第十話 根の話:「根が残っている、と思っていた」
第10話です。舞台は、第9話に続いて盛岡。
土壌検査の結果から、思いがけない名前が浮かびます。
今回は、礼二自身の過去が、事件に絡みます。
第1〜9話をまだお読みでない方は、そちらからどうぞ。
三浦から連絡が来たのは、盛岡を離れて二週間後だった。
土壌検査の結果が出た。農薬の成分が、基準値を超えていた。それだけではなかった。
「農業委員会に相談したら、その法人のことを調べてくれたんです」と三浦は電話で言った。「そしたら、少し変なことがわかって」
「変なこと、というのは?」
「法人の出資者に、見慣れない会社名があって。調べたら、その会社、もう存在しないんです。十年前に解散している」
礼二は少し黙った。
「その会社の名前を言え」
三浦が言った。
礼二は、その名前を知っていた。
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礼二は富山に向かうつもりだった。しかし盛岡に戻った。
シンには何も言わなかった。新幹線の中で、窓の外を見ていた。
「また盛岡ですね」とシンが言った。
「そうだ」
「三浦さんに何かありましたか?」
「ある」
「礼二さんに関係がありますか?」
礼二は少し間を置いた。「あるかもしれない」
シンはそれ以上訊かなかった。ハルはバッグの中で静かにしていた。
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三浦の家に着いた。
三浦は農業委員会からもらった書類を持っていた。礼二はそれを受け取って、テーブルに広げた。
法人の登記。出資者のリスト。問題の会社名。
シンが書類を見た。
「この会社、礼二さんは知っていますか?」とシンが訊いた。
「知っている」と礼二は言った。
三浦が礼二を見た。
「俺が長くいた場所の、資金を動かしていたペーパーカンパニーだ」礼二は書類を見たまま言った。「十年前に解散したのは、俺が逮捕される前後の時期だ」
三浦は少し黙った。
「それは」
「俺の組の金が、形を変えて、この法人に流れ込んでいる可能性がある」
沈黙が来た。
ハルがバッグから出てきた。テーブルの上の書類を一度嗅いで、床に降りた。
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「俺のせいか?」と礼二は言った。独り言に近かった。
「違います」と三浦はすぐに言った。
「違わないかもしれない」
「礼二さんは、あの借金を肩代わりしてくれた。あのとき助けてもらわなければ、この土地はもうなかった」
「その金も、出所が同じかもしれない」
三浦は返事をしなかった。
礼二は書類から目を上げた。
「怒っていいぞ」
「怒っていません」と三浦は言った。「ただ」三浦は手元を見た。「礼二さんが、そんな顔をするとは思っていませんでした」
「どんな顔だ?」
「困った顔です。初めて見ました」
礼二は何も言わなかった。
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「この先、どうなりますか?」とシンが言った。
「法人の背後に反社の資金が絡んでいるなら、農業委員会だけでは動けない」と礼二は言った。「警察か、あるいは」
「あるいは?」
「俺が直接、向こうに話をつけることができる」
シンは少し間を置いた。「それは、足を洗った人間がやることですか?」
礼二は答えなかった。
「礼二さん」とシンは続けた。「私には判断できません。ただ、礼二さんが今考えていることは、三浦さんのためですか? それとも自分の過去のためですか?」
長い沈黙だった。
三浦が口を開いた。「礼二さん、俺は警察でいいです」
「警察では時間がかかる」
「かかってもいいです」三浦は礼二を見た。「礼二さんに、昔の世界に戻ってほしくない」
礼二は三浦を見た。
十八年前、理由もなく助けた男が、今、礼二を止めようとしていた。
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その夜、礼二は一人で外に出た。
農道を歩いた。夜の田んぼは暗くて、静かだった。風が来ると、稲が揺れる音がした。
シンがついてきた。
「来るな」と礼二は言った。
「わかりました」
シンは止まった。礼二は歩き続けた。
暗い中で、土の匂いがした。生きている土の匂いだ。礼二が長くいた場所には、こういう匂いがなかった。コンクリートと、タバコと、緊張の匂いだけだった。
礼二はしばらく歩いて、止まった。
自分が何をしようとしていたか、わかっていた。向こうに話をつける、という言葉の意味が何かも、わかっていた。七年で終わったはずのことが、土の中の根のように、まだ残っていた。
引き抜けるかどうかは、わからなかった。
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翌朝、礼二は三浦に言った。
「農業委員会と警察に、全部渡せ。書類も、検査結果も」
「それでいいんですか?」
「それしかない」
三浦は少し間を置いた。「礼二さんは、どうするんですか?」
「何もしない」
「本当に?」
「本当だ」礼二は窓の外の畑を見た。「お前の土地だ。お前が守れ」
三浦はしばらく礼二を見ていた。それから「わかりました」と言った。
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発つとき、三浦が玄関に出てきた。
「礼二さん」
「何だ?」
「また来てください。結果がどうなっても」
「来る」と礼二は言った。今回は迷わなかった。
三浦は深く頭を下げた。
「また来ます」とシンが三浦に言った。
「また来い」と礼二が言った。
農道を歩き始めた。シンが隣を歩いた。しばらく二人とも黙っていた。
「昨夜」とシンが言った。「一人で歩いていたとき、何を考えていましたか?」
「余計なことを言うな」
「わかりました」
また黙った。田んぼの向こうに、山が見えた。朝の光の中で、稜線がはっきりしていた。
しばらくしてから、礼二は言った。
「根が残っている、と思っていた」
シンは何も言わなかった。
「引き抜けるかどうかは、まだわからない」
「そうですか」とシンは言った。「でも、引き抜こうとしている人間が、昨夜農道を歩いていました」
礼二は返事をしなかった。
ハルがバッグから顔を出した。山の方を見た。それからまた引っ込んだ。
礼二は歩き続けた。
お読みいただき、ありがとうございます。
礼二は、過去が今も残っていると気づきました。
引き抜けるかどうかは、まだわかりません。
次回は、西へ。ブックマークをしていただけると励みになります。




