8話 ひまわりから流れた雫は輝いて見えた
「卒業後ってどうするの?」
彼女の言葉に俺は自分の視線を、開けようとしていたアイスの袋から隣の彼女へと移した。
隣に座る彼女は口にアイスキャンディーを咥えながらクリっとした目で俺をジッと見つめてくる。
見つめられていることにドキッとしてしまい、慌てて視線を手元のアイスの袋に戻した。
付き合いだして大分経ったが未だに慣れない。もっと余裕を持てないものなのかと思うが、俺には無理だ。
しっかり身構えておかないと心がもたないのだ
まったく油断ならない。
これを難なく受け入れられる周りの連中がおかしいのではないかと割と本気で思う。
取り敢えず落ち着け、俺。
俺たちは学校近くのコンビニ、その外に備え付けられたベンチに二人並んで座っている。
夕方になり日は傾き、日射しは弱まったとはいえ気温はたいして下がることなく、加えて熱帯地域を思わせるかのような湿度によって蒸し暑いことこの上ない。
全身から汗がしたたり落ち、ワイシャツが肌に張り付いてくるため気持ちが悪くて仕方がない。
早く帰ってシャワーを浴び、きれいな服に着替えたいところだ。
暑さに参ってしまっているのは彼女も同様らしく「あっつい……あっつーーい!」とぼやいている。普段元気いっぱいの彼女ではあるが、やはりこの暑さには相当参ってしまっているようだ。
恐るべし……日本の夏。
そうしてぼやいているところに見慣れたコンビニを見つけたものだから彼女は目を輝かせた。
「アイス食べようよ!アイス!」
そう言って俺の腕を掴みグイグイと引っ張る。
こういう咄嗟のボディタッチにも未だ慣れない。
彼女からしてみれば何てことないことなのだろうと思うが、俺はドギマギしてしまう。
そんな俺の心中などお構いなしに彼女は俺をコンビニの中へと引っ張っていく。
抵抗するすべもなく引っ張られていく俺ではあるが、彼女の提案に不満はない。
冷房完備の店内に一時避難できるわけだし、冷たいアイスも魅力的だ。
そして何より彼女ともう少し一緒にいたかった。
戸惑うことは多々あるが、それでも彼女と過ごす時間は俺にとっては大切なものなのだ。もう少し話していたかった。
俺の口からは絶対に言えないが。
放課後、部活動を終えると、俺たちは大抵一緒に帰路につく。
帰る方向がほぼ一緒ということもあるが、まぁ……恋人同士なのだから、一緒に帰ることぐらいごくごく自然なことだろう。
実際、特別示し合わせたわけでもないのにこうして一緒に帰るようになった。そしてそれが当たり前になりつつある。
付き合いだして数か月。未だ慣れないことだらけではあるが、それでも俺たちの関係は大分良好だ。
そうしてコンビニのベンチで二人でアイスを食べようとしていたところに先程の質問だ。
再びアイスの袋を開けようとしながら横目で彼女を見て、内心の焦りを悟られないように平静を装って口を開く。
「卒業後って……進路のこと?」
「そうそう」
彼女は咥えていたアイスキャンディーをチュポっと舐めとりながら頷く。
その仕草やぬめり光るアイスキャンディーに妙な色っぽさを感じ、再び慌てて視線を逸らす。
だから落ち着け、俺!
俺はバリっとアイスの袋を開けると、自分の頭を冷やそうと思いながらアイスを咥えた。
「大学、専門学校、就職……選択肢はいろいろあるじゃない?ヒロキ君はどうするのかなーってさ」
「んー……」
彼女の言葉に返事を返し考える素振りを見せながらも、俺は内心困り果てていた。
さぁて……どうしたものか……。
俺には将来の夢だとか、展望だとか言うものが何一つない。何一つだ。
自分の将来を、進路を語る上での動機、指針となるものがないのだ。
そんな様で進路なんて決められるわけがない。
だから俺は困り果てるのだ。
この質問をされるたびに。
俺自身が分からないのだから。
「分からない……かな」
分からないのだから分からないと答えるしかない。
適当なことを言ってやり過ごすようなことはしたくない。
「君は?卒業後どうするの?」
俺は彼女に同じことを訊ねた。自分がまともに答えていないため、少し逃げるようでズルくも感じたが、適当なことを言うよりはずっと誠実だと思った。
「私?私はねぇー……」
彼女はアイスキャンディーを一口小さくかじると咀嚼しながら考え始めた。
彼女の口元からシャリシャリという涼しそうな音が漏れ聞こえてくる。
そして少しの思案の後彼女はこちらに振り向くと
「私も分かんないや……」
そう言ってアハハと笑った。
彼女の答えに俺は内心ホッとした。
自分がどうしたいか、どう進んで行ったらいいか、それが分からないのは自分だけではない。自分と同じ人がいる。それだけのことで安心できた。
それと同時に少し意外にも思った。
「君の事だからやりたいことだらけかと思ったよ」
それこそ両手の指で収まらないほどに、より取り見取りかと思っていた。
「えーどうしてそう思ったの?」
「だってさ、色んなことに興味ありそうじゃない?実際趣味多いし、いろんなことに首突っ込むし」
「普通じゃない?」
「普通じゃない」
たとえ君にとっては普通であってもそれは万人には当てはまらない。少なくとも俺には当てはまらない。全く異なる種族だと言っていい。
彼女は未だ納得いかないようで、「ん~~……?」と首を傾げているが、今大事なのはそこではない。
