三十二話
第三聖女であるリリシアが王国教会に弓を引いた。
そんな情報が流れたと共に、瞬く間に僕達に戦闘準備の命令が下った。
命令は主にマリア様が独自に編成した、『聖女護衛』の任務を与えられていた騎士達に下されたようだった。
聖女一人相手に戦闘準備なんて必要なのか。
その理由はリリシアが王国が開発していた『兵器』を持ち出し、そのまま国外逃亡しようとしているからだそうだ。
馬鹿馬鹿しい。
……あまりに荒唐無稽な話で笑いすら起きない。そもそも彼女は一ヶ月近く遠くの教会にまで視察に向かっていて、昨日帰ってきたばかりだ。計画して諸々実行したとはとても思えない。
彼女がそんな事をするわけが無い。これが僕の答えだ。
僕が妻に迎えたいと決めた人は決して子供を見捨てられない人だ。彼女自身の働きのおかげで救われた子供達も多いだろうが、依然として国内には貧困にあえぐ子供は後を絶たない。
そんな国を投げ出して、一人だけ逃げようなどと。
彼女の気高さは、そんな行動を許しはしないだろう。
此度の騒動、何かの誤りであるとはっきりわかる。
……しかし気になるのは『兵器』という言葉の方だった。
聖女殺しに始まり、この国が何やら呪いに関して研究をしているのは知っている。そもそも聖女という存在自体が呪いであり、この国を周辺諸外国以上に安定させているのは呪いへの知見の深さ故とも言える。
僕自身、聖女の仕組みには素直に頷けない心持ちだが、『聖女達は皆それを承知の上でその身を国に捧げる』という覚悟である事も聞き及んでいる。
だから、呪いの研究については承知している。いずれこの世から呪いを消すためというお題目である以上、僕の口からとやかく言うつもりはない。
……しかし、だ。
もしこれが子供に関係のあるものだった場合、リリシアが実際に行動を起こしているという可能性は十二分に考えられた。
国王を差し置いて、今や最高権力を手にしたマリア様。そんな第一聖女と、リリシアは袂を分ってしまった。
考えたくはないが、現状へと繋がってもおかしくない線だ。
僕は即座にマリア様に面会を求めた。
リリシアたった一人に武装した騎士団を向かわせるなど、絶対に間違っている。辞めさせなくてはならない。
国を動かす人に隊を任されているとはいえ一騎士でしかない自分が会えるはずもないと心のどこかで思っていたが、何故かすんなりとマリア様の前まで通してもらえた。
驚きこそあれど、しかし僕の目的はそこがではない。マリア様の説得だ。
「待っていましたよ、ライレオット様」
「――お時間を作っていただき感謝します。前置きは無しで本題に入らせていただきます、どうかリリシアへの攻撃命令を取り下げてもらえませんか」
僕は第一聖女様に会うなり頭を下げた。
それしか僕が出来ることはなかった。
リリシアを守りたい、その一心だった。
「あらあら。そう易々と殿方が頭を下げるものではないですよ」
マリア様は呆気に取られた様子だ。
それもそうだろう。いきなりこんな事をされれば誰だって面を喰らう。
だが、時間がないのだ。命令が下ってから時間が経てば経つほど、軍というものは止まらなくなってしまう。いや、もうすでに動き出している以上完全に止めることは難しいかもしれない。
それでも、止められるのは彼女しかいない。僕はマリア様に縋るしかなかった。
「マリア様、きっと何かの誤解なんです。貴方も知っているはずです、リリシアがそんな、王国を裏切るなどあり得ないと」
「――ええ、リリシアの事は信じていますとも。落ち着いてください、その件で私からもライレオット様にお願いがあるのです」
「……お願い?」
僕はひとまず、マリア様がリリシアの事を敵対視していない事にほっと胸を撫で下ろし、彼女の対面に腰掛けた。
マリア様は頷くと、護衛についていた周囲の騎士達を目で下がらせる。
あまり広まっては困る話らしい。
そうだろうなと思いつつ、話の続きを聞く。
「貴方にはリリシアの救出に向かっていただきたいのです」
「……どういう事でしょうか?」
話の流れが見えない。
騎士団に下った命令は、確かにリリシアを攻撃するという内容だったはずだ。攻撃するとは言うが、もっと単純に生死を問わず行動不能にしろとの事だった。
しかしマリア様本人からは、僕に対してリリシアを助け出して欲しいと仰っている。
……後者が僕の役割なのは理解出来るが、しかし何故騎士団に命令を与えながらも僕にそんな役回りをさせるのかが分からない。
僕の表情からマリア様も情報が足りないと判断されたのか、小さく息を吐いた。
「『兵器』、について詳細を聞いていますか?」
「いいえ」
それは是非とも知りたい情報だった。
それが何かによって、リリシアが何をしているのかわかる。
本当に言葉通り兵器なのであれば、リリシアがそんなものを欲する事はあり得ない。これは陰謀か何かという線が濃厚になる。
彼女は決して、兵器なんて求めていないのだ。
「……『兵器』とはズバリ、呪いを魔力に変換し、魔法陣無しで魔術を行使できる兵士の事です」
「――」
僕は言葉を失った。
なんだそれは。
呪いを魔力に変換して、そしてそれをそのまま魔術として扱える存在?
