言った。
「いつ?」
「わからん」
「わからなくていいです」富永は少し間を置いた。「来てくれるとわかっていれば」
礼二は何も言わなかった。
「また来ます」とシンが富永に言った。
「また来い」と礼二が言った。
新幹線が来た。礼二とシンとハルが乗った。扉が閉まった。
ホームに富永が立っていた。手を上げなかった。ただ立っていた。礼二も手を上げなかった。ただ、見た。
新幹線が動き出した。富永の姿が小さくなった。
シンが言った。「富永さんは、見送りが下手ですね」
「そういう男だ」と礼二は言った。
「礼二さんに似ていますね」
礼二は返事をしなかった。窓の外で、金沢の曇り空が流れていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
富永は、とても口数の少ない男でした。
その沈黙を、礼二は「楽だ」と感じています。
次回は、東北の山の寺へ。ブックマークをしていただけると励みになります。




