三十三話
先遣隊が数人の子供を発見して、少し経った。
何でも火を放ったり風を操ったり、特異な力を持っているらしい。
恐らくそれが呪いの力だ。それとも魔術と呼ぶべきか。
その中のには、リリシアの護衛として長年付き添っていたケイルの姿と確認されている。
……彼女がそう易々と敵の手に落ちるとは考え難い。
はっきり言ってしまえば彼女の実力は王国騎士団の中でも最上位に位置する。僕より上だ。父だって場合によっては勝てないだろう。
こと近接戦闘において、彼女は無敵だ。尋常ならざる鍛錬と、死すらを当たり前としてすら認識している覚悟。並びに天賦の才を余す事なく使いこなす様は、はっきりと僕に及ばない地点にいると差を見せつけられた。
だからこそ僕は、リリシアの護衛は彼女こそが相応しいと思った。
それなのに、そのケイルですら、その『他人を操る力を持つ子供』に操られているというのだろうか。
……いや、それも仕方のない事か。
『言葉を交わしただけで洗脳される』と、誰が予見出来ようものか。
事前に知っているならまだしも、そうでないならとても回避出来るものではない。
責めることなど出来ない。もし責め苦を追うなら、やはりこの事を事前に知っていた――
「……ッ!?」
ピキリと、こめかみの辺りに強い痛みが生じる。途端に思考が霧散した。
何だったか。
そう、子供だ。
いや、子供達だ。
どうやら『兵器』は複数居るらしい。
子供という事だが、こちらは見つけ次第殺せとの命令だ。
……こんな事を知れば、リリシアは激昂するだろう。
だが仕方のない事だ。
『マリア様のために』。その子供達には悪いが、犠牲になってもらうしかない。
そして、リリシアを助ける。彼女を洗脳の魔の手から救い出すには、それしかない。
「――ライレオット様!」
「……どうした?」
注意深く森の様子を探っていると、先を行っていた隊の一人が慌てた様子で引き返してくる。
訳を聞こうとしたが、聞くまでもなく僕の視界に異変訪れる。
白く、見通すことの出来ないような濃霧が、森の奥からじんわりと流れ込んでくる。
「……霧?」
そうとしか言いようのないものが、視界の中に広がっていく。
先ほどの大魔術で雨を降らせた影響かとも思ったが、どうにも違う。
ここまで見通しの悪い霧は、王国内で見た事がない。この戦闘が始まった後すぐにという頃合いから考えても不自然だ。
……リリシアの策か?
霧はやがて、我々の隊をすっぽりと覆い、そのまま我が隊の左右や後方に位置する仲間達をも飲み込んでいく。非常に広範囲だ。
「――皆、僕の近くに! 位置を見失ったものは音を頼りに各自集まれ!! 何か来るぞ!!」
僕は一拍遅れて声を張り上げた。
これは目眩しだ。
それは分かる。
分からないのは、この濃さでは相手も同条件という事だ。
向こうの策でこうなっている以上、そこには何かしらの狙いがあって然るべきだ。
先手を取られている以上、せめて不利を大きく貰わないためにも防衛策に徹する。
「風魔術が使えるものはこの霧が晴らせないか試してくれ! 聞こえているなら返事をしろ!!」
僕の声はまるで霧に掻き消されているかのように霧散する。
妙な感じだ。寒気のする生ぬるい風が、頬を舐めるように這っていった。
声が届いていない……?
一体何が起きているんだ。
「くそっ、状況が分からない! 誰か返事をしてくれ!!」
一切視界からの情報が入って来ず、僕は何をされている訳でもないのに動けなくなっていた。
いや、もはや防衛策などと引け腰の態勢でいる事に限界が生じている。副官を見つけ出して隊を一つにしないといけない。
「スウェン! スウェンどこに居る!!?」
僕は霧の中、確かに近くにいたであろう副官の名を呼ぶ。
目と鼻の先にいた筈なのだ。それなのに何の反応もない。
……くそ。一度撤退するしかないか。僕は今、あんなにも近くにいた仲間達と断絶されて孤立しているようだ。
この霧から抜ける必要がある。
それか魔術隊を見つけられれば、この霧への対抗魔術も打てるかもしれない。
どちらにしても僕一人では無理だ。仲間を見つけて対策を打たないと。
幸い、方角は見失っていない。このまま行けば、僕らの隊より真後ろに位置していた隊に出くわす。
「はぁ、はぁ……」
僕は走った。
自分の呼吸すらおかしくなりそうな白い空間の中を、必死に走った。
後方に位置する隊は、そう離れてはいない。駆け足で行くなら五分と離れていない距離のはずだ。
それなのに、僕は騎士を一人も見つける事ができなかった。
おかしい。
これはただの霧ではないのか……?
