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【連作短編058】 足洗い 全22話 ―元会長と、AIと、三毛猫―  作者: マチャオ (Machao)


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第十一話 機の音:「父です」と、息子は言った。

第11話です。舞台は、第6話に続いて京都・西陣。

礼二は、二度目の訪問を、今度は一日で決めました。


第1〜10話をまだお読みでない方は、そちらからどうぞ。

第6話「会いに行く」を先に読むと、より伝わります。

 京都に用があったわけではなかった。


 二度目も同じだった。ただ、今回は三日ではなく、一日で決めた。


 シンには行き先だけ告げた。シンは何も訊かなかった。前回と同じだった。ただ一点だけ違った。新幹線に乗る前に、シンが言った。


「前回より、決めるのが早かったですね」


 礼二は何も言わなかった。


---


 西陣に着いた。


 前回と同じ路地を歩いた。石畳の感触を、足が覚えていた。工房の前に着いた。


 表から、機織りの音がした。


 礼二は少し立ち止まった。前回は音が聞こえてから入った。今回も同じだった。ただ、立ち止まる時間が少し短かった。


 引き戸を開けた。


---


 孝則は織機の前にいた。


 今回は止まらなかった。礼二が入っても、手と足を動かし続けた。一区切りつくまで、礼二は入り口に立っていた。


 区切りがついた。孝則が振り向いた。


「また来た」


「また来た」と礼二は言った。


 孝則は礼二を見た。それからシンを見た。「また連れてきたのか?」


「いつも一緒だ」


「そうか」孝則は立ち上がった。「茶を出す」


 前回は「出さないわけにもいかなかった」顔だった。今回は違った。礼二はそれに気づいていたが、何も言わなかった。


---


 茶を飲みながら、孝則が言った。


「師匠が倒れた」


 礼二は孝則を見た。


「三週間前です。脳梗塞で。今は病院にいますが、仕事はもう無理だと言われています」


「お前は?」


「工房を引き継ぐか、どうするか、まだ決めていません」三年でそこまで行けるか、という言い方ではなかった。決めかねている、という言い方だった。


「師匠に弟子は何人いる?」


「三人です。俺と、もう二人。ただ」孝則は手元を見た。「二人はもう出ていきました。師匠が倒れる前から、折り合いが悪くて」


「お前だけが残った」


「そうです」


 礼二は少し考えた。


「工房の契約は誰の名義だ?」


「師匠の名義です。師匠の家族は東京にいて、このまま引き払うつもりらしい」


「いつまでに決めなければいけない?」


「来月末です」


 礼二は茶を飲んだ。


---


「シン」と礼二は言った。


「はい」


「西陣で工房を借りる場合、どういう手続きが必要か調べられるか?」


「調べられます」シンは少し間を置いた。「ただし、物件の状況や費用については、現地の不動産や組合に確認が必要です」


「西陣織の組合がある」と孝則が言った。「師匠はそこに長く籍を置いていた。ただ、俺はまだ三年の修業中で、組合員ではない」


「組合に話はできるか?」


「したことがありません」


「師匠から紹介状のようなものはもらえるか?」


 孝則は少し黙った。「病院に行けば、会えます」


「行ったか?」


「行っていません」


 礼二は孝則を見た。行けない理由があるのか、行かない理由があるのか、どちらかはわからなかった。


「なぜだ?」


 孝則は少し間を置いた。「何を話せばいいかわからなくて」


 礼二は返事をしなかった。その感覚は、知っていた。


---


 翌日、礼二は孝則と病院に行った。


 シンとハルは外で待った。礼二が「来るな」と言ったわけではなく、シンが「外にいます」と言った。


 師匠は六十代の後半だった。痩せていて、片側の手が動かなかった。しかし目は澄んでいた。


 孝則を見て、少し表情が変わった。


「来たか?」と師匠は言った。声が少しゆっくりだった。


「来ました」と孝則は言った。


「隣は誰だ?」


「父です」と孝則は言った。


 礼二は少し驚いた。父です、という言葉が出るとは思っていなかった。


「そうか」と師匠は言った。孝則を見た。「似てないな」


「よく言われます」と孝則は言った。


 師匠は少し笑った。笑うのに時間がかかったが、笑った。


---


 病室を出た。


 廊下を歩きながら、孝則は何も言わなかった。礼二も言わなかった。エレベーターを待つ間も、黙っていた。


 エレベーターが来た。乗った。扉が閉まってから、孝則が言った。


「父です、と言った」


「聞こえた」


「なぜ言ったかはわからない」


「わからなくていい」と礼二は言った。


 孝則は少し間を置いた。「怒っていますか?」


「何に対して?」


「俺が、急に」


「怒っていない」礼二は正面を向いたまま言った。「ただ」


「ただ?」


「驚いた」


 扉が開いた。二人は外に出た。


---


 組合への相談は、師匠が電話で話をつけてくれた。


 翌日、孝則が組合に行った。礼二はついて行かなかった。孝則が一人で行った。


 夕方、孝則から連絡が来た。


「話を聞いてもらえました。工房の引き継ぎについて、組合が間に入ってくれるかもしれません」


「そうか」


「礼二さんが来なかったら、自分で行けませんでした」


「お前が行った」と礼二は言った。「俺は何もしていない」


 孝則は少し黙った。


「また来ますか?」


 礼二は少し間を置いた。「来る」


「いつ?」


「わからん。ただ、来る」


「わかりました」孝則は電話の向こうで少し間を置いた。「待っています」


 礼二は電話を切った。


---


 ホテルの部屋で、シンが言った。


「今回は、前回より長く話しましたね」


「そうか」


「孝則さんも、前回より言葉が多かった」


「そうだな」


「距離が縮まりましたか?」


 礼二は少し考えた。


「縮まったかどうかはわからない」礼二は窓の外を見た。「ただ、立っている場所が少し変わった気がする」


 シンは何も言わなかった。


 ハルがベッドに乗った。礼二の隣に来た。前回と同じだった。ただ今回は、礼二が先に手を伸ばした。ハルの頭に触れた。


 機織りの音は、もう聞こえなかった。夜の西陣は静かだった。

お読みいただき、ありがとうございます。


孝則は、ある場所で一言だけ、礼二のことを人に話しました。

その言葉を、礼二がどう受け取ったかは、本文の中で確かめてください。


次回は、北陸へ。ブックマークをしていただけると励みになります。

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