「それだけいろんなことに興味があるんだからさ、そこから進路を考えられるんじゃないかと思ったんだよ。それこそ無数の進路がさ。だから、何て言うか、少し意外に思った」
俺が思ったことを正直に話すと彼女は「あーーなるほど」と言った風に納得したようだった。
そして「うーーん……」と少し考えると「たとえばさ……」と話し始めた。
「ヒロキ君に何か好きなことがあったとしてさ、それを必ずしも将来やりたいこととして結びつけるかな?」
「あ……」
そう言われて気づく。
ああ……その通りだと。
他でもない俺自身がまさにそうだったと。
小学生時分、好きな事柄は多々あったがそのどれもが将来に結びつけようとまでは思わなかった。あくまで趣味は趣味。将来職業としたいこととは別物だ。
今現在多少夢中になっているバスケットボールもあくまで学生のうちの楽しみとしているだけで、その道に進もうとはまったく思っていない。むしろその手の話を忘れるためにやっているようなところもあるぐらいだ。どうしたって将来になんて結びつかない。
俺が彼女の言葉に納得したことを悟ると彼女は少し微笑んだ。
「ね?いくら多趣味でも、好奇心旺盛だったとしても将来のことを簡単に決められるかと言えばそんなことないんだよ。唯一の趣味を自分の仕事にする人だっているし。何にもない人が偶然天職と言える道に進むことだってあるしね」
彼女はアイスキャンディーをシャリシャリと噛っていく。
「結局何かきっかけがあるかどうかじゃないかな。今現在それほど興味のないことでも何かのきっかけで『これやってみたい!』って思うことになるんじゃないかと思うんだよね」
そこで彼女は冗談めかしたようにワザとらしい溜息をついた。
「けれど、私にはそういうものが何もない。好きなことはいっぱいあるけどそれを仕事にしたいかというとそうでもないんだよね。そう思わせるだけのきっかけは今のところ私には…………ないかな」
彼女はそう言うとアイスキャンディーを食べきり、棒の先をクルクルと回すと「ざーーんねん」と言って笑った。
どうやらハズレだったようだ。
そんな彼女の笑顔を見ながら俺はある種の感動に浸っていた。
自分と同じような考えを持った、自分と同じような人がいること、そしてそんな人が自分の恋人であることが嬉しかったのだ。
まるで俺自身が彼女に肯定してもれえたような気がして嬉しかった。
そんな彼女だからだろうか?
俺の胸の内を、将来への不安を、打ち明けてみてもいいかもしれないと思えたのは。
これまで誰にも、実の親にさえ話したことのなかった俺自身のことを訊いてもらいたいと思えたのは。
彼女なら、同じ思いを持った彼女であれば俺の話を聞いてくれるのではないかとそう思った。
だから
「あのさ……」
俺は隣の彼女に振り向いた。
「ん?」
彼女はその大きな瞳で俺の目を見た。
一瞬、ほんの一瞬過去の嫌な記憶が脳裏を過る。けれどそれを無理やり振り払うと俺は彼女の瞳を見つめ返しながら口を開いた。
「俺の話を……聞いてもらいたいんだ」
言ってしまってから少し身体に震えが走った。
こんな風に改めて申し出たことなんて覚えている限りでは初めてのことなのだ。彼女がどういった反応を示すか分からない。
手酷く拒絶するだろうか?それとも改まってこんなことを言い出したことを笑い飛ばしてくるだろうか?そんな悪い想像が駆け巡り、今更ながらにこんなことを言ってしまったことを後悔した。
けれどもう遅い。
もう言ってしまったことは取り消せない。
だから俺は不安に押しつぶされそうになりながらも彼女の返事を待った。
すると、彼女は目を丸くし、少しキョトンとした表情を見せたが次の瞬間やわらかく微笑んだ。
過去に意識して見たことがないため分からないが、花が咲いた様な……とはこのようなことを言うのではないだろうか?
そう、たとえるならばその様はまるで、ひまわり。
夏の日射しをいっぱいに浴びて元気に、大きく光り輝くひまわり。
「うん!いいよ!」
その言葉に、眩しいほどの笑顔に強張っていた自分の体がゆっくりと弛緩していくのが分かった。ホッとし、心も軽くなっていく。
彼女に対し俺も笑みを浮かべた。
ぎこちなくはあるが、それでもいつもよりも幾分自然に笑うことができたような気がする。それほどに安心したのだ。
彼女に受け入れてもらえたことに。
そんな有り様だったからだろう、俺は彼女がゆっくりと近づいて来ていることにまったく気づけずにいた。
完全に油断していたのだ。
「…………けど、その前にっ……!」
そう言うと彼女は突然俺の方へと身を乗り出し、あろうことか俺が持っているアイスに噛り付いた。
その突然の行動に身体がビクンと痛いくらいに大きく跳ね、その拍子につい先ほどまでの安心などどこかへ吹き飛んでしまった。
手に持ったアイスには俺のものとは違う噛りあとがくっきりと残っている。
「……あ……え、は?」
身動き一つとれず、なすがままになっている俺をよそに彼女は顔を上げると口に含んだアイスをシャクシャクと咀嚼する。口の端から溶けたアイスが水滴となって一筋顎へと伝った。
「ふふっ、こっちも美味しー」
そして彼女は嬉しそうに笑った。
本当に、慣れないことだらけだ。
ご覧いただきありがとうございました。
これを読んで何かを感じていただけたら嬉しい限りです。
次回の更新は9/30(土)の予定です。
またお会い出来ることを心より願っております。