「……ん?」
そう思った矢先、僕は硬い石ころのような物を踏んづけた。
石や木の根っこであれば、特に気にする必要もなかった。
しかし、何か不自然な形を踏んだような、そんな感触だった。
思わず見下ろすと、そこに顔を剥がれた騎士の身体が倒れていた。
「なっ――」
一瞬のうちに、様々な言葉や恐怖が頭をめぐり、僕は硬直した。
何が起きた。
何故僕達の後方に位置していた彼らが攻撃されている。
この霧のせいか?
……いや、仮にもし毒か何かが混じっていて彼のようになるのであれば、僕が無傷なのはおかしい。
「……この傷……一度喉を刺されている」
しかもよく見れば、この攻撃は人の手による物だ。
よほど騎士への恨みでもあるのか、首を刺して命を断ち、意識が途切れるその僅か前に少しでも苦しみを与えようと顔面を刃で削いでいる。
……ケイルの手口ではない。彼女はこんな事をしない。
まさか他にも剣士が居るのか?
それがこの霧の中に乗じて、僕達を殺し回っている?
馬鹿な。
もしそうだとしたら、何故そいつだけがこの霧の中で僕達の位置を把握して自由に動ける。
この状況下ではお互いに魔眼は役に立たない。
霧がそいつに僕達の位置を教えているとでも言うのか。それこそあり得ない。
何かカラクリがあるはずだ。
「――ッ!?」
突然、殺気が膨れ上がった。
僕は腰を捻りながら、何とか剣を前に突き出す。
金属同士がぶつかり合う、耳が痛くなるような高音が鳴りびいた。
「――流石に、貴方は訓練を欠かしていないようですね」
「――ケイルか!?」
白靄の中からその顔を晒したのは、第三聖女の剣こと、ケイルだった。その細剣からあり得ないほどの力が押しつけられてくる。
性差などないようなもの。信じられない膂力は、僕をすぐに圧倒し出した。
……だが、僕も負けていない。
リリシアを守るために。君に並び立つために。僕だって努力を重ねているんだ。
「――ぅ、ぉぉぉっ!」
僕は両手に力を込めて、彼女の剣を押し返す。
土に踏み込んだ足がめり込んでいく。
僕は押し倒すように、全体重を掛けて――そのままケイルを跳ね飛ばした。
「……」
「はぁっ、はぁっ……!」
一気に吹き出した汗が、額から垂れる。
そんなことは気にせず、僕は目の前の相手に全神経を集中させる。
僕に出来るだろうか。彼女を殺さずに無効化する事が。
いや、そもそも、勝てるかすら怪しいというのに。
……彼女が、この霧の中で騎士達を殺していた。
そうなのだろう。
どういう原理か知らないが、彼女はこの霧の中でも我々の位置を把握出来るのだ。
死角から彼女のような強者がいきなり襲いかかってきては、並の騎士では戦闘にすらならないだろう。
……僕の仲間達はどれくらい生き延びているのか、見当も付かない。嘆きたくなるような状況だ。
「――おい、置いていくなよ。お前モモイの術使えないんだから連絡出来なくなるだろうが」
更に状況は悪くなる。
彼女の後を追うように、黒髪の少年が姿を現す。
彼も子供達の一人か。一体『兵器』は何人いるんだ。
考えても仕方のない事ばかり頭に浮かぶ。
……今は忘れろ。そんな事はどうでもいい。
大切なのはこの二人から、リリシアの場所を聞き出す事。
そのためなら、僕がこの二人を殺す。
「下がっていろ、こいつは少しやるぞ。お前では歯が立たない」
「指図するな。王国騎士は俺が全員殺す。王国教会も、マリアも、リリシアも、全員全員殺してやる……!」
ケイルの静止も虚しく、少年は手のひらから黒光りする刃物を生み出すと、僕に斬りかかってきた。
何だこの術は。見た事がない!
「うらぁぁっ!」
「くっ、ぁ……!?」
刃渡りは並の直剣を容易く超え、長大な片刃が振り下ろされる。
何とか剣で受け止めるが、あまりの重さに身体が悲鳴をあげた。
あの少年は軽々と振り回しているが、何ともないのか!?