既存の魔術そのものを置いてけぼりにするような兵士だ。
呪いを魔力に変換するという時点で、十分特異でもあるし、魔力が作り出せない環境下でも魔術師として動ける強みがある。これだけでも凄まじい。
だが、何よりも、魔法陣なしで魔術をあっ帰るという点。これは一線を画す能力だ。
魔術というのは術者が一人であろうとも、発動まで漕ぎつければ何十人と相手取れるような強力なものだ。
その絶大な効果の裏には魔法陣を用意するのに大きな隙が生まれ、また大気から魔力を取り込んでそれを己のものとするのに時間を費やすため、その二点から発動に時間が掛かるという大きな問題点もある。
故に、戦などでは回線と共に大きな魔術を両軍ぶつけ合った後は、乱戦にも連れ込むような形となる程度にしか戦闘では活かされない。冒険者などが魔物相手に使うものはそれよりは規模が小さくなるが、それでも発動までには大きな時間を要する。
それが無しで魔術を扱えるとなれば。
戦闘という概念そのものが変わってくるやもしれない。
……いや、今はそんな事はどうでもいい。問題はその兵器とリリシアの関係性だ。
「……話を聞く限り、リリシアが興味を持つものとは思えませんが」
「――それが例え子供であっても?」
「……」
僕は言葉を無くした。
やはりか、と心のどこかで納得してしまう自分がいた。
そうか。
それならば。
むしろリリシアが今何をしているのか容易に想像がついた。
つまり彼女は、子供を守っているのだ。
彼女の持つ、強い信念のもとに。
……それでは説得なども難しいな。
僕が懸念した通り、このままでは国と彼女の間に大きな亀裂が入る。或いはもう既に入っているのかもしれない。その場合彼女が子供を守るためにどんな事をするのかまるで想像がつかない。
彼女は子供のためならなんだってする。そういう女性なのだ。
「――マリア様、残念ですが僕もリリシアの方につきます」
話は分かった。
つまり彼女は己の正義のために、今事を成しているのだ。
であればそんな彼女を支えられるのは僕しかいない。
一刻も早くそばに駆けつけてやらねばならない。
そして彼女と共に、その子を救うのだ。
「――待ってちょうだい、話を最後まで聞いて」
マリア様は僕の思考を読んだかのように先んじて言葉を発する。
そして、僕の手を掴んだ。
暖かい体温が僕に流れ込んでくる。
不思議だ。
何故だがぽーっと体温が上がるような感覚。
これも人柄のなせる技だろうか。
『何故だか不思議と、彼女の言うことに間違いはないのだろう』という気持ちになってくる。
そして、『マリア様が間違っていない以上、リリシア側に何か非があるのでは』と、そう思うようになっていた。
そして次のマリア様の言葉で、僕はまた目の前の聖女様に意識を向けるようになった。
「――もし、リリシアがその子供達によって操られていると言ったらどうするかしら?」
「……どういう意味ですか?」
立ち上がりかけた腰を戻す。
機先を制されたようで少々不愉快だが、僕としてももう一つ気になることがあった。
それはマリア様とリリシアの仲が良い事だ。
マリア様はリリシアの事を幼い頃から大変気にかけていると聞く。実際リリシア自身からも良くしてもらったと聞いているのでそこに誤りはないのだろう。
第一聖女としての業務が多忙となってもなお二人はお茶会などで時間を作っていると広まっている。
そんな二人がこうしてあっさりと敵対してしまうのかと、少し疑問に思ったのだ。
マリア様もリリシアも決して鈍い人ではない。お互いがお互いを完全に敵として認めない限り、このような事態に陥るはずがない。
つまりそこには何かしらの理由があるはずなのだ。
その理由が、子供達にあるとマリア様は口にした。
「あの子達は呪いを扱うわ。そしてその力で『自らの言葉のままに人を操る事が出来る』のよ」
「……そんな馬鹿な」
思わずマリア様の言葉を否定する。
馬鹿げているとしか言いようがない。
そんな力あるはずがない。
……王国は、そんな物を研究していたのか?
「――今考えるべきは、リリシアよ。あの子は今、いいように操られてしまっているわ。事が終われば詳細はしっかり詰めるとして、まずはあの子を助けないと」
「……はい、そうですね」
彼女の言う通りだ。まずは僕の最愛の妻を助け出さないと。
ようやく彼女の当初の言葉に合点がいく。救出とはつまり、その子供の支配から救い出すと言う事だ。
出来るかどうかではない、やらなければならない。
待っていてくれリリシア。今僕が救いに行く。
「では失礼します、マリア様」
「――ふふふ、頼みましたよ。リリシアの『愛する夫』よ」
ニタリと。
マリア様は満足気に頷く。




