第十四話 火花の話:「動かなかった方だ」と、男は言った。
第14話です。舞台は西へ移って、広島。
十一年前に礼二が送り出した、造船所の溶接工・永田と再会します。
第1〜13話をまだお読みでない方は、そちらからどうぞ。
広島に着いたのは朝だった。
駅を出ると、川が見えた。複数の川が街を分けていた。礼二はそれを少し見た。
「デルタ地帯ですね」とシンが言った。
「そうだ」
「川が多い街は、橋も多い」
「そうだな」
「橋が多いと、どこへでも行けますね」
礼二は少し間を置いた。「どこへでも行けるとは限らない」
シンは何も言わなかった。ハルがバッグから顔を出して、川の匂いを嗅いだ。それから引っ込んだ。
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知り合いの名前は永田といった。
十一年前、礼二が組から送り出した。当時三十三歳。不器用で、口下手で、しかし手先が異様に正確だった。細かい作業を長時間続けられる男だった。礼二が造船会社の下請けに話をつけた。今は溶接工として働いている。
待ち合わせは宇品港の近くだった。
永田は作業着のまま来た。四十四歳。顔に細かい火傷の跡があった。溶接の飛沫だ。礼二を見て、深く頭を下げた。
「来てくださって」
「来ると言った」
「礼二さんは必ず来ると思っていました」永田は顔を上げた。「でも、信じながら半分は信じていなかった」
「澤田と同じことを言う」
「澤田さんを知っているんですか?」
「長野の宿だ。会ったことはないか?」
「ないです」永田は少し驚いた顔をした。「でも、礼二さんが旅をしていると聞きました。木津さんから」
「函館の木津か?」
「そうです」
礼二は少し間を置いた。旅先の人間が繋がっていく。その速さが、礼二の想定より少し早かった。
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飯を食った。
牡蠣の土手鍋と、穴子の飯と、地酒。
「うまいな」と礼二は言った。
「広島の牡蠣は、今が最後の時期です」と永田は言った。「もう少し遅かったら食べられなかった」
「そうか」
「来てくれてよかった」
シンは鍋を見ていた。
「何を見ている?」と礼二が言った。
「牡蠣の大きさを観察していました。栄養状態が良い個体は、殻と身のバランスが」
「食べてみろ」
「食べられません」
「わかってて言っている」
「七割の確率で冗談ですね」
「今回は八割だ」
シンは少し間を置いた。「確率が上がっていますね」
「気のせいだ」
永田が二人を見た。少し笑った。声は出なかった。富永に似た笑い方だった。
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酒が入った頃、永田の顔が変わった。
吉岡や木津と同じ変わり方だった。言いたいことがある顔だ。今回は礼二から訊かなかった。待った。
永田は少し間を置いてから、口を開いた。
「相談があります」
「言え」
「今、担当している船があります。来月、納品予定で。でも」永田は手元を見た。「溶接の検査記録に、おかしいところがあって」
「おかしい、というのは?」
「数値が、実際とずれている。俺が溶接した箇所の強度が、記録では基準値ギリギリになっている。でも実際はもっと低い。俺がやったから、わかる」
礼二は永田を見た。
「誰が記録を書いた?」
「検査担当の上司です」
「上司は知っているか、その差異を?」
「知っていると思います」永田は声を落とした。「でも、納品が遅れると、会社が困る。そういう雰囲気があって」
「お前はどうしたい?」
「わからないんです」永田は手を見た。火傷の跡が並んでいた。「この船、旅客船です。人が乗る」
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翌朝、礼二は永田と造船所の近くまで歩いた。
シンとハルは少し後ろを歩いた。礼二が「ついてこい」とも「来るな」とも言わなかったので、シンは距離を保った。
造船所のドックから、船体が見えた。大きかった。足場が組まれていた。作業員が動いていた。
「あの船か?」と礼二は訊いた。
「そうです」
礼二は船を見た。完成に近い船体だ。塗装がされていた。白かった。
「記録の写しは持っているか?」
「持っています。コピーを取っておきました」
「なぜ取っておいた?」
永田は少し間を置いた。「何かあったとき、証拠がいると思って」
「最初から、誰かに話すつもりだったか?」
「礼二さんが来ると聞いて」永田は船を見た。「話そうと決めました」
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記録のコピーをシンに見せた。
「数値の記載と、実際の強度基準を照合します」とシンは言った。しばらく静かだった。「記載されている数値は、基準値の下限をわずかに上回っています。ただし」
「ただし?」
「溶接強度は、環境条件や材料のロットによって変動します。記録だけでは、意図的な改ざんか、誤差の範囲かを断定できません」
「永田が実際と違うと言っている」
「永田さんの感覚は重要です」とシンは言った。「ただ、それを証明するには、現物の強度試験が必要です」
「できるか?」
「納品前の船体に、外部の検査を入れることは、発注元の了解があれば可能です」
礼二は永田を見た。「発注元はどこだ?」
「フェリー会社です。本社は大阪で」
「そこに話を持ち込むか、あるいは国土交通省の船舶検査に直接持ち込むか?」と礼二は言った。「どちらが現実的だ?」
「国交省の方が、会社を通さずに動けます」とシンは言った。「ただし、永田さんが内部告発者になる」
永田は黙っていた。
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「怖いか?」と礼二は訊いた。
「怖いです」と永田はすぐに言った。「仕事を失うかもしれない。会社にいられなくなるかもしれない」
「そうだな」
「礼二さんなら、どうしますか?」
礼二は少し考えた。
「俺は、昔、止めなかった」
「何をですか?」
「止めるべきことを」礼二は船を見た。「止めなかった結果、人が死んだ。俺はそれで七年いた。七年で済んだとは思っていない」
永田は礼二を見た。
「だから、止めろと言いますか?」
「お前が決めることだ」礼二は永田を見た。「ただ、俺が言えるのは、あとで後悔する方向は、大抵どちらか決まっている」
「どちらですか?」
「動かなかった方だ」
永田はしばらく船を見ていた。
「わかりました」と永田は言った。「国交省に話します」
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発つ前に、永田が言った。
「礼二さん、昔のこと、後悔していますか?」
「している」と礼二は言った。今回は間を置かなかった。
「それでも旅をしていますか?」
「それでも、だから、かもしれない」
永田は少し黙った。「俺も、今日のことを後悔するかもしれません」
「するかもしれない」と礼二は言った。「それでも、動いた方がいい後悔と、動かなかった方がいい後悔がある」
永田はうなずいた。
「また来ます」とシンが永田に言った。
「また来い」と礼二が言った。
川沿いを歩いた。橋をいくつか渡った。礼二は橋の上で少し立ち止まった。川が光っていた。
「さっき、橋が多くてもどこへでも行けるとは限らないと言いましたね」とシンが言った。
「言った」
「どういう意味でしたか?」
礼二は川を見た。
「行き先が決まっていないと、橋があっても渡れない」
「今は、行き先が決まっていますか?」
礼二は少し間を置いた。「少しずつ、決まってきている」
シンは何も言わなかった。ハルがバッグから顔を出して、川を見た。今度は少し長く見ていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
礼二は今回、自分の過去を、自分の口から語りました。
語る相手がいる、ということも、旅の中で変わったことの一つかもしれません。
次回は、ふたたび山の宿へ。ブックマークをしていただけると励みになります。




