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第7話 限られた日常

 アパートの窓から差し込む午後の光は、停滞した空気の中で埃をキラキラと反射させていた。

 

 シエルは椅子に座り、ウルトが分解して手入れしている自動拳銃の部品を、

 琥珀色の瞳でじっと見つめていた。

 その視線は、部品の摩耗具合やオイルの粘度までを正確に捉えているようだった。


 アパートにいる時は、生活や武器、戦闘のこと。数日おきの買い出しにはシエルが同行する

 ――この十日ほどで、それが自然なルーティンになっていた。


「……ウルト。その『鉄の塊』に、これほどの時間を費やす理由は?」

「……こいつはただの鉄じゃねえ。俺の命の次に、あるいは命以上に信頼しなきゃならねえ『相棒』だ」


 ウルトは鉛色の瞳を動かさず、滑らかな手つきでスライドを組み上げた。


「この街――表向きは復興の兆しを見せてるが、裏じゃ、あいつらの目がそこら中にいる。

 俺たちが通る裏路地、魚屋の親父や、角で新聞を売ってる子供……。

 誰が、いつ情報を売る『目』になるか分かったもんじゃねえ」


 彼は立ち上がり、腰のホルダーに銃を収める。


「だから、お前に教える。この街で生き残るためのノウハウだ。力でねじ伏せるだけが戦いじゃねえ。

 逃げるため、あるいは敵の目を潰すための『嘘』を覚えるんだ」


 ウルトは棚の奥から、無造作に転がっていた金属製の円筒を取り出し、テーブルに置いた。


「これを見ろ。……フラッシュグレネード。特注品だ」

「……音響兵器。一時的な視覚・聴覚の剥奪を目的とした非致死性装備と認識します」

「ああ。だが、こいつの真価は性能じゃない。『使うタイミング』だ。敵が俺たちの正体を確認し、

 引き金に指をかけた刹那。一瞬のホワイトアウトを作る。コンマ数秒の、わずかの『空白』が、出口になる」


 不敵な笑みとともに、円筒が手渡される。


「あいつらは、効率と火力を信奉してるから、こういう隙に弱い。

 ……シエル、いつかお前が一人で闇を駆けなきゃならない時が来たら、迷わず使え。光の中に、出口がある」


 冷たい金属の感触を指先に感じながら、ウルトの言葉を深層回路に刻み込んだ。

 それは「兵器」としてのアップグレードではない。

 彼と同じ世界で生きるための、呪いのような、そして愛のような教えだった。




 買い出しの帰り道。二人は夕焼けに染まる街の外れ、街全体を見渡せる丘に立っていた。

 紺色のパーカーのポケットには、今朝ウルトが「栄養が偏る」と言って買わせた安っぽいリンゴが入っている。


「……シエル。傷も癒えて大丈夫そうだな。これからどうしたい?

 遠い国へ逃げるか、それとも……」


 地平線を見つめたまま問いかけた。

 しばらくの沈黙のあと、シエルはゆっくりと首を横に振った。


「……わからない。私の論理回路には、『未来の希望』という項目が存在しません」」


 ただ、出力を抑えた生活を続けていても、アンプルの予備は心許ない。

 そろそろ確保を視野に入れる必要がある――そんな計算が、言葉にならずに胸裏をよぎる。


「……なら、俺の退屈な復讐にでも付き合うか?」


 ウルトは自嘲気味に、冗談のつもりでそう言った。

 自分のような過去の亡霊に、この真っ白な少女を縛り付けるつもりなどなかった。


 だが、シエルは迷うことなく、こくり、と小さくうなずいた。

 琥珀色の瞳には、揺らぎのない、静かな決意が宿っていた。


「……今の私には、他に存在する理由がありません」


 一瞬だけ目を見開いたウルトは、すぐに煤けた黒髪を掻き回して笑う。


「……はは、冗談だよ。もしお前がもっと大きくなって、その時もまだ同じ気持ちだったら……

 その時は――本当に助けてもらうわ」


 ウルトの大きな手が、乱暴に小さな頭を撫でる。

 シエルは少し髪を乱されながらも、その重みを心地よく感じていた。


 ポケットの中、冷たいアンプルの金属筒と、ウルトが買ってきたリンゴが触れ合う。

 命を繋ぐには青い液体が要る。だが今、彼女を前に進ませているのは、

 取るに足らないような、日々の「生活の断片」だった。


 シエルは髪を直そうともせず、少し先を歩くウルトの背中を見つめる。


 ――彼がいなくなることは、システムの停止よりも、ずっと恐ろしい。

 

 その「恐怖」という未知のバグすらも、今は愛おしかった。


 夕闇が迫る中、二人の影は長く伸び、やがて一つに重なっていった。

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