7話 伸びた麺は元には戻らない
お湯が沸いたことを告げるアラームが鳴り響いた。
俺はカップラーメンの蓋を半分まではがすとポットのお湯を容器の中へと注いでいく。
湯気を立ち昇らせながら注がれるお湯が容器を満たしていく。
途中麺だか具材だかに当たったお湯が飛沫を上げ、容器を持つ手にかかり、思わず「あつっ……!」と声を上げる。
けれど手を放すわけにもいかず、顔をしかめるにとどめた。
お湯を注ぎ終えた容器を置き蓋をする。
スマホでアラームをセットし、あとは三分待つだけだ。
ただ今の時刻は午前0時を少し過ぎた頃。
場所は店のバックルーム。
休憩がてら夜食を食べようとしているところだ。
今の時間、俺が休憩している間、店は後輩に任せている。
この時間帯は日中ほどの客数もないため一人でも十分に回せるのだ。
バックルームに備え付けられたモニターには店内の様子が映し出されている。
店内に設置されたカメラによる映像で、複数のアングルから映し出されており、それはまったく死角がないとまではいかないが、店内のほほすべてを映している。
その中の一つに後輩男子の姿を見つけた。
緩慢な動作で商品を棚に陳列している。
かと思ったらポケットの中からスマホを取り出し操作をし始めた。先程注意したにもかかわらずロッカーに仕舞っていなかったようだ。
後で厳重注意が必要である。
カップラーメンが出来上がるのを待っている間、手近なところに積んであった求人雑誌を取りパラパラと捲った。
高時給や正社員募集の項目を見てみたが、特に心惹かれるものは見当たらなかった。資格を必要とするものに関してはそもそも話にならない。
今更資格を取ろうとは思わないし、わざわざそうまでしてやりたい仕事でもない。
その後も適当に眺めて雑誌を机に放った。
今のこの仕事は大学生の頃から始めたものだ。
特別興味があったわけではなく、単に金が必要だったのと、家から近かったというのがこの仕事を選んだ理由だ。
大学卒業のタイミングで辞めるつもりだったのだが、結局就職出来なかったため、今もこうしてお世話になっている。
生活はしていかなければならないし、さすがに無職ははばかられた。
ただ、思い入れがないのは相変わらずであるため、ここより条件が良いところがあるのであればそちらに移った方が良いと思っている。
もっとも、今のところその予定はないのだが。
求人雑誌や求人サイトを覗いているが、結果は芳しくない。
まだしばらくはこのままだろう。
幸いギリギリではあるものの生活は出来ているし、職場環境、とりわけ人間関係に不満はない。
社会人だろうと学生だろうと一番無視できないものはやはり人間関係ではないかと思う。
形成された人間関係の中にいかに馴染めるか、上手くやっていけるか、それによってその環境においてのその後の生活の良し悪しが決まってくる。
その点において俺はある程度上手くやれている………はずだ。
少なくとも煩わしい思いはしていない。
気楽と言えば気楽だ。
そう考えると現状はそれほど悪くないように感じる。
このままここで、という思いも多少浮かんでこないこともない。
けれどその一方でこのままで本当にいいのか?という懸念も常にまとわりついていた。
本当にこのままでいいのだろうか?
ピピピピピピピピピピピピピピピ……
そこでまるでこちらの思考を断ち切るかの如くアラームが鳴り響いた。
俺は考えるのをやめアラームを止めると、ラーメンの蓋に手をかける。
本当にこのままでいいのだろうか?
なおも頭の中に残っているその答えの出ない思いは、ラーメンの蓋と一緒に俺の中から引き剥がされすぐに消えてしまった。
物事には一番良い瞬間というものがあると俺は思っている。
旬、全盛期、最盛期、最高潮、言い方はいくらでもあるし何でもいい。
楽しい、嬉しい、美味しい、調子が良い、幸せ。
前向きな正の感情によるものには当然その最高の瞬間というものがあり、その期間は限られている。
例えば今俺が食べようとしているこのラーメン。
店で出されるもの、インスタント、カップのもの、その在り方は様々だが、それらを一番美味しく味わうことの出来る瞬間はやはり出来立てだろう。
そこを最高とし、それから時間が経つにつれその質は徐々に失われていく。
放置していたラーメンはやがて麺がデロデロに伸びきった冷めたものになってしまうだろう。
麺の固さの好み等に個人差は当然あるだろうが、基本ラーメンを美味しく食べたければ出来立てアツアツの瞬間を逃してはならない。
または芸能人。
俳優や歌手、芸人、先程店内で聴いたアイドルもそうだろう。
彼ら彼女らにもその人気のピークというものがある。
ピークを過ぎればその人気は徐々に落ちていくことになる。
勿論長いこと人気を保つ人はいるし、その仕事への取り組み方、実力、人間性等は磨かれ、より洗練されていくのだろうが、それは必ずしも人気とは比例しない。
どうしたって皆いずれ衰退していく。
飽きられたか、興味が他に移ったかで話題の上ることも減っていき、テレビ等で見ることも段々となくなっていく。そして気づいた時には消えている。
まるで初めからいなかったかのように。
現にあの人気のあったアイドルも今ではすっかり見なくなった。
スポーツ選手、恋人の仲、夫婦の仲、俺が雇用されているこの会社の業績、全てのものにはその最高の瞬間というものがある。
全ての物事においてそれは等しく、そして変えられない。
人々はそれが長く続けばいいと思う。失いたくないと思う。
そのために行動する。それを求めて努力する、守ろうと足掻く。
一人ひとり訊いて回ったわけではないから正確なことなど分からないが、多くの人間はそうなのではないかと俺は思っている。
店内を映すモニターを見ると映像のひとつにレジでお客様対応する後輩男子の姿が映し出されている。
彼は自分の彼女を失いたくないと、ずっと一緒にいたいと言った。彼なりに悩み俺に相談してきた。
彼は足掻くのだろう。
失わないよう、少しでも一緒にいられるように、幸福でいられるように足掻いていくのだろう。
それは恐らく尊いことなのだろう。
大きな流れに抗い、もがき、自分にとって大切なものに手を伸ばし、決して離さないようにしようとすることはとても素晴らしいことなのだろう。
けれど、それでもいずれそのピークは過ぎるのだ。
そしていずれ終わりがくる。
たとえずっと一緒にいられたとしてもお互いに最高に想い合っていた時のままずっといられるなんてことはあり得ない。
ピークが過ぎ、その時が来たら果たしてどう感じるのか。
どれだけの痛み、苦しみを感じるのか。
もしくは何も感じないのか。
そんな思いをしてまで、不安を抱えてまで、手を伸ばす必要はあるのだろうか?
そう考えてしまう俺はどうしても彼のようにはなれない。抗うことなんて出来ない。
ふと気づくと容器の中の麺は汁を吸って大分伸びてしまっていた。
考えに耽っていて箸が止まっていることにも気がつかなかった。
箸で伸びた麺をまとめて持ち上げる。
「ま……俺みたいのにはお似合いかな」
そうひとり呟くと、俺はその伸びた麺を勢いよく啜り上げた。
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有意義な時間を過ごしていただけていたら幸いです。
次回の更新は9/24(日)の予定です。
またお付き合いいただけることを願っております。




