11話 光の道標
日直の号令がかかり帰りのLHRが終わると教室内は途端に騒がしくなった。
クラスメート同士の会話、机と椅子を引く音、教室の扉を開く音。
雑多な音がその空間に溢れかえる。
そんな騒がしさに包まれながらも俺の心は真夜中の湖畔のように静まり返っていた。
俺の目の前見下ろす机の上には一枚のプリント。
「進路希望調査」
そう題されたそれには第一希望から第三希望まで書く欄が設けてあって、各々自分の希望の進路を書き込むようになっている。
とは言うものの地方とはいえ進学校であることもあり大抵の生徒は志望大学を書き込むのだろうが。次点で専門学校だろうか。就職を希望する者は少ないのではないかと思う。
そんな中俺はと言うと―――
「ヒーロキくん!」
そこで不意に俺の両肩に手が置かれた。
いや違う、手ではない。腕だ。
俺の後ろから前にかけて腕がそして手が伸びている。ふわっと微かに香る香水。そして俺の顔のすぐ横には―――
「帰ろー!ヒロキくん」
間近視界一杯に俺の彼女の顔がこちらを向いていた。
近っか!
これではまるで後ろから抱き着かれているかのようではないか。
「近い。近いから」そう言って俺は身体を仰け反らせて彼女から距離をとる。
が、彼女は両腕を俺の首に巻き付けるとその身体を余計に密着させてきた。背中に確かな二つの膨らみの感じ、心臓が大きく跳ねる。
お互いブレザーを着込んでいるとはいえ、男性の身体にはないその感触は彼女が確かに「女性」なのだということを明確に主張してくる。
そしてそういったものに対する欲は当然俺にも……ある!
ドキドキしない方が可笑しいというものだ。
だから俺は彼女に抱き着かれたまま固まってしまった。
心臓を早く高鳴らせたまま身動き一つとれない。
「ち、近すぎだ……か、ら」
そう一言いうのが精一杯だ。
相変わらず彼女のスキンシップは俺には刺激が強い。
「えーー?普通じゃない?」
「普通じゃない」
むしろ日々強くなっている気すらする。腕を掴まれる程度だったのがかわいく感じてしまうほどに。
周りを見れば教室に残っていたクラスメイト達が遠巻きに俺たちのことを眺めては何やらコソコソと話している。中にはキャーキャー大声ではしゃぎ、色めき立っている奴もいる。
付き合い出した当初は俺たちの関係を認められない男子からの嫉妬の目と呪詛を投げかけられることが多かったが、時の流れと共にそれも大分落ち着いてくれた。
俺たちの関係を認めてくれたのか、単純に興味の対象が他に移ったのか、もしくは飽きたのか、理由は多々あるだろうがいずれにせよ頭を冷やしてくれて良かったと思っている。未だ不満に思っている者もいるようではあるが、あまり目立つものではないため以前ほどは気にならない。
ただ、それで俺たちに対する注目がなくなったかといえば決してそうではない。
その主な原因は……彼女だ。
彼女の人目を気にしないスキンシップは日々の学校生活の中においては大いに目立つ。目立ちすぎるのだ。今のこの状況を見てもらえばお分かりいただけるだろう。
俺たち以外にもカップルは当然おり、二人で行動を共にしていることなど珍しくはないのだが、それでも彼女ほど人目をはばからないということはない。陰ではイチャイチャしているのかもしれないが人の目のある所では控えめなものだ。
そんなだから俺たちは目立ってしまう。
加えて彼女は容姿も良いのだ。そんな彼女が大きな声を上げながら無駄に長身の俺にまとわりついていれば嫌でも目立つというものだ。
そんな俺たちを見る周りの連中の顔に浮かぶ感情は様々だ。
愉悦や呆れ、憧れ、やはり残る嫉妬や嫌悪、あとは無関心か。
色も温度も人それぞれだ。
言うまでもないことだが俺にはそんなものを楽しむ余裕なんてない。
以前とはまた違った居心地の悪さが半端ではない。正直無関心を貫いてくれている連中が俺にとっては一番有り難く、どんな偉人よりも偉人に感じる。
そんな俺の心情を知ってか知らぬか、そんな周りの目などお構いなしの彼女だ。むしろ俺の内心をしっかりと正しく理解していて、俺の反応を楽しんでいるのではないかと思う。周りにもわざと見せつけているのないか?
