第21話 マルゼンダ伯爵
初老の紳士は、カシスタンに腕を支えられながらゆっくりと祭壇へと進む。
「神聖な式の邪魔をして申し訳ない」
司祭の前で一礼する。
「マルゼンダ伯爵ではありませんか。随分とお久しぶりです」
――あの方が、マルゼンダ伯爵?
だいぶ痩せて顔色も悪そうだが、鋭い眼光と凛とした雰囲気が漂う。
カシスタンによく似ている。見た目も、佇まいも、そう、雰囲気やオーラが同じなんだ。
マルゼンダ伯爵も、若い頃は生粋の軍人だったと聞いたことがある。
「父上、なぜここに?」
オリフタンが声を震わせ尋ねたが、マルゼンダ伯爵は一瞥だけで返事はしない。
「ご参列の皆様、お騒がせして申し訳ない。すべては私の至らなさが招いたことです」
マルゼンダ伯爵は、祭壇に向かい右手を胸に当てた。
それは、この国の礼儀作法のひとつで、『嘘偽りない姿を神に誓う』という意味だ。
「この結婚を取り決める際に行われた婚約の儀、その契約書に押された、マルゼンダの印章は偽物です。この結婚は、爵位を持つ私の意図するところではございません」
その言葉は、静まり返っていた教会に一瞬にして波紋を広げた。
ひそひそと囁き合う声は瞬く間に大きくなり、聖堂全体が低い熱を帯びた騒音に包める。
「マルゼンダ伯爵、それはどういうことですかな」
最前列のお父様が、眉をひそめながら一歩前に出る。
「療養中である貴方の代理人が、委任状を持って我が家に来ました。そちらのマルゼンダ伯爵夫人と共に。その際、交わした契約に、不備があったのですか?」
「私は、その委任状にサインをした覚えがありません」
マルゼンダ伯爵は、しっかりとお父様を見据え応えた。
「その代理人とやらにも、会ったこともない」
「なんですと?」
「妻がどこからか雇ったか……、もともと囲っていた間男かもしれませんなぁ」
ようやく妻へ向けた視線は、ひどく冷たいものだった。
「そんな!私はマルゼンダ領の発展のため、そう思って――」
「黙れ!」
病人とは思えない一喝に、祭壇の蝋燭が大きく揺れた。
参列者のざわめきが、その一喝でぴたりと止まる。
光が差すステンドグラスの下、まるで舞台劇の最後の場面のように、全員が固唾を飲んでいる。
「母上、こちらに見覚えがありますか?」
それまで黙っていたカシスタンが、胸元のポケットから小瓶を取り出した。
「し、知らないわ」
「マルゼンダ領の鉱山にしか生息しない、稀少な蛇の毒です」
「だから、知らないわよ」
「神経の麻痺や血圧の低下を招く、猛毒です」
マルゼンダ伯爵夫人の顔が青ざめる。
「母上のお部屋から、見つけた物ですよ」
「なんだとっ」
隣でオリフタンが動揺の声を漏らす。
「父上が倒れたと聞いたとき、嫌な予感がしました。そのため、屋敷にいる僕が信頼する人物に探らせました」
モズリンが話を聞いたメイド長だろうか?
「僕の領地、ルートベアの北側は山岳地帯です。そこには、昔から薬学に精通する民族が暮らしているのです」
特別自治区の民族の話は、噂では聞いている。
不思議な力を持っていると。
「彼らは解毒薬を作ってくれました。すぐに効果があるとは言い難いけれど、まぁ、ご覧のとおりですね」
「母上が、毒を父上に?」
オリフタンの青ざめた顔からは、嘘をついているようには見えなかった。
「おや、兄上は何もご存じなかったか」
マルゼンダ伯爵が小さなため息をこぼす。
「オリフタン、お前が母親の傀儡である内は、とても正式な跡継ぎだとは言えん。現実を受け入れ、己の弱さを認め悔い改めよ」
「はいっ……」
「母上。お迎えが来てますよ」
カシスタンの言葉に、再び扉が開く。
「マルゼンダ伯爵夫人を連行しろ!」
黒い詰襟の制服に帽子。腰には細身のサーベル。
軍人以外で帯刀を許されているなら、マルゼンダ領の自警団だろうか?
それにしては、身なりと様子がおかしい。
教会の荘厳な静寂が破られたのと同時に、彼女の絶叫が響く。
「な、なによ!離しなさいよ!」
両腕を掴まれ、必死の抵抗をするマルゼンダ伯爵夫人。
必死で醜い形相は、参列者の視線という名の炎に焼かれていた。
そして、母親が取り押さえられる様を、ただ呆然と見るだけのオリフタン。
その光景に、参列者たちは再びざわめき始め、中には顔を背ける者もいた。
「王都から来た警官隊です」
カシスタンが小声で説明をしてくれた。
「王都から?」
目を凝らすと、彼らのサーベルの鞘に、金の獅子を象った紋章がある。
各領地で解決しきれないトラブルの解決や、国政に関わる問題の対処、納税の横領が疑われた場合に調査を行う機関だ。
前世で言う、警視庁と国税庁と自衛隊を兼ねた機関だろうか。
「マルゼンダ伯爵の殺人未遂、鉱山利権書の偽造の容疑で連行する」
「そんな!」
「連れて行け」
リーダー格と見られる男性がそう言うと、踵を返しお父様の元へやって来る。
「ポーラディア侯爵、ご息女の結婚に際する契約書に関して、我々の調査にご協力ください」
「ええ!わ、私は何も知りません――、痛ッ!」
反論しようとしたお父様の脇腹を、お母様がひと突きした。
「かしこまりました。どうぞお連れいただき、焼くなり煮るなりしてくださって結構です」
優雅に一礼。
さすがです。お母様。
「マルゼンダ卿、あなたも重要参考人としてご同行を」
「ふん。共犯だと疑っていると言え」
「理解が早くて助かります」
オリフタンは壇上から降りると、しっかりとした足取りで歩き出した。
「――アリアンディ」
振り返り私を見る。
「この結婚は白紙だ」
「オリフタン様」
「こんな男と結婚したら、またしても、最悪な人生になるところだっただろうからな」
そうして、寂しそうに笑った。
「よかったな」