まるで彼だけがこの重さを無視しているように扱っている。
「……だが、この程度では僕はやられないぞ!」
「うっ……!?」
僕は少年の叩きつけるような斬撃を右に逸らすと、駆け出してその顔面に剣の腹を叩き込んだ。
ごつん、と手に嫌な感触が伝わる。子供にこんな事をするなんて、後でリリシアに懺悔しないと。
「だから言ったろうに……ほら、下がっていろ」
「ぐ、む……う、うる、ひゃい……!」
鼻を抑えてゴロゴロとうずくまる少年。
ケイルは母親のようにそんな子供を見下ろしながら、僕に剣を構えた。
やはり彼女との戦闘は避けられそうにない。
「……お前までリリシア様に剣を向けるのだな」
「分かっていないようだから言っておくよ。君達はその子達に洗脳されているんだ。リリシアもそうだ。もし少しでも僕の言葉が届いているなら、剣を納めてほしい」
「洗脳? 何を言っているんだお前は」
心底呆れたと言った様子で、ケイルが鼻で笑った。
そうだろうとも。まさか自分がそんな状態だと、他人から言われたところで誰が信じるものか。
彼女の気持ちが少しわかる。
『洗脳されていると自覚出来てしまえば、それは洗脳ではない』だろう。彼女からしてみれば、僕こそ異常者に見えるはずだ。
仕方ない、腹を括ろう。
僕はケイルよりもリリシアが大事だ。二人の仲が良いことも知っているし、付き合いが長いことも知っている。おまけに彼女の実力であればリリシアを守り切るのも容易だろう。
しかし、やるしかない。
ここで彼女を倒して、名実共に僕こそが第三聖女の剣になって変わるしかないのだ。
いずれはそのつもりだった。
その時期が早まり、そして別れを伴うだけだ。
騎士である以上、お互いにその覚悟はあるはずだ。
「――行くよ、ケイル!」
「ちょうどいい。私もお前には前々から腹が立っていたんだ。リリシア様の気も知らず、訳知り顔でいるお前がな」
「聞き捨てならないね……僕が、彼女の気持ちを知らない、だってッ……!?」
口車に乗せられるがままに、大上段に構えた剣を振り下ろす。
「現に今、リリシア様のために剣を振るっているのは私の方だ」
僕の袈裟斬りを半身になって避けると、彼女は首元目掛けて刺突を放ってくる。
喉元が引き攣る。
恐怖心という鎖を引きちぎるように、身体を無理やり動かして、すんでの所で躱わす。
ざくりと、頬に冷たくて熱い感触が走った。
次はこちらの番だ!
「……っ、ふんッ!」
返す刀で、真一文字に彼女の身体を真っ二つにしようと薙いでみせる。
避けようのない態勢のケイル。
――獲った!
「……素直すぎる。だからお前にはリリシア様を任せられんのだ」
「何ッ!?」
直後、ケイルの姿が掻き消えた。
下か、と視線を下に向けようとした所、ふわりと舞うようにして飛んだ彼女の蹴り足が顔面に迫ってきている事に気がつく。
そうか、彼女が重装を嫌い、騎士団でも殆ど居ない軽装を好む理由はこれか――
「ぶッ……っ、ぐぁぁっ……!?」
がちんと、鼻っ柱を蹴り飛ばされて僕は仰向けに倒れ込んだ。
脳が揺れる衝撃。突き抜ける痛みは抗い難く。
即座に起きなければならないと分かっているのに、ぐらぐらと視界が回るばかりで、手足に力が入らなかった。
「何の面白みもない。貴様は口だけの男だ。守るだのなんだのと宣い、現実は私一人にすら遠く及ばない」
そんな情けない僕を見下ろす女騎士。切先は僕の喉元にピタリと狙いが定まっていた。
「……やはり、君は強いな」
「私は強くなどない。私などリリシア様に比べれば、微々たるものだ」
「リリシアが強い……か……」
確かに強い女性とは思う。
名も知らぬ子供達をも救おうと国すら変えようとする傑物だ。
……僕自身は、彼女はそれほど強くない人だと思っている。
だって初めて彼女と面と向かって話した時、彼女は儚げに泣いていたからね。
その印象をいつまでも引きずってしまっている。
しかし今、王国最強と見ても異論は上がらないだろう女騎士がそう思うのであれば。
……僕はリリシアという女性を、何も知らないのだろうな。
悔しい。悲しい。
自分の弱さが、どうしようもないくらいに恨めしい。
リリシアを傷つける全てから守り抜く力が欲しい。
彼女の望み全てを叶える、絶対的な力が欲しい。
そのためなら、僕は何も厭わないのに。
「だが安心しろ、お前の生死に問わず私は永遠にリリシア様を守り続ける。我が剣に誓おう」
「……ああ、それだけは微塵も疑っていないよ」
何の感情もなく僕を見下ろす女騎士を見上げながら、僕は頷いた。
例えリリシアが誤っていても、それを是としてしまう力がケイルにはある。
願わくば、二人の行先が光の下であるように。
死ぬ前に望む事は、それだった。
「――待ちなさい、ケイル。その人は殺さないで」