彼女ならやりかねない。というより恐らく間違いないだろう。
彼女の(俺にとってはかなり過激な)スキンシップだが、俺自身少しずつ慣れていっているとは思うのだ。ただ、それに合わせて彼女もそのスキンシップを加速させるため結局その差は埋まらない。
結果、慣れない。
天真爛漫に振る舞う彼女とそれに翻弄される俺。
そんな俺たちの関係は前からほとんど変わらない。
「今日のこと連絡来た?」
彼女の身体の感触と周りの目に内心落ち着きない俺に腕を回しながら不意に彼女が言った。
「来たよ。部活休みでしょ?」
もうじき部活の大会があるのだが、今日は大会前最後の休みとするそうだ。各自身体を休め備えろということらしい。
だから俺たちも今日はこれで下校だ。
ようやく俺から身体を離しながら、ふと彼女が俺の机の上の進路希望調査書に目を止めた。
「それこの間配られたやつ?」
「うん、そう」
「真っ白だね」
「そう……なんだよね」
彼女の言う通り俺の進路希望調査書は真っ白だ。
配られたのは一週間前。提出期限は明日だ。
これまでも卒業後の進路を問われる機会は何度かあったが、まだ先のこととして皆それほど重要視はしていなかったところがある。
けれど最終学年となり卒業、受験というものが現実味を帯びてくると流石に適当には出来なくなってくる。
真面目に考え、向き合わなくてはいけなくなってくる。
そこで今回の進路希望調査だ。
俺もいよいよ選ばなくてはならない。逃げることは出来ない。
とはいえ、これが最終確認というわけではなく、ここに書いたからといってその通りに進まなければいけないわけでもない。そのため真剣に考えつつもそこまで難しく考える必要はないのかもしれないが、やはりそう簡単にその欄を埋めることは俺には出来ない。
そんなところは小学生の頃から何も変わっていない。
ここ一週間考えに考えてはいるのだが答えは未だ出ず。気がつけば提出期限間近だ。
さて、どうしたものだろうか……。
進路希望調査書を見下ろしながら溜息をつく。
そんな俺を黙って見ているようだった彼女だったが、俺から身体を離すと後ろ向きのまま俺の横にタタッと二、三歩ステップを踏み、前かがみになって俺の顔を覗き込んだ。そして
「それよりもさ、帰ろ?」
そう言ってニコッと微笑んだ。
一見俺の進路という大事を「それよりも」の一言で一蹴したようにも見える構図だが、そうではないということが俺には分かる。
それが分かっているため
「うん。待ってて今準備する」
俺も素直に彼女に頷き返す。
実際ここで進路希望調査書を睨み付けていたところで答えなんて出ないだろう。無駄に時間が過ぎていくだけだ。
俺は進路希望調査を折りたたむと他の教科書と一緒に鞄の中に仕舞い込んだ。
「お待たせ。行こうか」
「うん!」
俺と彼女は連れ立って教室を出た。
「ヒロキくん、今日は帰ったらどうするの?」
昇降口に向かって廊下を歩きながら彼女が訊いてくる。
「うーーん……勉強かな。取り敢えず」
「まぁ、そうだよねー」
俺がこう答えることは彼女も予想していたらしく特に疑問もなく頷く。
年度が切り替わり俺たちは高校三年生になった。
各々進路は異なるとは思うが、仮に進学を希望するのであればもう受験生ということになる。
本格的に受験勉強を始めなければならない。そしてそれは当然早い方がいい。とっくに始めている奴がいることを考えればもう出遅れているくらいだ。
そんな中、卒業後の進路すら決まっていない俺は遅れも遅れているわけだが。遅れるどころかスタートラインにすら立てていない。
早く何とかしなくてはならない。
ただ進路は決まっていないが勉強は進めておかなくてはならないと思っている。
考えた末進学することに決めたとして、その時になってから勉強を始めたのでは遅すぎる。悩んでいた期間分遅れを取ることになる。そうなっては流石に挽回は難しくなるだろう。だからどういう選択をしてもいいようにしっかりと準備だけは進めておこうと思っているわけだ。
「けどさ……家だとどうしても集中しきれないよね。ついスマホいじっちゃったり、休憩のつもりが長々テレビ見ちゃったり」
「ああ、それは分かるかもしれない」
家には何かと誘惑が多い。目移りしてしまい。ついつい楽な方へと流されてしまう。
厳しく、しっかりと自分を律して、甘やかさなければよいことなのだが、言葉で言うほどそれは簡単なことではない。
人間とは基本自分を甘やかそうとするものだ。そして俺もその例に漏れない。
「だからさ……」
だからこそ何かしらの対策が必要になる。
自分が変わるのが一番であるが、それがどうしても難しいというのであれば
「図書室で勉強していかない?」
周りの環境の方を変えるのだ。
日付が変わってしまいましたね……。
更新遅れてしまい申し訳ありませんでした。
ご覧いただきありがとうございました。
何かを感じていただけたら幸いです。
次回更新は10/9(日)の予定です。
どうかまたお付き合いください。
よろしくお願いいたします。




