三十四話
「――待ちなさい、ケイル。その人は殺さないで」
私の目の前で、今まさにライレオットの命が絶たれようとしていました。
良かった、ギリギリ間に合いましたね。
「……何言ってんだ、そいつも王国騎士だぞ。殺すに決まってる」
鼻血を出しながら、クロスが随分と物騒な事を言ってくる。彼の気持ちも分からないでもないが、そうする事で全て丸く収まる訳ではないのだ。
「――クロス、また後で話しましょう」
納得していなそうなクロスには後で言い含めるとして、ライレオットには頼みもある。ここで殺す訳にはいかない。
「……リリシア様」
「大丈夫よ、ケイル。あなたの判断で動いていいから」
心配そうな面持ちのケイルには暗に生殺与奪の権利を与えながら、仰向けに転がるライレオットを抱き起こす。
「……リリシア」
「ライレオット。昨日ぶりね」
「……君は操られているんだ。その子に」
「まぁ。何その話。どこから出たのかしら」
私は噴き出しながら、ライレオットが指差す方を見る。
その先には、ぼんやりとした瞳で虚空を見つめるモモイの姿があった。
「……いや、あの子かは分からないが……とにかく、君は洗脳されている。正気を取り戻して、マリア様と話してくれ……」
何を言い出すんだろうか我が夫は、と頭の中にはてなマークをたくさん浮かべていたのだが、とある名前が出た辺りで何となく察しがつく。
ライレオット、貴方まさかそんな言葉に騙されて私を追いかけてきたのかしら。何をしているのかしら全く――
「――洗脳?」
あまり日常では聞かない単語に、引っかかった。
ずっと疑問に思っていた事がある。
何故、母はまだ五十前後の若さで第一聖女を引退して、普通の暮らしを始めたのか。
その後成り替わるようにして第一聖女になったマリアが、今や国王すら凌ぐ権力を持っているのか。
そして、王国騎士団を私兵のように扱い、秘密裏にリィルたちという『魔化兵士』なんてものを作っていたのか。
その周囲には多くの人たちが居たにも関わらず、その全員がマリアに与したのだろうか。
いいや、違う。そんなはずはない。いくら第一聖女と言えども、その権力はあくまでも教会内部の立ち位置。もはや国の内政にまで口を出すような存在の彼女に対して、ことごとくが協力することなど考えずらい。政に疎い私でも、「じゃんけんに買ったら私が総理大臣ね!」とならない事ぐらいは百も承知だ。
洗脳、か。
なるほど……
「少し、見せてもらうわね」
私はライレオットの体内に、呪いの痕跡がないか探る。手足の先端から、各関節。それに腹部や胸部、頭部まで。まるで透視でもするように各部位を眺めていく。
……当然そう簡単には見つかるはずもない。もし簡単に分かってしまうようでは、他の聖女に簡単に見つかってしまう。
とはいえ、通常であれば呪いを見つけたところで『対処』するだけだ。まかり間違っても「マリアがやったんだ!」と結びつけるような人はいないだろう。
ああ、そう思うと第二聖女が滅多に表に姿を現さないのは、そういう事なのだろうか。
もう少し情報を仕入れれば良かった。いや、でも以前の私は完全にマリアのシンパだったし、向こうから私に何か教えてくれるという事はなかっただろう。何から嫌われていたからこそリィル達の境界まで出張させられた訳だ。今となってはそのことに感謝すら覚える。
「……見つけた」
そんな事を考えながらあちこち見ていると、ちょうど脳髄の辺りに黒いもやのような呪いの残滓を見つける。それはまるで蜘蛛の糸のようにへばりついて、中心部に居座っていた。
……リィル達の体内に仕組まれている物と似ている。よく見ると違うが、表面はそっくりで、だからこそ気がつけたとも言える。
これをリィル達に埋め込まなかった理由は不明だが、騎士達が異様な信仰心をマリアに向けていた理由は分かった。というよりも今までの不可解な行動を取った人物達の背後に何が居るか分かった。
マリア、貴方本当に最悪。
「――これを解くのは無理ね。今の私では手出し出来ない領域。取り除けば死ぬわ」
「……何の話をしているんだ、リリシア」
怪訝そうなライレオット。
彼をどうやって助けようかとしばし思考を巡らすが、そう言えば他と違って彼には意識がある事に気がつく。
森にいた奴らなんかは、ほとんどが「マリア様のために!」って感じだったのに、彼はひとまず冷静だ。
マリアの術のかかり具合に差があるのも気になるが……しかしつまりは彼は正気に近いという事なのだろう。
であれば……彼を信じてみよう。
「ライレオット、頼みがあるわ」
「……僕は君を止めに来たんだ」
分かっているわ。
分かっているけれど、どちらにせよそれは貴方が正気であろうとなかろうと――もっと言うなら貴方が来てもこなくても答えは変わらない。
「――私はこの子達を助けたい。この子達を幸せにしたいの」
「……ッ」
「だから、私はこの子達と行くわ。この子達を幸せにしたいの」
私の偽らざる本心だった。
この願いは、もはや今更見ないふりは出来ない。
たとえ何を捨ててでも、欲しいと思ってしまったから。
「……君の母上や、シェリアはどうするつもりだ?」
ライレオットは何かを諦めたような顔で、それでも苦し紛れの声音でそんな事を聞いてくる。
私は頷き返した。
「お願いがあるの……どうか私の代わりに妹のシェリアを守ってやって」
「君の、妹じゃないか……」
「ええそう、私の妹よ。でもそれよりも私は、あの子達の母になると決めてしまったの」
「勝手だな……」
「……」
その通りだ。何も言い返せない。
だから私は、謝るしかない。
「頼めるのは、貴方しかいないの」
「……分かった」
ライレオットは何とも言えない顔で受け入れてくれた。
私は大きな罪悪感を覚えながら、ゆっくりと立ち上がる。
……後はこの森を抜けて、国境を越えるだけだ。
「――君が僕を愛していないのは分かっていた」
「……」
突然、ライレオットが空を見上げながら自嘲気味に笑った。
「君の愛はいつも子供達に向いていた。それでも良いと思っていたが……悔しいな。君の一番になれなかった事が」
「そこと張り合うのは無理よ」
私は微笑んだ。
「貴方を愛することが出来なくて、ごめんなさい」
「………………いや、良いんだ」
その一言にどれだけの想いが隠れているのか。
私は気がつかないふりをして、モモイの手を引きながらその場を後にした。
私からあの人にしてあげられる事は、何もない。
これ以上、あの人を苦しめたくなかった。
さようなら、私の夫だった人。
「――じゃあさ、そろそろ殺しても良い?」
まさに青天の霹靂だった。
私の目の前に、何ともパンキッシュな女の子が姿を現した。
歳の頃はリィルやクロスと同い年に見える。気怠げな表情を浮かべ、特徴的なのはアメジストのような菫色のショートカットをしていた。何処ぞの漫画のようにバチバチと目に見える稲光をオーラのように発している。
紫電。そう表現するのが自然のように思えた。
私は苦い顔をする。
それは、私の脳裏にずっとこびりついていた可能性。
リィル達以外に、『魔化兵士』はいるのかという単純な疑問。
その答えが、私の目の前にたった今姿を現していた。
「ま、聖女は殺せないんだけどサ……他の奴らは全員殺す。アタシのお仲間だろうが何だろうが、さっさとくたばってよね」
バチンと、凄まじい電気が弾ける音が森の中に響いた。
殺意が形となって、不定形な稲妻を浮き彫りにしていた。
歯を食いしばる。
ああ、私はこの子を。
この子を、見捨てなければならないのだろうか。




