第13話 黒曜石のような瞳
「どこから、来たのですか?」
ドアが開いた気配はなかったのに。
カシスタンは私の問いには答える代わり、ふわりとほほ笑んだ。
「今日の夕日は格段に美しい。一緒に見ませんか?」
差し出された手を、吸い込まれるように取ってしまった。
握られた手の感触。
剣を使い慣れた者特有の、硬く筋張った手だ。
艶やかな長い漆黒の髪は、夕日を浴びて鈍く輝く。
髪と同じ黒い瞳は、夜明け前の空のように、わずかな青みを帯びて輝いている。
それこそが、『黒曜の騎士』と言われる所以だろう。
整った顔立ちに、見惚れるほど完璧な美しさ。
――小説の貴公子みたいだわ。
――アイドルよりキレイな顔ね。
アリアンディ《わたし》と愛花の思考が同時に浮かぶ。
世界も時代も異なっても、異性の容姿に対する好みは共通ということか。
なんとなく、笑えてしまった。
「思い出し笑いですか?」
「ええ」
ふたりでバルコニーに並ぶ。
美しい夕日。
「素敵な景色」
「気に入っていただけたら光栄です」
「教えていただけたのは嬉しいのですが、淑女の部屋に無断で入るなんて」
「ゆっくり話す時間がとれないもので、つい強行手段を執りました。無礼をお許しください」
カシスタンのコロンだろうか。ふわりと上品な香りがした。
「カシスタン様。伺いたいことがあります」
「なんですか?」
「私たち、どこかでお会いしましたか?」
こんなに美しい人なら、一度でも会っていたら忘れるはずがない。
それなのに。
彼の顔を見るたびに胸がざわつく。
懐かしいような。恋しいような。説明のつかない感情が胸の奥から込み上げてくる。
カシスタンは少しだけ目を細めた。
「どうして、そう思うのですか?」
「わかりません」
正直に答える。
「でも、あなたを見ていると……初めて会った気がしないんです」
夕風が吹いた。
長い黒髪が揺れ、カシスタンの瞳がわずかに伏せられる。
その横顔が、なぜだか切なそうに見えた。
「それは、光栄ですね」
穏やかな返事だった。
そして、夕焼けに染まる空を見上げた。
「僕は常々思うのです。人は不思議だと――」
「不思議?」
「何年離れていても、どれほど姿が変わっても」
静かな声。
なのに、一言一言が胸に沈んでいく。
「大切な人のことは、決して忘れない」
なぜだろう。
その言葉を聞いた瞬間、涙が出そうになる。
カシスタンは私を見つめる。
黒い瞳の奥に、どうしようもないほど深い感情。
「なぜ、そんな顔をするのですか?」
「ようやく会えた……」
かすれた声。
それは独り言のようでもあり、祈りのようでもあった。
「え?」
カシスタンは苦しそうに微笑んだ。
伸ばされた指先が、私の頬にかかった髪をそっと払った。
「アリアンディ」
私の名前を呼ぶ。
「それとも――」
黒曜石の瞳が真っ直ぐ私を射抜いた。
「愛花、と呼ぶ方がいいかな」
世界が止まった。
夕風が吹き抜ける。
私の喉から、かすれた声が漏れた。
「……どうして、その名前を知っているの?」
愛花と、私を呼んだ。
カシスタンの言葉に、私の時間は止まる。
「どうして――」
絞り出した声と同時に、扉を叩く音が響いた。
「アリアンディ様、夕食のお時間です」
ハッとして顔を上げると、カシスタンの姿は消えていた。
まるで幻かのように。
「どうかなさいましたか?」
「いいえ、なんでもないわ」
夢だったのだろうか。
『愛花』
そんなはずない。触れた指先の熱さも、コロンの香りも、ちゃんと身体で覚えているから……。




