第5話 いきなり初夜
日が暮れ始めた頃、ようやく目的地であるマルゼンダ家に到着した。
「それでは、僕はここで失礼します」
「護衛をしてくださり、ありがとうございました」
「――また、いずれ」
騎士は馬上から一礼をすると、颯爽と去っていった。
「アリアンディ様、さぁ、参りましょう」
「えぇ」
モズリンに促され、馬車を降りる。
見上げた屋敷は、想像したよりずっと大きくて立派だった。
だけど、建物全体から冷たい気配が漂っていた。
◆◆◆
「ようこそ我が家へ、アリアンディ」
その夜、私の歓迎会が開かれた。
伯爵家に所縁のある人々が集まり、高価なワインが振る舞われた。
マルゼンダ家の食堂は、来客を意識した空間だった。
壁には名画、棚には高価な銀細工の食器。
家族憩の場とは程遠い。
実家との違いに、また胸が重くなる。
「かわいらしいお嬢様だわ」
義理の母となるマルゼンダ伯爵夫人の、甲高い声が食堂に響いた。
その声に、皆が一同に頷く。
「ありがとうございます。皆様、どうぞ末長くよろしくお願いいたします」
「オリフタン、あなたも何か話したら?」
「……特に話すことは」
「もう、愛想がないんだから」
私は、夫となるオリフタンをそっと見た。
オリフタン・マルゼンダ。伯爵令息、25才。
グレーアッシュの髪、品の良い佇まい、身長も体重もごく平均的とみた。
綺麗な顔立ちだけど、切れ長の目はなんだか神経質そう。
彼は黙って料理を口に運び、ワインを飲み、時折母親の言葉に短く相槌を返すだけ。
私を一度たりとも見ようとしない。
彼には歓迎されていない。
それは明らかだった。
「寒くはないかしら?ポーラディアとは気候が違うから、花嫁に風邪をひかせては大変よ。大事な身体ですからね」
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
この家の全てを仕切っているのは、どう見てもマルゼンダ伯爵夫人だった。
「明後日の結婚式には、ご両親もいらっしゃるのよね?」
「はい。両親も兄も参列いたします」
「それはよかったわ。これからは家族同然ですもの、良いお付き合いがしたいわ」
「伯爵様のご参列は、難しいのでしょうか?」
マルゼンダ伯爵は病でほとんど自室から出てこないと聞いている。
この家の実権が伯爵夫人にあるのは、そういう事情だ。
「体調がよくないのです」
演技がかった声色だった。
マルゼンダ伯爵夫人は、裕福ではない子爵家の生まれ。伯爵に見初められ、妾から正妻になったという。
計算高く、プライドが高い。
これが、社交界での評判。
真偽は分からないが、彼女の威圧感は本物だった。
「では、ご挨拶だけでも」
「いいえ、どうぞお気になさらないで」
声には、明らかな拒絶があった。
「でもね、伯爵もこの結婚をとても喜んでいるのよ」
「では……オリフタン様のご兄弟は、ご参列されないのでしょうか?」
私の質問に、伯爵夫人とオリフタンの眉がピクリと動く。
「幼い頃に遠縁に婿養子として出されましたから、残念ですが不参加ですわ」
「そうでしたか。よく存じ上げず、申し訳ございません」
「――そろそろ、お開きにしましょうか」
よかった。
ようやく休める――そう思った矢先。
「夫婦の寝室に、アリアンディをお連れしなさい」
伯爵夫人が側にいたメイドへ命じた。
「え?」
私より先に、モズリンが驚きの声を上げた。
「奥様、2人はまだ結婚式前ですわ」
「あら、夫婦も同然だわ。少し早くてもいいじゃないの。あなたもそう思うでしょう、オリフタン?」
伯爵夫人の視線に促され、オリフタンと初めて目が合った。
無表情の瞳が一瞬だけ私を捉えたが、すぐ逸らされた。
「母上がそう言うなら、構いません」
冷たい声。
私が困惑しているのは分かっているはずなのに。
「お言葉ですが、アリアンディ様は慣れない移動でお疲れです。今夜は、私室にて休んでいただきたいのです」
「モズリン……」
ああ、本当に頼もしい。
『嫁ぎ先にも同行します』と彼女が言ってくれた時の安心感を思い出した。
だが伯爵夫人は、モズリンを鋭く見下ろし、冷たく言い放った。
「この家も、この領地も、すべて私に一任されているの。新参者が口を出す問題ではありません」
「失礼しました。ですが、大事なお嬢様をお守りするよう、こちらも侯爵家から強く――」
伯爵婦人は、パチンッと扇子を鳴らした。
「いやだわ。初夜が数日早まるくらい、侯爵様は何とも思わないでしょう?」
確かに、お父様はそうかもしれない。だけど、お母様は激怒するわ。
私は、そう心の中で反論した。
「あまり口うるさいようなら、オランジ子爵のもとへお帰りいただくことになりますわよ?」
これは、さすがに黙っていられない。
「マルゼンダ伯爵夫人、お言葉ですが――!」
「アリアンディ様、お止めください」
反論しようとした私の腕を、モズリンが強く握る。
ここは敵陣――私たちは明らかに弱者だ。
「……分かりました。オリフタン様のお部屋に、伺います」
もはや、逃げ場はない。
「賢いお嫁さんで良かったわ。ねぇ、オリフタン。これなら、早く孫にも会えそうね」
伯爵夫人は値踏みするように私を見て、高らかに笑う。
「母上の望むままに」
オリフタンは、どこか小馬鹿にしたように片唇だけで笑った。
――あれ?
どこかで見たような、嫌な笑い方。
背中がぞわりと冷える。
「母上、俺は先に失礼します」
オリフタンは部屋を出て行った。
「あとは頼んだわよ」
これ以上話す気はない――そう言うように、伯爵夫人はメイドに命じた。
覚悟を決めるしかない。
それが明後日であろうと、今夜であろうと、来るべき日は来るのだ。
「アリアンディ様」
「大丈夫よ。あなたも長旅で疲れているのだから、ゆっくり休んでね」
「はい……」
心配そうなモズリンに笑みを見せ、私はメイドに付き従って部屋を出た。
「お体をキレイにいたします」
メイドにされるがままの私。
胸の奥がざわつく。
――嫌だ。
ふいに、そんな感情が浮かんだ。
身支度を終えたあと、長い廊下を歩く足は、まるで鈍りのように重い。
「こちらでございます」
メイドが扉を開ける。
薄暗い部屋の奥。
オリフタンが、ゆっくりとこちらを振り返った。




