第20話 白い結婚
教会の重く厚い扉の前で、オリフタンと2人きり。
「オリフタン様、白いタキシードがよくお似合いですわ」
嘘ではなかった。本心からの世辞だったのに、一瞥され、フンッと鼻で笑われた。
「お前に白いウェディングドレスが相応しいかどうか、甚だ疑わしいもんだな」
「まだそんなことを言ってるんですか」
ああ、褒めなきゃよかった。
「オリフタン様は、今まで何人の女性を抱かれたのですか?」
「な、女のくせに、なんていう下品なことを!」
オリフタンは顔を真っ赤にした。まさか、実は未経験……なんてこともあるのかしら?
「今だけは、本音でお話ししませんか?」
扉の向こうから、パイプオルガンの音色が聞こえた。
この曲が終われば、扉は開かれる。
「オリフタン様は、前世や転生、生まれ変わりといった類のものを信じますか?」
突然の質問に、オリフタンは眉をひそめた。
そしてすぐに、『こいつ、頭は大丈夫か?』とでも言うような、偏見の眼差しを向けられた。
「私には、前世と思われる記憶があります」
「なんだと?」
「前世の結婚相手は、オリフタン様によく似ております。顔ではなく、雰囲気や言動といった存在感、そして何より、境遇が共通しております」
「バカバカしい」
「前世の私は、幸せな結婚生活を知らずに、他界しました」
私は手元の赤いガーベラに視線を落とす。
「オリフタン様は肩に古い火傷がありますね。もしヤ、マルゼンダ伯爵夫人から受けた、しつけという名の体罰ですか?」
オリフタンの表情が強張った。
「不思議ですね。前世の夫にも、肩にあざがありました。あざの理由は、先ほど申し上げた通りです。まったくの偶然なのか……それとも、オリフタン様も……」
「くだらない」
突如、右腕を掴まれた。
その手は、冷たく、固い。
「妄想に付き合う気はない。お前は俺と結婚し、やがて子を産む。それだけだ」
「オリフタン様は、いつか私を愛してくださいますか?」
オリフタンはハッとした表情をし、掴んだ手を離した。
動揺が、はっきりと顔に現れている。
「愛など、いらない」
「え……?」
「俺の意思など、どこにも必要ない」
深いため息のあと、髪をぐしゃぐしゃとかきむしる。
その仕草は、彼の内心の混乱を示しているかのようだった。
「母上が……望むから、そうしないと……だから……だ」
オリフタンは右肩を抱えた。
火傷の痕が、ひどく痛むのだろうか。彼の全身が、微かに震えているように見えた。
「く……ここは寒い。すごく。まだ、扉は開かないのか」
「寒い?」
凍えるような気温ではない。
扉の前で身を縮める姿は、まるで外に閉め出され、家に入れてもらえない子供のようだった。
そういえば――政人も、寒い夜に時々うなされていた。
子供の頃、テストの点数が思わしくないと、義母は政人をベランダに放り出した。
凍えた夜が幾度もあったらしい。だから政人は、ベランダも冬も嫌っていたのだ。
前世も今世も、私の夫になる人は、母親という呪縛に苦しんでいる。
だからといって、その言動すべてを許容することはできない。
教会の重く厚い扉が、ゆっくりと開いた。
「行きましょう。オリフタン様」
「ああ」
「神の前では、あるがままに――」
祭壇に向けて、私は小さく呟いた。
◆◆◆
荘厳な讃美歌と、身体の芯まで響き渡るパイプオルガンの演奏。
高い天井に反響するその音が、波のように押し寄せる。
ごくりと唾を飲み込むと、オリフタンの腕に手を添える。
ゆっくりと歩き、祭壇へと向かう。
やがて、司祭のよく通る声が響いた。
「2人が夫婦となることを、ここにいる全員が証人となろう」
司祭に向き合うよう促される。
私は片膝を引き、首を垂れる。オリフタンが、白いベールを上げた。
オリフタンの表情は、少し強張っていた。
「アリアンディ・カラード。汝、夫となるオリフタン・マルゼンダへ、永遠の愛を誓い、純潔の証を捧げなさい」
なんて、男性社会の象徴のような命令口調だろう。
女は結婚するまで処女であることを前提とされ、男の過去は何も問題視されない。
そして、永遠の愛を誓うのは、女だけ。
「おい、返事にしろ」
向かい合ったオリフタンに、小声で凄まれて、ゆっくりと顔を上げる。
「私は……」
喉が渇いて、声がかすれる。
これから始まる結婚生活は、前世と同じ苦しいものだろうか。
いや、時代も世界も文化も違う。もっと大変なのかもしれない。
私は、オリフタンを愛せるだろうか。オリフタンは、私を愛してくれるのだろうか。
赤いガーベラを持つ手が、微かに震えた。
『神の前では、あるがままに』
見えなくても分かる。
後方に立つ母上とモズリンの、心配そうな表情。
「私は、オリフタン様を……」
私が純潔の証を捧げる相手は――、
バンッ!!
突然の静寂を破る荒々しい音と、薄暗い教会に差し込む強烈な光。
参列者全員が、後方の扉に視線を向けた。
「お待ちください!」
いつの間にか、晴天になっていたようだ。
眩い光が教会へと溢れ込む。
後光のような日差しを背負っているのは、カシスタンだ。
「その誓い、どうかお待ちください!」
リントした声を上げるカシスタン。
そして、その後ろから現れたもう1つの影。
「この結婚は、無効である!」
ビリビリと背筋に電撃が走るような、威厳ある声を発した。
「あ、あなた……!」
マルゼンダ伯爵夫人が、絞り出すように呟いたのが聞こえた。




