第十一話 機の音:「父です」と、息子は言った。
第11話です。舞台は、第6話に続いて京都・西陣。
礼二は、二度目の訪問を、今度は一日で決めました。
第1〜10話をまだお読みでない方は、そちらからどうぞ。
第6話「会いに行く」を先に読むと、より伝わります。
京都に用があったわけではなかった。
二度目も同じだった。ただ、今回は三日ではなく、一日で決めた。
シンには行き先だけ告げた。シンは何も訊かなかった。前回と同じだった。ただ一点だけ違った。新幹線に乗る前に、シンが言った。
「前回より、決めるのが早かったですね」
礼二は何も言わなかった。
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西陣に着いた。
前回と同じ路地を歩いた。石畳の感触を、足が覚えていた。工房の前に着いた。
表から、機織りの音がした。
礼二は少し立ち止まった。前回は音が聞こえてから入った。今回も同じだった。ただ、立ち止まる時間が少し短かった。
引き戸を開けた。
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孝則は織機の前にいた。
今回は止まらなかった。礼二が入っても、手と足を動かし続けた。一区切りつくまで、礼二は入り口に立っていた。
区切りがついた。孝則が振り向いた。
「また来た」
「また来た」と礼二は言った。
孝則は礼二を見た。それからシンを見た。「また連れてきたのか?」
「いつも一緒だ」
「そうか」孝則は立ち上がった。「茶を出す」
前回は「出さないわけにもいかなかった」顔だった。今回は違った。礼二はそれに気づいていたが、何も言わなかった。
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茶を飲みながら、孝則が言った。
「師匠が倒れた」
礼二は孝則を見た。
「三週間前です。脳梗塞で。今は病院にいますが、仕事はもう無理だと言われています」
「お前は?」
「工房を引き継ぐか、どうするか、まだ決めていません」三年でそこまで行けるか、という言い方ではなかった。決めかねている、という言い方だった。
「師匠に弟子は何人いる?」
「三人です。俺と、もう二人。ただ」孝則は手元を見た。「二人はもう出ていきました。師匠が倒れる前から、折り合いが悪くて」
「お前だけが残った」
「そうです」
礼二は少し考えた。
「工房の契約は誰の名義だ?」
「師匠の名義です。師匠の家族は東京にいて、このまま引き払うつもりらしい」
「いつまでに決めなければいけない?」
「来月末です」
礼二は茶を飲んだ。
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「シン」と礼二は言った。
「はい」
「西陣で工房を借りる場合、どういう手続きが必要か調べられるか?」
「調べられます」シンは少し間を置いた。「ただし、物件の状況や費用については、現地の不動産や組合に確認が必要です」
「西陣織の組合がある」と孝則が言った。「師匠はそこに長く籍を置いていた。ただ、俺はまだ三年の修業中で、組合員ではない」
「組合に話はできるか?」
「したことがありません」
「師匠から紹介状のようなものはもらえるか?」
孝則は少し黙った。「病院に行けば、会えます」
「行ったか?」
「行っていません」
礼二は孝則を見た。行けない理由があるのか、行かない理由があるのか、どちらかはわからなかった。
「なぜだ?」
孝則は少し間を置いた。「何を話せばいいかわからなくて」
礼二は返事をしなかった。その感覚は、知っていた。
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翌日、礼二は孝則と病院に行った。
シンとハルは外で待った。礼二が「来るな」と言ったわけではなく、シンが「外にいます」と言った。
師匠は六十代の後半だった。痩せていて、片側の手が動かなかった。しかし目は澄んでいた。
孝則を見て、少し表情が変わった。
「来たか?」と師匠は言った。声が少しゆっくりだった。
「来ました」と孝則は言った。
「隣は誰だ?」
「父です」と孝則は言った。
礼二は少し驚いた。父です、という言葉が出るとは思っていなかった。
「そうか」と師匠は言った。孝則を見た。「似てないな」
「よく言われます」と孝則は言った。
師匠は少し笑った。笑うのに時間がかかったが、笑った。
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病室を出た。
廊下を歩きながら、孝則は何も言わなかった。礼二も言わなかった。エレベーターを待つ間も、黙っていた。
エレベーターが来た。乗った。扉が閉まってから、孝則が言った。
「父です、と言った」
「聞こえた」
「なぜ言ったかはわからない」
「わからなくていい」と礼二は言った。
孝則は少し間を置いた。「怒っていますか?」
「何に対して?」
「俺が、急に」
「怒っていない」礼二は正面を向いたまま言った。「ただ」
「ただ?」
「驚いた」
扉が開いた。二人は外に出た。
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組合への相談は、師匠が電話で話をつけてくれた。
翌日、孝則が組合に行った。礼二はついて行かなかった。孝則が一人で行った。
夕方、孝則から連絡が来た。
「話を聞いてもらえました。工房の引き継ぎについて、組合が間に入ってくれるかもしれません」
「そうか」
「礼二さんが来なかったら、自分で行けませんでした」
「お前が行った」と礼二は言った。「俺は何もしていない」
孝則は少し黙った。
「また来ますか?」
礼二は少し間を置いた。「来る」
「いつ?」
「わからん。ただ、来る」
「わかりました」孝則は電話の向こうで少し間を置いた。「待っています」
礼二は電話を切った。
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ホテルの部屋で、シンが言った。
「今回は、前回より長く話しましたね」
「そうか」
「孝則さんも、前回より言葉が多かった」
「そうだな」
「距離が縮まりましたか?」
礼二は少し考えた。
「縮まったかどうかはわからない」礼二は窓の外を見た。「ただ、立っている場所が少し変わった気がする」
シンは何も言わなかった。
ハルがベッドに乗った。礼二の隣に来た。前回と同じだった。ただ今回は、礼二が先に手を伸ばした。ハルの頭に触れた。
機織りの音は、もう聞こえなかった。夜の西陣は静かだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
孝則は、ある場所で一言だけ、礼二のことを人に話しました。
その言葉を、礼二がどう受け取ったかは、本文の中で確かめてください。
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